レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

サン・ピエトロ広場が懐かしい理由

2007-01-17 06:34:45 | マンガ
 私はイタリアに行ったことはない。しかし、ニュースなどでサン・ピエトロ広場とかシスティナ礼拝堂なんて出てくると、懐かしい、と思ってしまうのは『エロイカ』のせいだ。
 東西冷戦を背景にしたスパイアクションコメディの名作『エロイカより愛をこめて』の第8話『来た、見た、勝った!』はローマが舞台。任務のため、広場にアクシュミな落書きをして、タイルを剥がす作業に紛れて穴にもぐり、法王庁に侵入。
 この話は80年、そしてここで登場させられているヨハネ・パウロ2世が来日したのって確か81年だったな・・・。 「ローマ法王」なんて歴史上の人物のような感じがしていたけど、いまもいるんだなぁ、という驚きを感じたものだ。
 「ドケチ虫」ジェイムズ君が、「自転車泥棒」で警察に捕まってしまうのだが、これはたぶん、昔のイタリア映画の名作『自転車泥棒』を意識した遊びなんだろう。(私は見たことないが。ずいぶん暗い話らしい。)
 私が思う『エロイカ』の黄金期は、第9話『アラスカ最前線』とその前後。プリンセスコミックスでいえば3巻から5巻、広くとるなら11話『9月の7日間』あたりまでだな。
 あのマンガを布教するときには、1巻をとばして貸すのがある種ジョーシキになっている。3巻からでもいいと思う。実際、6話『イン・シャー・アッラー』から、それまでの季刊から月刊の「プリンセス」本誌に移動したので、初めての読者にもわかりやすいつくりになっているから。

 現在、新刊が出たら私はとりあえず買い、話が一区切りついたところでまとめて読むことにしている。先月出た34巻で、32巻からの話が終わっているので読んだ。
 番外編で、金持ちマダムの道楽のビデオ製作に、伯爵と少佐が出演させられるはめになっている。
 私も似たようなことを、大昔(ハマリたての高校時代)想像したものだ。とある有名映画監督にスパイの疑いがあり、それを捜査しなければならない。新作のアクションものが主演者を一般から募集するので、少佐がそれに応募させられる。一方、ジェイムズ君はギャラ目当てで伯爵の写真その他を勝手に応募している。少佐はしぶしぶ、伯爵は結構ノリノリの撮影模様ーー、なんてシチュエーションを。
 (私は劇中劇という設定好きだ)
 こんなネタはどうだ、こーゆー場面が見たい、と周囲のファン仲間と話がはずんだ懐かしい日々である。
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テンプレートの楽しみ

2007-01-15 14:21:55 | 雑記
きのうニュースで、桜草の産地の春日部市で出荷が始まったと報じていた。ピンクと白と緑、なんとも目に楽しい色合い。「春日部」という知名の字面もたいへんいい。思えば四季の名のうちでは、「春」が圧倒的にほかよりよく知名に使われるような気がする。
 このブログを始めたときには、テンプレートの選択肢の広さをよくわかっていなかったので、「ライムグリーン」を2ヶ月続けた。去年は、春:緑、夏:青、秋:オレンジ・黄・ブラウン、冬:グレー を基調という方針だったけど、今年は、昔の中国の「青春 朱夏 白秋 玄冬」でいく。とは言っても、「朱」は好みじゃないのでオレンジにするとか、旧暦新暦を都合のいいように採って季節の境目を好き勝手に決めるつもり。それに、これだとピンクを使う機会がないので、春先にはめいっぱい桃色桜色にしてやろうと楽しみにしている。

 本来ならば、今日が「成人の日」なんだ、なーにが「ハッピーマンデー」だ、習慣づいた祝日をあちこち移しおって、気に入らん。
 
 地元駅の本屋が、リニューアルのために閉まっている。なんとなく陰気。たとえ買う予定がなくても、店頭であれこれ見るのは楽しいものなんだけど、しばらくそれがないのはなんとなくヤなものだ。近くのデパート(?)の書店は、チャンスだと思ってるかもしれない、品じたいが同じだけに。
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和歌のカレンダー

2007-01-13 15:51:14 | 
 一昨年の12月、T川のオリオン書房でカレンダーを物色していたら、古今・新古今の歌と日本画風の絵の風流な品が見つかった。その次の年つまり2006年版は万葉集。そして今回は、「詞花和歌集」。古今から新古今までの勅撰の「八大集」の一つ。わりにマイナーな歌が多いようだ(専門家には違うだろうが)。
 これらの品、きれいでためになるスグレモノなのだが、ほかで見たことがない。検索してみたところ、松江の老舗の和菓子の店「風流堂」が出しているもののようだ。
 和歌に限定しなくても、詩歌をあしらったカレンダーならばいくらでも作りようがあるだろうけど、こういうのはもっと広く出回ってほしいものだな。せめて、大学の国文科にくらいは宣伝して。
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『マリみて』のduとSie

2007-01-13 07:41:06 | ドイツ
  先日、ライプチヒの友人Kから小包が届いた。リッタースポーツチョコと、絵葉書と、『マリみて』等の独訳版。コバルトのヒット作、ミッション系のお嬢様学校を舞台にした今野緒雪『マリア様がみてる』はマンガ化もされていて、ドイツではRosen unter Marias Obhut(マリアに護られたバラたち)の題で出ている。 
 ドイツ語には、現代語の場合、2人称が二つある。 du(ドゥー)とSie(ズィー)。duは「親称」、家族、友人、子供・動物・神に対して、学生同士などで使う。Sieはそれ以外、「敬称」「社交称」と呼ばれる。文法を習う際には、Sieに「あなた」、duに「君」「おまえ」とあてておくのがひとまずお約束、目安。もちろん日本語の人称代名詞は無数にあるので、こんなので割り切れないことはわかりきっているのだが。 
 私がドイツ語で小説などを読む際、これらの代名詞がどう使い分けられているかも注目ポイントである。 ローマものを読んだ限り(いや、「ニーベルンゲン」ネタのも)、duしか出てこない。身分立場に関わらずみんなduしか使っていない。(メルヘンにおいてもそうである。王様でも平民でも互いにdu。) 同じ歴史ものでも、氷栗優の『ルートヴィヒ2世』では、du とIhrと Sieが全部出てくる。現代語でihrはduの複数形であるが、大文字で書いたIhrは、少し古い言葉で、duより格が上の言葉。相手が一人しかいないのにこれが出てきたら、昔の言い方と思ってよい。19世紀後半が舞台の話なので、新旧混ぜて使っているのだろうか、ルートヴィヒとシシィくらいの仲ではduで、周囲はたいてい王に対してIhrを使い、ルートヴィヒは、身分があって親しくはない家来には Sie、親しいならばduで呼んでいる。 『セーラームーン』のドイツ語版では、日本語では簡単に使い分けられえる敬称、さん、ちゃん、君、様はほぼばっさりと無視していた。「先輩」も然り。子猫のダイアナが、未来のキングである衛に「衛さま」と呼ぶのだけは、セリフのうえで無視できないものだったので、「国王陛下」なんてものものしい言い方になっていた。 
 で、『マリみて』の場合。原作では、彼女たちは呼び捨てということがまずないのであるが、それでも「さま」「さん」は切り捨てている。祐巳は祥子にただSachikoである。ただ、人称はSieを使っているあたりがやはり普通と違う点。彼女たちが「姉妹」関係を持つようになったら違ってくるのだろうか。どうやら上級生相手にはSieを使っている。たいていの学園ものならばたぶん、先輩後輩関係なくduだろうけど。特殊な学校だからなのだろう、よその生徒を客として迎える場面(柏木優の訪問)でもSieである。
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(悪)夢の座談会

2007-01-12 08:12:01 | ローマ
 『武田信玄』の新田次郎と『天と地と』の海音寺潮五郎の対談は、「巨人ファンと阪神ファンのような大人気ない対談」と評された(単に一読者によってだけど)。

 塩野七生と宮尾登美子が対談したが、話がかみあわないまま時間切れになったーーというガセネタがあったらしい。
 言うまでもなく、前者はカエサルにぞっこん、『ローマ人の物語』等の著者。後者は小説『クレオパトラ』でオクタヴィアヌスを不当に貶めて描いてローマファン(※)の大ヒンシュクをかった作家。
 こんなウワサが出てくるということは、もしもそんな対談あったら見ものだぜ、ははは、と思う人々が少なからず存在するということだろうな。
 海外版で考えてみたら。
 作品からすると結構オクタヴィアヌス萌えではないかと思われるアラン・マッシー、明らかにカエサル激ラブのコリーン・マクロウ、カルプルニアプッシュのアンドルー・ジョンストン。パトラ寄りでは、マーガレット・ジョージとカレン・エセックスあたりか。小説ではないけど、『悲劇の女王クレオパトラ』(この本は○)のローラ・フォアマンをいれてもよし。
 こんなのでまとまるのだろうか。私はケンカさせたいだけだったりして。

※ 塩野さんも別な意味でヒンシュクかってはいるけどね。
 宮尾パトラをつまらないと断言したのは、私の友達でも3人いる。ローマサイド寄りというわけではなくて、うち一人はむしろクレオパトラ好きな人だ。
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幼少・晩年

2007-01-10 14:21:19 |   ことばや名前
 阿刀田高のエッセイで読んだ話:とある芸能人が、「私が懐妊したときに」と発言した時にマスコミは、自分で「懐妊」なんて図々しい、と非難したが、「懐妊」という言葉じたいは「妊娠」と同じ意味で、ただ、「ご懐妊」という言い方で使われることが多いので、なんとなく身分ある人用のようになっているのだろう、と筆者はかばっていた。

 似たようなことは、「幼少」という言葉にも言えるだろう。辞書にはただ「幼いこと」としか書いてない。「上様ご幼少のみぎり」なんて文脈で印象づくせいだ。私が小学生で「りぼん」を読んでいたころ、土田よしこのギャグマンガに、「土田よしこは幼少のころ、プールで木綿のパンツをはかされていた」云々とあり、「木綿のパンツ」と「幼少」の組み合わせのギャップにおかしさを感じたものである。
 本によっては、「幼少」は、名をなした人物に使う、と書いてあったこともある。まぁそれもあるけど、やはり、身分の良さも条件ではないだろーか。例えば、「アグリッパの幼少のころ」と、「ネロの幼少期」ではどちらがしっくりくるか? どちらのほうがエライかといえば、モンクなくアグリッパのほうが功労者である。しかし、私の感覚では、その不肖の子孫のネロのほうがボンボンなので、まだ違和感がないと思う。

 「晩年」も似たようなものを感じる。
 『動物のお医者さん』で、ハムテルのところの乱暴なオンドリのヒヨちゃんについてのやりとり。「晩年になっても自分を高める努力を怠らない」 もう充分ランボーなのに慢心しないヒヨちゃん 老いてますますランボーなヒヨちゃん ヒヨちゃんはスゴイ 「晩年てふつう死んだあと言わないか」「寿命からいってもう晩年だろう」
 まだ生きてるということのほかに、ニワトリに使っているというオカシさ。
 森鴎外の娘が『晩年の父』という本を出しているが、これは図々しくはあるまい。
  『土方歳三のすべて』という本に、『土方歳三の生い立ちと晩年』という章があった。生い立ちはわかるけど、・・・享年35歳の人のどこが晩年なんだろう。

 アウグストゥスは問題ない、「幼少」でも「晩年」でもおかしくないぞ。ついでに言えば、なんとなく上品な感じのする「利発」「怜悧」もぴったり。
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100人の偉人 天才編

2007-01-09 17:46:16 | 歴史
 日本テレビの「ニッポン人の好きな100人の偉人」、先日放映されたのは「天才編」。結果は以下のとおり。

1、アインシュタイン 2、レオナルド・ダ・ヴィンチ 3、エジソン 4、孔明 5、野口英世 6、ベートーヴェン 7、アイルトン・セナ 8、信長 9、モーツァルト 10、ライト兄弟
11、手塚治虫 12、聖徳太子 13、龍馬 14、チャップリン 15、尾崎豊 16、宮本武蔵 17、沖田総司 18、シェイクスピア 19、キュリー夫人 20、平賀源内
21、真田幸村 22、ジャイアント馬場 23、ピカソ 24、黒澤明 25、松田優作 26、ジョン・レノン 27、ショパン 28、ベーブ・ルース 29、岡本太郎 30、コナン・ドイル
31、夏目漱石 32、石原裕次郎 33、ディズニー 34、ニュートン 35、キング牧師 36、武田信玄 37、いかりや長介 38、アンディ・フグ 39、秀吉 40、円谷英二
41、ブルース・リー 42、沢村栄治 43、吉田松陰 44、アベベ 45、宮沢賢治 46、紫式部 47、ヘレン・ケラー 48、藤子・F・不二雄 49、松下幸之助 50、加藤大治郎 
51、千利休 52、ゴッホ 53、二宮尊徳 54、卑弥呼 55、義経 56、金子みすず 57、司馬遼太郎 58、リンカーン 59、伊達政宗 60、芥川龍之介 
61、ケネディ 62、ダリ 63、土方歳三 64、本田宗一郎 65、山下清 66、林家三平 67、クレオパトラ 68、ノイマン 69、東郷平八郎 70、ジミー・ヘンドリックス
71、いわさきちひろ 72、ガンジー 73、太宰治 74、上杉謙信 75、人見絹枝 76、マリリン・モンロー 77、横山やすし 78、勝海舟 79、石ノ森章太郎 80、竹中半兵衛
81、チンギス・ハーン 82、福沢諭吉 83、三島由紀夫 84、相田みつを 85、カレン・カーペンター 86、植村直己 87、田中角栄 88、松本清張 89、ココ・シャネル 90、曹操
91、葛飾北斎 92、フロイト 93、アガサ・クリスティー 94、ミケランジェロ 95、ブレスリー 96、大山倍達 97、湯川秀樹 98、ヒッチコック 99、ガウディ 100、ノーベル 

外国の文豪ではシェイクスピアしかはいってないのだな。ゲーテの名くらい出ないのかい。クレオパトラがあるくせにカエサルがないのは許せんな。

次は「英雄編」だそうだ。しかしこのノミネート人選もヘンなのがいっぱい。
「100人の偉人 英雄編」
 私は、「英雄」といえば武勇の要素が不可欠な感じがするのだが、「歴史を変えた」ならばアウグストゥスも資格アリだろうというわけで、おおいにシュミにはしって、カエサル、土方歳三、そしてアウグストゥスの名を加えて投票した。
 「美女編」があったなら「美男編」もやらんかい!
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『ジェラールとジャック』

2007-01-09 17:42:48 | マンガ
 よしながふみ作、白泉社文庫で1冊にまとまっているが、元々はBL雑誌の掲載で、そちらでは2巻で出ていたもの。きいたことはあったが、このほど三浦しをんの『シュミじゃないんだ』の単行本を買い、そこで紹介されていたことをきっかけとして読んだ。
 はなはだ面白い。
 フランス革命前後が舞台。借金のカタに娼館に売られた若い伯爵ジャックと、その最初の客ジェラール。ジャラールのはからいで自由の身になったジャックはジェラールの屋敷で働くようになり、成長していく。
 革命の進展がほどよく話に絡まり、怒涛のどんでんがえしにいたる過程も自然である。ジェラールの職業はエロ小説家で、小間使いx奥様のシリーズが革命下でも大ヒットしているというのもなんだかリアルに見える。(そういう小説、森奈津子あたりに書いてほしいぞ) その小説が公安委員会ににらまれた理由が「巻を追うごとに彼女は教養を深めて人間的に成長していってる。政府は女たちの政治的活動を禁止したばかりだというのに知恵のつきすぎた女を魅力的に描くのは危険極まりないと」いうことだ。『ベルばら』も『杖と翼』も触れなかった、革命のアンチフェミニズムな点をさりげなく突いていて興味深い、と指摘しておこう。

念のための注
BL:BoysLove 早い話、女読者向けのホモものを指すジャンル名。
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『風雲児たち』10巻

2007-01-07 14:32:14 | 新選組
「ふううんじたち」を打ち間違うと「不運時」になる。不運で合ってる人々もけっこういるので言いえて妙である。
 みなもと太郎の大河ギャグ、『風雲児たち 幕末編』の10巻が年末に出た。リイド社はメジャーでないのか、どこの本屋でも置いてあるわけではない。
 幕末以前の部分がいったん終わり、そのあと龍馬を主人公に据えて仕切り直し続編として『雲竜奔馬』が出ていたのだが、『幕末編』スタートとなってから内容がかなりその『雲竜奔馬』とダブるのは大人の事情というものだろうか。
 
 安政の大地震の時、吉原で門を閉めて遊女たちを逃がさずに焼死させたという事件はまえにも出てきた(牢でさえ、火事のときには一時的に囚人を釈放するのが常だったというのに・・・遊女は犯罪者以下かい、と怒りを禁じえない)が、品川台場の件は覚えがない。第二台場は会津藩士たちが警備していたが、宿舎の中が火事になり、しかし空けると近くの火薬庫に引火して大惨事になるので、中の約20人は敢えて見殺しにされたという。こちらはひたすら痛ましい。
 まえの巻で、福沢諭吉が大坂の緒形洪庵のところに弟子入りするときに、手塚良庵も登場している。手塚治虫『陽だまりの樹』で、作者の曽祖父をモデルにした主人公を出しているが、その人。手塚の自画像とそっくりなキャラデザインにしてあるのはもちろんみなもと太郎のギャグ心、おまけに、洪庵に対して「金持ちからは大金をふんだくる天才医師・・・先生をモデルに絵草紙が描けそうな気がする」なんて評させている・・・。
 この福沢は、お調子もので実のある奴、『陽だまりの樹』では、大口をたたき、それを実現するヤツとして描かれていたな。
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ヘロデという名前

2007-01-06 07:53:11 | 歴史
 1月6日は「公現祭」、東方の三賢人が生まれたイエスを拝みに訪れたということになっている。広い意味でのクリスマス期間はここまで。
 
 もう30年以上まえのこと、「週刊マーガレット」で鎌田幸美の『Oui, oui, 桜丸!』という学園ものがあり、学園祭にキリスト降誕劇を演じる場面があった。「三賢人」は一人ですませていたけど。「ヘロデ」なんて名前を最初に知ったのはこの時だったと思う。たいへんにインパクトのある響きだ。
 ヘロデといえば、まずは「嬰児虐殺」とくるだろう。『マタイ福音書』にしか記述がなく、史的根拠は乏しいらしいにも関わらず定着してしまっているのは気の毒ではある。
 しかし、これがなくとも、妻一人、息子2,3人、あまたの身内を殺しているので(※)、猜疑心の強い陰惨なイメージはどうしてもつきまとうだろう。為政者としての功績よりも、人となりへの先入観のほうが悪い意味で目だってしまっている例。
 ※アウグストゥスが「ヘロデの息子よりもヘロデの豚になりたい」と言ったというエピソードは有名。愛妻との間に息子を望んで得られなかったこの皇帝からすると信じられない行為であったに違いない。
 
 息子のほうのヘロデは『サロメ』。どうもこの名前には、血なまぐさい悪役の匂いが染み付いている。

 なお、妻と息子の処刑ということで、私はコンスタンティヌス大帝も連想する。しかしこちらのメダマ男は聖人にされている。なんだかすっきりしない・・・。
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