チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

二年数か月ぶりに、明石の町を歩く

2018-11-08 16:55:10 | 明石風物
11月8日(木)

 朝の一番電車で出かけた4日の伊勢の大学駅伝。そのまま夕方に名古屋へ戻れば、ゆうゆう日帰りで帰って来られる状況でしたが、帰りの新幹線、去年は三連休の最終日で、名古屋駅はごった返していました。今年は三連休ではありませんが、いちおう日曜ですからやっぱり混んでいそうで気が重い。
 それに、せっかく伊勢まで出かけているんです。行き来が便利になったからといって、真っ直ぐ帰ってしまうのももったいないという貧乏根性も芽生えて、近鉄特急で行ける大阪のホテルを予約してみました。
 別に京都でも奈良でもよかったのですが、心の隅に「久しぶりに明石に行ってみるのもいいかも」という気持ちがあって、どこへ行くにしても無難な大阪泊となりました。

 5日朝、目の覚めるような秋空。
  快速221形、まだ健在です
  

 「京都がいいかなあ。でも、台風のおかげで、今年の秋はさんざんという情報もあったし、やっぱり、懐かしい所に行こうかな」
と、8時過ぎの新快速に乗って、明石に来ちゃいました。

 お城の櫓を眺めながら、
  軽く朝食
  

 逗子の家の新築が成って、荷物をまとめて最後に明石を後にしたのが、2016年の7月27日でした。その後、KAZU君がオランダから明石に引き揚げて来たので、いずれまた、訪れることもあろうかと思っていましたが、その冬に、KAZU君大宮へ転居という意外な展開となり、すっかり遠い地になってしまいました。

 ところが、こうして公園のベンチに腰を下ろし、駅で買ったパンを頬張り、缶コーヒーを口にしていると、「久しぶりだなあ」という感慨が全く湧きません。「今日はいい天気だ。朝食は公園だな」という、たまに訪れる気持ちのよい朝のひと時、まさに日常の中の一コマにすぎない感じです。
 本当は、昨日新幹線と近鉄特急で伊勢まで行って、夕方大阪に来て、ホテルに泊まって新快速で着いたところなんだという、そんな現実が遠退いてしまう不思議な感覚に浸っていました。

 大学を出るまで生まれ育ったのは、今KANA君が住んでいる東京の下町ですが、その変貌ぶりは凄まじく、僅かに昔の匂いが多少残っているのは三ノ輪橋の都電くらいでしょうか。
 それに対して、ここは歴史のある城跡の公園。まあ、まだ二年ちょっとしか経っていないのですから比較にはなりませんが、懐かしいという思いは全く込み上げてきませんでした。

 とはいえ、この日明石に来た目的の一つは、駅前の変貌ぶりの確認もありました。

 2013年の秋に始まった駅前の再開発。駅前の賑やかな飲食街が突然消え、一部は駅の東に仮移転したものの、ジュンク堂書店もマクドナルドも閉鎖になっていました。 その再開発事業が完成したのが2016年12月。私はその姿を見ることなく、完成の数ヶ月前に明石を後にしていたのでした。
 「さてさて、どんなふうになったのかな」と楽しみに、明石駅の海側へ出てみると、

 ドーンと、高層マンションらしき
  ビルが
  

 もちろん下は商業施設で、
  名付けて「パピオス」
  


   秋空や駅前ビルの眩しかり   弁人


 エスカレーターを上がると、「市民広場」なる
  開放的なスペース
  

 ジュンク堂も
  復活していました
  

 さて、ビルの南には国道2号線が走っています。かつては、ごくありきたりの歩道橋か、もしくは信号、とにかくそれを越えないと、港はもちろん、明石の台所「魚の棚」にも行けなかったのです。
 私が明石に来た時、いちばん初めに思ったのは、この国道を地下のバイパスにするとか、なんとかしないと、歴史ある港町とそれを象徴する商店街が廃れてしまうのではという危惧でしたが、再開発したのですから当然ですよね、

 パピオスの2階から、そのまま
  魚の棚へ行けるようになりました
  
 これで、雨の日も駅から傘をささずに魚の棚へ行けますが、国道を渡った所にエスカレーターを設置するスペースがなかったのでしょう、エレベーターだけになっていたのがちょっと残念。

 その新しい歩道橋を渡って
  「魚の棚」へ
  


   店先に港の香り秋の朝   弁人


 アーケードの上に映画の看板らしきものがぶら下がっています。タイトルは「進撃のタコドン~魚の棚大決戦」。地元明石を舞台にした映画が出来たのかなと、お店のおばちゃんに聞いたところ、「ありゃ、冗談、冗談」と笑っていました。
 どうも、魚の棚商店街活性化をもくろんだパロディの看板のようで、

 こんなのもありました。
  「魚の棚の嫁はえらいよ」
  

 他に、「うおんたな~一丁目の昼網み」とか、「魚の惑星~今晩の食卓編」とかもぶら下がっていて、こんなものを考え出す、いかにも関西人といった明石のおっちゃんの顔が浮かんでくるようで、思わず吹き出してしまいました。

 さあ、次は天文科学館でしょう。なにしろこの天気、14階からの展望も楽しみです。ということで、

  山陽電車で人丸前駅に
  

 でも、掲揚ポールに旗が見えない。そうなんです、月曜日は休館なのです。溜め息をつきながら国道2号線に出て、休(やすみ)天神社にお参りした後、

 もちろん、お世話になった稲爪神社の神さまにも
  近況を報(奉)告
  

 新しくできた道や、火事で消失した
  大蔵市場の跡地を見ながら
  
  

 海岸に出ました。
  空も海も真っ青
  
  

 いたいた、
  N船(右-JFE運搬船)
  

 天気良すぎます。この時期になると、もう太陽もだいぶ低く差し込んでくるので、天気がいいと逆光で眩しく写真も難しいんです。


   孤船目に吾も佇むや秋の浜   弁人


 それでは、あの歩道橋(跨線橋)を
  渡りましょうか
  

 朝霧駅前。なんか
  かっこ良くなっている
  

 丘の上からの見慣れた景色。海には
  自動車運搬船通過中
  

 そして、いつも歩いた
  駅への線路伝いの道
  

 気がつけば、お昼の時間に。明石駅に戻って、「パピオス」とかの新しいお店に入ってみようか。でも、朝の様子では、昼から一杯ひっかけられる店は「目利きの銀次」とか「魚民」とかのチェーン店だったような。やはり、舞子にしましょうか。

 ということで、舞子駅ビル7階の
  和食レストラン「海彩園」へ 
  

 ここは、海と橋の眺めが抜群で、かつてはKAZU君の家族も妻君もけっこう気に入っていたお店です。実は、二年前、明石を去る前日の最後の夕飯をと来たのですが、あいにくの定休日で入れませんでした。
 そのリベンジではありませんが、今回は天気も絶好、少々眩しい景色を眺めながら、タコの柔らか煮とお造り定食をおいしくいただきました。

 この景色も欠かせません。電車の線路の先に
  明石の町を一望
  


   行く秋や海峡の潮静かなり   弁人


 こうして、久しぶりに、6時間ほど明石の町の香りの中に身を置きましたが、二年以上の空白があっても、その香りは今でも身に染みついているのかもしれません。もう異郷の地になっているのに、旅先という感覚が全く沸き起こってこない不思議な旅人を演じている気分のまま逗子の家に帰って来ました。



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