閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

雲の横顔

2012-09-03 14:17:16 | 日々


ブルーグレイの濃淡の雲が綺麗で、
いつまでも飽きず見ている。

19世紀フランスの自然主義と呼ばれる絵画が好きなのは、
風景画に描かれている雲が好きだから、かもしれない。
色彩も、構図も、光も、家や樹木や人物も、すべてが調和して、
穏やかで、遠くの空には柔かい色調の雲が浮かんでいる。
まず雲に目がいき、それからだんだん手前のものにピントが合い、
人物の衣装の細部までゆっくり見ていき、最後にまた雲を見る。

絵画は、混雑した展覧会場などではなく、ひとりで、黙って、
心ゆくまで見ないと、見たという気がしない・・
しかも、できればひとつの壁面に絵は1枚にしてほしい・・
という、とてつもなくわがままな閑猫は、だから
めったに有名どころの展覧会には出かけて行かない。
行列に並ぶくらいなら、おうちで雲を眺めていたほうが良い。

雲の横顔。
レリーフのようでもある。

 

タツノオトシゴの兄弟が騒いでいたら・・

 

こわいおじいさんに叱られました。

 

えーと、何でしょうかね、これは。空飛ぶコブタ?

 

 

突然UFOがあらわれました。

 

・・と思ったら大きなお魚だった。

 

ああ、ほらほら、しっかり持ってないと逃げられちゃうでしょ。


想像力というのは、いわゆる「でっちあげ」ではなく
(そういう場合も、たまにはあるけれど)「置き換え」だと、わたしは思う。
現実にあるもの(雲)を他のもの(タツノオトシゴ、などなど)に置き換える。
そうやって、頭の中でひとりで遊ぶ。
それが、はじめの一歩。

現実は無視されるのではなく、常にバックグラウンドにある。
つまり、他の人が一重で見ているものを、二重に見ているわけで、
時と場所に応じて、前景と背景を入れ替えることも可能だ。
置き換えが、日常的に、さらに無意識にできるようになると、
現実は、その人にとって、すこしらくなものになるに違いない。
体力も要らないし、お金もかからない。
(何よりも、この手を使えば、「逃げ場がなくなる」ということがない。
昔話の「三枚のおふだ」のように、非常階段でもハンググライダーでも、
想像してちょっとずつ時間をかせぐことができる)

次なる一歩は、自分の想像を、いかにして他者と共有するか。
どんな形をとるにせよ、誰かに伝えたい! と思った瞬間、
その人は確実に明るいほうを向いている。

 

明日もいい雲が見られますように。

 

 

本日のにゃんこ。

1週間ぶりに真鈴(右)が帰ってきて、うれしいさんちゃん(左)。
しっかり抱えこんで離しません。
ほんとに仲がいいんだなあ。

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