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真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 この期に及ぶにも程があるが、どうして私はかうしてピンク映画を観てゐるのだらう、なんてことをフと顧みてみた。何時の頃から、ピンクの小屋に通ひ始めたのか、正確には覚えてゐない。「淫行タクシー ひわいな女たち」(2000/監督:関根和美)を公開当時リアルタイムで観てゐるから、旧世紀から観てゐたことは間違ひない。そのもう一、二年くらゐ前からであるやうに、おぼろげには思へる。初めの内は専ら、どちらかといはなくても敷居の低い方の故福岡オークラに通つてゐたが、少なくとも2000年の時点で、当時はまだ、勿論フィルムで上映してゐた駅前ロマンにも出入りしてゐたことが、残してある手帳から確認出来る。

 更により本質的に、何故に私はピンク映画を観てゐるのか、何を求めてピンク映画を観てゐるのかといふことになると、どういふ訳だか更に一層判然としない。近代としての私の立ち位地が、ピンク映画館といふ場に逃げ込むことを求めたやうな気もするが、それを言つてしまふと、あまりに話が出来過ぎてゐるか、同時に実も蓋も無くなつてしまふやうな気もする。
 記憶の枠外に過ぎ去りし日のことはひとまづ潔くさて措き、翻つて昨今のこととして採り上げてみるならば、あれやこれやとうつらうつら考へてゐる内に、ひとつの、一応の解答めいたものに辿り着いた。
 あくまで最も基本的な一般論であるが、ピンク映画といふものは、通例、撮影期間は三日、製作予算は三百万で撮影されてゐる。登場人物はとりあへず女優が三人、男優もそれに合はせて概ね三人。即ち女優、男優がそれぞれ三人づつ。尺は六十分。あくまで、最も基本的な一般論である。
 ピンク映画は、さういふミニマムを更に内側に削り込むやうなバジェットで撮影されてゐる。少し単体女優のギャラがかさんだ場合のAVよりも、しばしば安い制作費であらう。ただ、ミニマムの更に先だか後だかを行つてゐる分、却つて見え易くなつて来るものといふものもある。言葉を変へれば、逃げ場が無くなつて来る部分といふものもあるのである。ひとつひとつの、例へば何てことのないシーンに於いても、それを撮つてゐる人間が、そこで演じてゐる人間が、初めから諦めて、初めから手を抜いていい加減な仕事をしてゐるのか。それとも、ミニマム未満の所詮は最初から負け戦と決まつてゐるやうなフィールドにあつても、そこで誠を尽くしてゐるのか、持てる技術と精力との全てを注ぎ込んでゐるのか。負け戦を、なればこそ死力を尽くして戦ひ抜いてゐるのか。さういつた辺りが、一般映画よりも、映画自体の普請がリミット・ブレイクに安い分、却つて如実に現れてしまふやうな気がする。

 時にミニマムにも満たぬピンクに、決死の覚悟で挑む者が居る。時に初めから三十点未満と決まつてゐるピンクに、メインストリームで百点を取つてゐるつもりの人間よりも、高い志で、確かな技術で臨む者が居る。その魂はたとへ世間からは顧みられることなくとも、何より気高く、何よりも尊い。私はさう思ふ。さうして、私はかうしてピンクを観てゐるやうな気がする。


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