レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

『真夏の夜の夢』

2008-06-24 05:29:20 | 
このタイトルを初めて知ったのは、すでに30何年前(検索したら72年の作品だった)、「別冊マーガレット」の美内すずえの読みきりがそういう題だった。私が初めて少女マンガ雑誌の「ストーリーマンガ」を理解できたのがこの時で、読解力がついた!と嬉しかったものである。なお、このマンガの話とシェイクスピアとは関係なし。のちに『ガラスの仮面』で劇中劇にもしていたから、作者にとって愛着があるのだろう。
 「真夏」といっても原題のmidsummerには「夏至」の意味もあり(天文学上の夏至とはズレがある)、その6月24日は「聖ヨハネ祭」、その前夜がmidsummer'night。この日は妖精が跳梁して薬草の効き目が強くなるとか、男女が森に行って恋人に花を捧げるとか将来の幸せを祈る慣わしがあるとか、そういった民間伝承に基づいてのタイトルだと解説されている。(おかしなことに、物語はその夏至でさえなく、「五月祭」のころである) しかし、「なつのよのゆめ」より、「まなつのよのゆめ」のほうがなんとなくリズムがいいと思う。
 「春の夜の夢」といえば、みじかくはかない(そして艶っぽい)雰囲気を漂わせるもので、それが夏ならなおさらのはず。しかしそのわりには『真夏の~』ははかなさとは無縁のドタバタラブコメであるな。作者の旧作(というほど前でもなさそうだけど)『ロミオとジュリエット』を思いっきり茶化した面もあるし。
 4人の男女の、及び妖精の王夫妻のトラブルは収まって、アセンズ(アテネ)の大公夫妻のまえで演じられる芝居の場面、「想像力」という言葉がしきりに出てくる。「芝居とは最高のものでもしょせん実人生の影にすぎぬ、だが最低のものでも影以下ではないのだ、想像力で補えばな」 この時代、舞台装置なんてろくにないので、状況はセリフで説明せざるをえない。太陽のもとで演じていようと、夜だといえば夜、森だといえば森、そのつもりで観客は「心の目で見る」ことが要求される。上記の劇中劇で、「壁」「月」「ライオン」がいちいち自己紹介なんかしてみせるのは、こういう事情を極端に見せてパロっているのだろう。
 昨今のフィクション事情では、やれ特撮だのSFXだの(よくわかってない、かなり偏見も混じっての発言である)とリアルさを追求しているのだろうけど、そのぶん人間の想像力は減退しているのではなかろうか、と年寄りくさいグチを垂れたくなるのだった。
 6月24日なのでこの話題を投下。

 先週教室でこの作品を話題にした際、念のため、『ガラスの仮面』を知っているか読んでいるか学生に尋ねたら、いくらかは挙手があった。なんだかほっとした。
コメント (6)
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