真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「Tokyo×Erotica」(2001『トーキョー×エロティカ 痺れる快楽』の一般映画版?/製作:国映株式会社・新東宝映画株式会社/製作協力:Vシアター/配給:新東宝映画/脚本・監督:瀬々敬久/企画:朝倉大介/プロデューサー:衣川仲人・森田一人・増子恭一/撮影:斉藤幸一/音楽:安川午朗/編集:酒井正次/録音:中島秀一/助監督:坂本礼・大西裕/撮影助手:田宮健彦/編集助手:堀善介/録音スタジオ:福島音響/現像:東映化学/協力:永井卓爾・鹿野依登久・小泉剛・細谷隆広・福岡芳穂・石川二郎・上野俊哉・坂口一直・フィルムクラフト・㈱メディアジャック・レジェンドピクチャーズ/出演:佐々木ユメカ・石川裕一・佐々木麻由子・伊藤猛・えり・奈賀毬子・川瀬陽太・佐藤幹雄・下元史朗・佐野和宏・福岡英子・福岡想・丸内敏治・境美登利・榎本敏郎・田尻裕司・女池充・菅沼隆・堀禎一・稲葉博文・松江哲明・近藤太・村上賢司・松島政一・朝生賀子・中西佳代子・境あかり)。
 開巻即、ノートの液晶でも目を覆ふか頭を抱へる、凄惨なキネコのスタンダード。最初のカットは原チャリの車載カメラ、ケンヂ(石川)がガード下を通りがかると、わらわら人が倒れてゐる。のちに駆けつける防護服の救急隊含め、多分こゝで闇雲に頭数の多い出演者を大分消費してゐる、のでは。異常な状況を表すのに、赤々と赤い照明ともくもくスモークを焚くのは兎も角、画面を大仰にぐいんぐいん動す必要はなからう。徒に、端から凄まじい安さの火に油を注ぐばかり。あと、何故かそんなロケーションに転がつてゐる、レトロ調のロボトイも如何せん狙ひすぎ。後述する真知子居室のジューク同様、直截にダセえよ。詰まるところ地下鉄ならぬ、地下道サリン事件的にケンヂは死ぬ。ケンヂが客観的に反芻する、元カノから以前振られた、生まれる前の時間と死んだ後の時間何れが長いのかだなどと、所詮漠然とした問ひを振り返つて「Tokyo×Erotica」のみのタイトル・イン。元作と一般映画版とで、もしかすると長さ違ふのかな。
 うすらぼんやり掴み処に欠いたアバンが、寧ろまだマシだつた―力なく―壮絶な地獄の蓋が開く。タイトル明けての本篇、真知子(佐々木麻由子)がぐだぐだクッ喋り始める。引き継がなくていゝのに引き継いで、Ba.のミチ(奈賀)以下、Gt.のハギオ(佐藤)、Vo.とGt.のシンイチ(川瀬)に、Dr.のアユミ(えり)。真知子と、バンド名不詳の面々が件の生まれる前と死んだ後問題に関し、五人全員満足な回答の体を成してゐない、適当な無駄口を垂れ流す、垂れ流し続ける。垂れ流し倒した上での1997年、“彼が死んだ後の時間”。ケンヂの元カノ・ハルカ(佐々木ユメカ)はOLといふ本職の傍ら、夜は雑踏に立ち、小遣ひ程度の金額でも男に体を売つた。ハルカが客を捕まへたつもりの、うさぎの着包み(下元)が実は死神で、殺伐とした事後ハルカは絞殺される。
 案外詰められたのかも知れない、配役残り。家族スナップでも撮影してゐる風情で登場する、ハルカの両親は苗字が同じ福岡夫妻?青シャツに黄色いタイを合はせると、体型に加速され結構ルパンぽくなる伊藤猛が非堅気にさうゐないトシロウ、真知子を訪ねる。伊藤猛の隣で―局所的に―テーマが全く謎のインタビューを受けるお母さん、と女児は境姓の美登利とあかりがリアル母娘?若者とオウムとの関りに、自らも身を投じた学生運動を照し合はせるオッサンは丸内敏治、脚本部。消去法で名前を潰して行くと近藤太が最後に残される気もしつつ、スーパーマンの扮装で弁当を食ふ、助監督風貌の男が判らない。そ、して。頭部チョバムをパージすると白塗りでマニキュアは黒い佐野和宏も、うさぎさんデスサイズ。
 nfaj記載の七十四分は所蔵プリントが三分分飛んでゐる―簡単にいふな―にせよ、元尺が七十七分の筈なのに、素のDMMに入つてゐる配信動画は七十分しかない正調国映大戦第四十四戦。仮に、今風にいへば新東宝+の方が現に短いのだとしたら、それもそれでなかなか聞かない、斬新なケースではある。流石に七分切るとなると割とでなく豪快な編集ではあれ、結論を先走ると概ね終始漫然と煮詰まる構成と、予め明確な結末なり結論なり、最終的に辿り着く何某か目的地の有無以前にそもそも求めてもゐないと思しき一作につき、少々端折つたところで大勢に影響は兄弟、もといしまい。
 素面の劇映画的なシークエンスとしてはケンヂが昔住んでゐたヤサに、ミチとハギオが新しく越して来る形で部分的に一応交錯しなくもない、三組の男女―うち一組は四人組―の去就が、あくまで断片的にか並行して描かれる。その合間合間にどうせ確信犯的に焦点を失した、面接動画で観る者見る者を煙に巻く禅問答、にすら値しない、曖昧模糊とした支離滅裂に明け暮れる。せめて女優部を綺麗に映さうといふ最低限の意欲、もしくは誠意さへ最早窺はせぬ機械的な濡れ場に記号的な刺激以外、煽情性もへつたくれも見当たらず。無間をも感じさせる堂々巡りの末、楽器も自分達で鳴らしてゐるのか否か、見極める耳目を当サイトは持ち合はせない、クソ仮称で川瀬陽太バンドがそれはそれとしてそれなりに、弾けるのは確かに弾けて漸くクレジット起動。忘れてゐた、言葉を選ぶとゴミより汚い画に引き摺られたのか、安川午朗の劇伴も、常にも増してペッラペラに響く。爆散するほどの破壊力にも欠いた、他愛なく雲散霧消する始終の最中、突発的なエモーションを轟然と撃ち抜くのが俺達の佐野。ハルカから“死ぬまでの時間”の選択可否を問はれた、死神の佐野いはく「人生はお前達の船出だ、俺達は最期の港」。一方的に船を停泊させる、拿捕どころか撃沈してのける。港にしては随分アグレッシブな他律性はさて措き、佐野らしいエッジの効いたビートが、まるで何かの間違ひのやうに火を噴く瞬間が今作に於ける紛れ当り的なハイライト、限りなく殆ど唯一の。清々しく粗雑に裁断してみると、この画質で撮ると誰が如何に撮らうとかうなつてしまふのだなといふ、要は国映産ロマンX。あるいはより映画寄りに踏み込んだ―風を謳ふか騙つた―ダブルエックスの更に先を攻めた、ロマンXXXとか称してみせるのもまた一興。その場合の“映画”といふのが、何映画なのかは訊かないで欲しい。とりあへず、偶さか国映と新東宝の共同製作―実質国映単独かも―で新東宝が配給してゐるだけで、本来女の乳尻を―質的にも量的にも十二分に―満喫させることを以て宗とすべき、量産型裸映画たるピンクでは少なくともない。


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