真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「グエムル 漢江の怪物」(2006/韓/監督・原案:ポン・ジュノ/脚本:ポン・ジュノ、ハ・ジョンウォン/グエムル開発:ニュージーランドとアメリカに外注/出演:ソン・ガンホ、ピョン・ヒボン、パク・ヘイル、ペ・ドゥナ、コ・アソン、他)。ポン・ジュノに関しては「ほえる犬は噛まない」(2000)も、「殺人の追憶」(2003)も共に未見。それならお前は、一体何の映画を観て来たのだと同時代の映画ファンからは難詰されてしまふかも知れないが、それならば、あなた方からさへも打ち棄てられた映画を観てゐる。とくらゐしか最早言ひやうもない。

 父・ヒボン(ピョン・ヒボン)と漢江の河川敷で売店を営むカンドゥ(ソン・ガンホ)。暇さへあれば居眠りしてばかりで、店番すらままならない。愛娘のヒョンソ(コ・アソン)は一家の希望の星で、皆から愛されてはゐたが、ヒョンソの母、即ちカンドゥの妻には、ヒョンソが生まれて間もなく逃げられてしまつてゐた。
 ヒョンソが帰宅。カンドゥの妹、ヒョンソからは叔母に当たるナムジュ(ペ・ドゥナ)のアーチェリーの試合を、テレビでカンドゥと固唾を呑みながら観戦する。カンドゥがヒボンから言ひ付けられて渋々客への配達に出たところ、それは現れた。
 魚のやうでもあり、獣のやうでもある異形。長大な尻尾の先まで含めると、体長は2~30mはあらうか。突如漢江に姿を現した怪物は、やがて陸に上がると猛然と駆け回り、人々を襲ひ始めた。長閑な行楽地が一転、阿鼻叫喚の地獄と化す。周囲の異変に気付いたヒョンソが、家から外へ出てしまつた。何も出来ないでゐるカンドゥの目前で、怪物にさらはれ、漢江に消えるヒョンソ。
 悲しみに暮れる遺族。合同慰霊祭の斎場に駆け付けた、反政府運動に参加した経歴が災ひしてか、大卒であるも未だ定職に就けずにゐるカンドゥの弟、ナミル(パク・ヘイル)は、(ヒョンソがさらはれたのは)お前の所為だと、カンドゥに怒りと悲しみとをぶつける。ところが彼等は纏めて、怪物からウイルスに感染した疑ひがある、と病院に収容され、とりわけ怪物の体液を浴びたカンドゥは、厳重に隔離されてしまふ。
 そんな中、カンドゥの携帯に電話が入る。ノイズさへも消え入りさうな中、微かに聞こえて来るのは、ヒョンソの声だ。「お父さん、助けて!」。誰からも信じては貰へないが、ヒョンソは生きてゐる。生きて、助けを求めてゐる。一家は病院を脱出し、ヒョンソ救出の為に悪魔の棲む河に向かふ。
 ある者は途中で命を落とし、又ある者は再び捕らはれる。ある者は愛する姪の居場所を掴みかけるも逃避行の最中力尽き、又ある者は怪物の反撃に遭ふ。それでも、命ある限り家族はヒョンソの生存を信じ、再び逃亡を図り、もう一度再起しては怪物の姿を追ふ。
 終に起動する、米軍の最終殲滅兵器。全てを死に至らしめる死の霧が世界に白く立ち込める中、遺された家族は、喪はれた命と新たに見出された命との為に、人の造りし悪魔と最後の聖戦を決すべく対峙する。

 四~五割水増しして纏めてみたが(上げ底かよ!)、個人的にはストレートに感動した。怪獣映画としては怪物の比重が物語の中でさほど大きくはないが、それはそもそも、私の早とちりでもあつたのであらう。奪還もの、より底が浅くなる分、判り易くもなるであらうか個人的用語としての、ゲット・バックものとしては普通によく出来てゐた。一言で切つて捨ててしまふと、“怪物”グエムルのデザインと設定とが「WXⅢ 機動警察パトレイバー」(2002)をパクつてゐようとゐまいと、そんな枝葉は殆どどうでもよい。
 ただ、ここでひとつ難しいのは、個人的にはストレートに、普通に感動したものではあるが、監督のポン・ジュノは、恐らくはストレートな映画としては撮つてゐないであらう点。展開の中に於いてしばしば、ポン・ジュノは意図的にリズムを遮断する。これが私の大嫌ひな(スティーブン・)ソダーバーグの映画であるならば、そのまま自ら流れを遮断してしまつたまま、映画は途絶されたまま終つてしまふ。にも拘らず、今作が最終的にはエモーションへの結実を果たすのは、ゲット・バックものの持つエモーションの普遍性とでもいふべきものが、ポン・ジュノの瑣末な作家性を凌駕した、とでもいふことなのであらうか。
 作中のあちらこちらに、現代(韓国)社会の持つ様々な問題点に向けられた、文明批評じみた描写も挟み込まれる。そのいづれもがよくいへば判り易いが、そのままいつてしまへば底が浅く、芸が無い。一体ポン・ジュノといふ人は、頭のいい人なのかさうでもない人なのか、初めてその映画を観る私には全く判らない。頭のいい人が撮つた頭のいい映画は、観てもお前には判らんぢやろ?さういはれてしまふならば、最早返す言葉は片言も持ち合はせないが。
 ともあれ最終的には。木戸銭さへ払つてしまへばこつちのものとでも言はんばかりに、ポン・ジュノがどういふつもりでこの映画を撮つてゐようとも、感じたままにストレートなエモーションに震へてゐるのもアリだ。と、知性と節度といふ単語を辞書に持たぬドロップアウトとしては開き直るものである。

 潔くアメリカに丸投げしたグエムルのCGは総じて見事な出来栄えではあるが、クライマックスの<グエムルが炎上する>シーンに於いて、若干力尽きる。


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