閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

しとしと

2013-06-26 17:56:11 | 日々

 

朝から雨が降っている。
「しとしと」から「ざあざあ」に移行しつつある。
午前10時の市内のお天気は、気温21℃、湿度100%、風速3メートル。
おお、ヒャクパーセントかぁ・・と呟き、ふと考える。
「何が」「何の」100%なんだろう、湿度って?
漠然と、空気中の水分の割合だと思っていたけれど、
水が100%だったら、そりゃあ人は溺れてしまうわけで。

調べてみました。
湿度とは何か。
「その気温での飽和水蒸気量」に対する
「実際に空気中の含まれている水蒸気量」の割合。
あ、なるほど。水ではなくて水蒸気ね。
湿度70%だったら、あと30%は蒸発できる余地があると。
湿度100%になると、もう飽和状態。
つまり、洗濯物はまったく乾かない。
(という理解のしかたで、いいのかしらん?)

こういうことは小学校の理科の授業で教わってるのかもしれない。
でも、実際には、
「梅雨どきは洗濯物がいつまでも乾かなくて困るわねえ」
という立場になってみてようやく実感できて、納得できるんですよね。

思うに、小学校くらいで教える(ことになっている)ものごとというのは、
人生の中でいえば、レストランに入ってメニューを見る段階。
何と何と何があって、それはだいたいどのようなものか。
かなり分厚いメニューだけれど、ウェイターさんが説明してくれるので、
好きなものがありそうかどうか、注意深く聞いていればいい。
疑問があれば、遠慮なくたずねればいい。
だけど、その説明を丸暗記できないからって、
ダメなお客だとかいわれる筋合いはない、でしょ。
まして、メニューにのっているものを端から順番に
全部食べなきゃ帰れませんてことは、絶対にない、でしょ。

何年も何年もたってから、ふと何かのきっかけで思い出し、
そういえばあれ、あそこの店のメニューにのってたなあと・・
出かけていって、注文し、じっくり味わう。
知識って、そんなもんでいいのではないかと思う。

極端な意見かもしれないけれど、義務教育のあいだは、
(せめて小学校までは)テストとか成績とかいうものは
一切不要なんじゃないかとわたしは思っている。
「子どもがテストで百点とれるように教える先生」も不要。
最低限、メニューの字が読めて、人の説明が聞けて、
自分で質問ができれば、いいんだから。

必要なのは気持ちのいいレストラン、魅力的なメニュー、
そして説明のじょうずな明るいスタッフ。
その背後には、注文があればどんな本格料理でも出せる
腕利きのコックさんたちがずらりと待っている。
そういう場所。
興味のある子は、厨房に入って冷蔵庫ものぞかせてもらえるし、
さらに裏庭に出れば野菜畑があったり、牛を飼ってたり。

とりあえずその場で全員が「勉強のできる子」にはならなくても、
「勉強の好きな子」は、きっとたくさんうまれるでしょう。
「好きで、学びたくて、学んだ子たち」が、おとなになって、
それぞれの知識や技術や才能をフルに生かして未来をつくっていく。
夢のようなお話かしら、それは。

 


 

 

本日の「いいね!」

Decay

ドイツの写真家Matthias Hakerの作品。
廃墟写真って、前からけっこう好きなんですけども、
朽ちても豪華・・(ためいき)。

 

コメント
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