真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「変態熟女 発情ぬめり」(2003/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/脚本・監督:山邦紀/撮影・照明:小山田勝治/撮影助手:小宮由紀夫・赤池登志貴・藤田明生/助監督:伊藤一平・佐藤竜憲/音楽:中空龍/出演:鏡麗子・風間今日子・佐々木基子・平川直大・兵藤未来洋・柳東史)。
 「ねえ、私とセックスしない?」、「一度きりなら、何時でもOKよ」。インターネットを通して、アン(鏡)が男を狩る。一方、エモ(佐々木)はアンに夫を寝取られたことに激しく憤慨する。一度アンを抱いた男は、その超絶淫技に魅惑され妻にせよ恋人にせよ、一切の他の女への関心を失つてしまふのだ。アンとセックスしたエモの夫(全く登場せず)はその後腑抜けとなり、終には家を出、今では消息も掴めなくなつてしまつてゐた。けふもけふとて、アンはサカ(兵藤)と寝る。男の射精すら自由自在に操るアンのテクニック、これは確かに恐ろしいかも知れない。和室にて、酒を酌み交はしながら、テク(柳)と妻のフレ(風間)が情を交す。山邦紀一流のイントロダクションの最後に、秋田弁の男・雄アン(平川)登場。雄アンは接触したアンに尋ねる、アンは自分と同じ、セックス・アンドロイドではないのかと。
 人間を模した学習能力を付与された上級機種の雄アンは、自我を目覚めさせた結果、セックスする為に作られたアンドロイドとしての自らのアイデンティティーに疑問を覚える。アンとの対決を期するエモは、こちらは再びアンの女体を求め街を彷徨ふサカを、アンを偽り誘ひ出すことに成功。エモはサカと、アン探索の共同戦線を張る。一方、雄アンはテクを訪ねる。実は今は一線から身を引いたテクこそが、雄アンらセックス・アンドロイドの設計者であつたのだ。
 公開当時、“ピンク版『ブレードランナー』”として話題を集めた一作。今回観戦を控へバージョンは問はず「ブレラン」を再見しておくかしらんとしてゐたところ、更によくよく調べてみると、親ファイルは404で既に出て来はしなかつたが、トークショー時の山邦紀御自身の発言によると、実は今作は「ブレードランナー」ではなく、「ダーク・スター」(1974/米/製作・監督・共同脚本・音楽:ジョン・カーペンター)の翻案であるとのこと。さうかうしてゐると生来の曲り臍からか、かういふところに捕まつてゐたら負けかなといふ間違つた論理が鎌首をもたげても来たので、ここは小屋で上映される映画のみを相手にすることとする。
 さうしたところ、人間的な学習能力を与へられた挙句にロスト・アイデンティティーに苦しむ雄アンと、自分に疑ひを持たない低級機種としてセックスを縦横無尽に満喫するアンとの対比には、不完全な良心回路を組み込まれ善悪の狭間に苦悩するジローと、そのやうな洒落臭いものなど持たず天真爛漫な兄・イチローといふ、原作版の『人造人間キカイダー』を個人的には想起した。その上で、「人間になつたピノキオは果たしてそれで幸せになれたのか?」といふ深いテーマは残しつつも、その双克を超えることでジローがより強くなるといふキカイダーに対し、初めから迷ひのない飽くなき試行、乃至は志向の果てに、更にそのセックス機能を増進させ行くアンに軍配が上がるといふ今作には、実は冷徹な論理性を肝とする山邦紀の、ドライさがよく表れてゐる。それでゐて、黄・赤・紫の三色が鮮やかな花壇を背景に、雄アンがアンの手も借りつつ自ら機能停止を選ぶラストには深い叙情が同時に溢れる。頑丈な撮影にも支へられ、濡れ場の威力は何れも比類ないこともあり、エモの処遇には些か詰めの甘さを残しながら、プログラム・ピクチャーとして通常以上に要求される商品的要請と、自らの作家的嗜好とを見事に両立させた、山邦紀ここにありを轟かせる一篇である。

 ところで、今作が「ブレードランナー」の翻案にしても、フレ≒レイチェル(ショーン・ヤング)といふのは微妙ながら大きく違ひはしまいか。アンに骨抜きにされるテクの姿を前に、最終的に夫は自らを通して常にアンドロイドの方しか見てゐなかつたのだと幻滅する、フレは人間ではないのか?


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