レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

アリサへのイライラ

2008-06-06 05:51:03 | 
『狭き門』、読むたびにイライラする小説だと思っていたけど、今回また怒りを新たにした。きっかけは、小谷野敦『昭和の恋愛史』。作者としてはヒロイン・アリサの姿勢を批判して描いていたはずだけど、読者はむしろ彼女に同情して読んでしまっているのではないか、という指摘に興味を持った(小谷野はこの作品に否定的立場)。 06年6月7日の『草の花』感想で一緒に言及しているのでそこから引用。

かつては青少年への読書ガイドの定番だったけどいまはどうなんだろう。ジェロームは従姉アリサを愛しているが、彼女は修道院へはいって若死にする。二人の見ている幸せが根本的に違っているのだと指摘した本もあった。アリサが拒む理由として、もっと表面的なこともあって、①2つ年上 ②母親が身持ちが悪く出奔してしまったのでその贖罪として神に仕えたい ③妹がジェロームを好き --どれを取っても私は腹が立つ。年上がなんだっ! 親が不品行だからって子が幸せを放棄するな!  恋で遠慮なんかするんじゃない!譲るなんて傲慢だ!当人の気持ちはどうなる。(その点私は武者さんの『友情』を支持する!)
 読んだのはだいぶまえなので印象が正確ではないのだが、遠藤周作さんによると、ジェロームはアリサをあまりに聖女のように思ってしまい、それが彼女を追いつめた、ということらしい。これを遠藤さんは「恋愛の結晶作用」と呼んでいる。(美化してしまうことですね) (逆に、その作用ゼロのあまりにドライな女として『テレーズ・デスケールー』を挙げている。『深い河』でも言及されている)

引用終わり。読み返したら、修道院へはいってというのは間違いだった、病気で入院して死んだのだった。考えてみれば作者はプロテスタントだし(『田園交響楽』では改宗した人も出たけど)。
 天上の愛を選ぶことの意義を否定するつもりはないが。彼女の行為は誰をも幸せにしていない。ジェロームを拒絶して、それをうわまわる精神の喜びを得たのなら納得もできるが、苦しみ続けている。死んでからその苦悩がわかる(日記など)のは、バルザック『谷間の百合』と共通しているけど、モルソフ伯爵夫人の場合はなんといっても人妻なので、耐え抜くことに疑問は感じない。しかしアリサにはまったく、妨げなどはないはずなのだ。全くの、頑ななほどの自由意志で拒絶しておいて、それでなおウジウジと・・・。「自己満足」さえもない。 ジェロームに、将来子供にアリサと名づけてと望むに至っては、・・・その場合の「妻」の立場はどうなるんだ、正気か、と言いたくなる。離れることによって、自分への幻想(%)を保たせたままにしたかったのではと勘ぐってしまう。事実、アリサの死から「10年後」もまだジェロームは独身だ。
 多数派の読者はいざ知らず、私はアリサに同情しない。

#その点、木原敏江の『ローエングリン』(『摩利と新吾』外伝の一つ)のヒロイン(名前忘れた)は立派だ。荒んだ人生をおくってきた男にとって、彼女のきよらかな面影は心の支えだった、しかし、実はカタギではない彼女の身の上を知って逆上、だが「勝手に偶像化しないでよ!」と迫り、改めて、自分の真の姿を愛させてしまう(そして駆け落ちし損ねて共に死ぬ)--天晴れだ!
コメント
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