チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

「春日大社-若宮おん祭」見聞録 その1

2010-12-20 23:28:48 | 旅行
12月20日(月)


  
 17日の夜でした。まさに祭りのクライマックス。「幽玄」というひと言だけではとても言い表せない、なんとも幻想的な世界でした。

 「若宮おん祭」は12月17日に行われるのですが、5ヶ月前の7月1日の「流鏑馬定」を事始めとして、前日の16日まで諸々の神事が行われます。
 特に12月の15日と16日には、直前の神事が続くということもあって、祭りの二日前の15日に奈良へ向かいました。

  お泊まりは格式ある奈良ホテル
  
 こんな高級なホテルに3泊もするなんて、もう二度とないかもしれません。それに、年末のこの時期の行事をじっくりと見学するなんてことは、やはり退職した後でないとできませんね。

  ホテルから望む「興福寺五重塔」
  
 いつも下から見上げる五重塔ですが、ホテルが興福寺と同じくらいの小高い所にあり、うれしいことに真横から眺めることができました。


 ここでまず、「若宮おん祭」について、簡単に。

 春日大社から南の奥へ行くと、山の麓に「若宮」のお社があります。祭神は、水徳・学問・芸能の神として信仰の厚い春日大社本殿の第四殿の御子神様で、この若宮の神様が年に一日だけ(12月17日)里の行宮(興福寺の東、春日大社の参道の脇のお旅所)にお出ましになって、里の人々と楽しいひと時をお過ごしになるというお祭りです。
 ということで、御子神様は17日の午前0時に御出立してお旅所へ向かいます。これが「遷幸の儀」です。そして24時間後の夜中の0時にはお戻りにならなければなりません。なんか、シンデレラの話がよぎりますが、若宮様はちゃんとお帰りになるのです。これを「還幸の儀」と言います。そしてその間にさまざまな神事や祭事が行われるのです。

 冒頭の「舞楽」は、お旅所での最後のお楽しみの舞で、時間は夜の10時。スポットライトはありません。篝火の光の中での舞人の形相は、背後の漆黒の闇の中に浮かび上がるような神秘的な迫力で、見る者を圧倒する力強さをたたえていました。
 
 もちろん、春日大社には勅使を迎えての春の例大祭があります。でも、奈良の人々にとっては、この「若宮おん祭」のほうが親近感が大きいのでしょうか、奈良でお祭りと言えば、誰もが「おん祭」を指すくらい大切な行事になっているのです。ひと昔前は学校も休日になったということです。

  その御子神様がいらっしゃる、ひっそりと佇む「若宮神社」
  


 さて、話題を15日に戻しましょう。

 奈良の中心地、繁華街の一角に「大宿所(おおしゅくしょ)」と呼ばれる建物があります。ここは神事に奉仕する「大和士(やまとざむらい)」が精進潔斎を行う参籠所です。建物の中には17日の「お渡り式」に使われる装束類が、境内には同じく「お渡り式」を彩る武具の野太刀などが並んでいます。

  祭りの装束や甲冑など
  

     大和士の野太刀
       

 この日のメインは、ここで行われる「大宿所祭(おおしゅくしょまつり)」で、祭式と巫女の神楽とが厳粛な雰囲気の中で執り行われました。そして、

  その前後に行われた「御湯立(みゆたて)の神事」
  
 大きなお釜に湯が沸かされ、その前で「湯立巫女」が神事を行います。呪文を唱えながら御幣をお湯の中に入れたり、お湯に浸けた榊の束を参拝者の頭上で振ったりします。
 この榊の湯を浴びると縁起が良いとされ、また、巫女が腰に巻いている「サンバイコ」という縄は安産の霊験があるということで、妊産婦のお守りとなっています。

 日もとっぷりと暮れた後、この日の行事が終わりました。


     厳かに湯気立ち上る冬神事   弁人

                     
 翌日の16日。

  まずは春日大社へ参拝。
  

 この日のメインは「若宮」で行われる「宵宮祭」です。夜中の0時に行われる「遷幸の儀」に先立って、「御戸開きの神饌」を奉り、本殿前面が白い帳で覆われた後、祭事と神楽が行われました。

  夕暮れの中での巫女による神楽舞
  

 一旦ホテルに戻った後、いよいよ夜中に「遷幸の儀」となりました。

 もちろん写真撮影は厳禁。ケイタイの電源もOFF。なにしろ沿道にある自動販売機だって全部電源が落とされるのですから。
 漆黒の闇の中、森の中から太鼓の響きがこだまして来ます。やがて、雅楽の調べと神官の「ヲー、ヲー」という警蹕(みさき)の低い叫び声が近づき、その一、二分後、目の前に二本の大松明を地面に引きずる先導役とともに、榊を手にした100人ほどの神官がお守りする若宮様が。
 こうして神様は雅楽隊や巫女集団を従えて里のお旅所へ下って行かれるのです。

 微かな月明かりだけが頼りの深夜0時過ぎ。厳粛、かつ神秘的ということばしか浮かんで来ませんが、この行列を見送っていると、俗世界に生きている我を忘れてしまう感じになってしまいます。
 そうなのです、神様が民とともに楽しむ一日の始まりは、おそらく、そこに集う民の心をも浄化する不可思議な力が及んでいるに違いありません。

 夜中の2時頃ホテルに戻りましたが、我ながら俗っぽいと自覚している私も、さすがにテレビをつけたり新聞に目をやる気分には、とてもとてもなれませんでした。


     句をひねる気力失せにし冬夜かな  弁人

                 (「その2」へつづく)




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