ヤマガラより用心深いシジュウカラ。
たまにピントが合っても後ろ向きではなあ。
それが何か?
「靴紐がほどけにくい結び方」を習ったので、やってみる。
イアンノットというそうだ。
手順は蝶結びと同じくらいか、むしろ簡単なくらいなのだけど、
最初はなかなか理解できない。
3日くらい、結んだりほどいたりしていたら、だいぶ早く結べるようになった。
でもまだちょっと考えてしまう。
頭でなく、手が覚えないと。
下駄箱の中にある紐つきの靴を、全部出して、
片っ端からイアンノットで結んだ。
よーし、と思ったが、考えてみたら、どれも毎日はく靴ではない。
年に数回しかはかない靴もある。
「ほどけない」というくらいだから、結び直す機会も
なかなかめぐってはこないだろう。
そのうち、結び方、忘れちゃいますね、きっと。
上がふつうの蝶結び。
下がイアンノット(たぶん)。
違い、わかります?
子どもが小さかった頃、知人にサッカーシューズをもらった。
当時はやっていたJリーグモデルのスニーカーだ。
はじめての紐靴。
かっこいいので、本人ははきたがるけれど、紐が結べない。
結べないのに、結べると言い張り、やっぱり結べないので、
毎朝のように玄関で一騒ぎある。
どうやって教えたのか、よく覚えていないけれど、
いつのまにかひとりでちゃんと結べるようになっていた。
(・・なったよね?)
わたしは、蝶結びの覚え始めに、母にくっついて回って、
エプロンのうしろの紐を結んだりほどいたりしているうちに、
変な固結びになってほどけなくなり、おこられた記憶がある。
「もーっ、なんで子どもってこうよけいなことばっかりするんだろ」
と大人はきっと思うだろうけど、そういう「よけいなこと」こそが
じつは重要な技術の習得過程だったりするかもしれない。
大人になってしまってから覚えようとするとけっこう難しい。
頭と手の距離がどんどん離れていく気がする。
(そうは言っても、忍耐には限りがあるので、
何にでもマジックテープをつけとくほうが楽なのは確か。
だけど、あれは本来は手先が不自由な人のための補助グッズだ。
幼児の頭と手は、「できること」はとばして「できないこと」を貪欲に求める。
できないことが、できるようになる喜びは、本能的なものだ。
「やってみる」ことを封じられれば、別のことを「やってみる」。
封じられれば封じられるほど、本来の必然性から遠ざかっていく。
だから、最初に自発的にやりたがることを思う存分やらせておくのが
結局は一番楽なんではないか、と思うわけです。
「なんでこういうことするの」という幼児の行動を見たら、
いったい何の「練習」なのか、という意識で見るのがよいと思う。
現代の文明社会ではすでに不要かもしれないが、
縄文か弥生時代なら必須であった、ということを、たぶんやってるはず)
サンゴロウの話を書いているとき、ロープワークの本をみて
「もやい結び」その他を覚えた。
しかし、船を持っているわけではないので、使うチャンスが全然ない。
ときどき犬をつなぐなど、意識して使うようにしていたけれど、
犬を飼わなくなったら、もうきれいさっぱり忘れてしまった。
技術は使わないと忘れる。
というより、使わない人は覚えている必要ないんですが。
上の画像で、練習台に使っているのは、バスリコーダー
・・とかではなくて、ストーブ用の自家製「火吹き竹」です(笑)
あらためて見たら、いい色になっていました。