レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

『エンパイア』やっと見た

2007-01-24 17:21:24 | ローマ
 今年早々に出た「EMPIRE DVD-BOX」、買ってから半月以上経ってようやく今日見た。テレビドラマ6回分が収まっている。
 あらすじ紹介で見当はついていたけど、予想以上に史実からは相当にぶっとんでいる。カエサルにかつて剣術を教えたこともある一級の剣闘士タイラノスが、カエサルに警護を依頼されていたが、暗殺の日に(これも陰謀の一部)息子を誘拐されてしまって自宅を留守にし、その間に暗殺は行われてしまう。最期にかけつけて、後継者を護ることを託されて、以来、オクタヴィアヌスにつく。
 どちらかといえば、この架空キャラのほうが主人公に近いように見えたな。
 まずはカシウスたちが命を狙ってきて逃亡しまわり、そのあとはアントニウスが悪巧みして、表向きオクタは死んだことにされる。 もちろん生きてて対決することになるけど。
 「シーザー」(英語のセリフなので英語で聞こえるけど、字幕ではカエサル表記)の呼称を早々と「皇帝」にしているのは適切でないと思う。
 なお、この話ではオクタの恋人はウェスタの巫女。中々に健闘するキャラなのだけど、史実が頭にあるとどうも複雑だ。
 肝心のオクタ役、「サンティアゴ・カブレラ」なんて名前から、ラテンの濃い顔かと危惧していたけど、・・・まぁ、それほどでもないか、でもやっぱりダークの髪は違和感あるなぁ。病弱とか華奢とかいう要素は入ってないし、一部のファンにとって固まっているであろうイメージには近くない。
 スペクタクルアクションとして見るならば(5段階評価で)4くらいかな・・・。
史実との合致度は、『ローマン・エンパイア』が6,7割とすれば、これは3,4割ってところ。
 意外だったのは、アントニウス邸で殺されかかったオクタを助けた、そして以後従う兵士が「マルクス・アグリッパ」であること。なんだか坊やみたいだな、と思ったけど。とにかく、味方にこの名を使ったことは大いにほめたい。
 
 少し前に、ヘストン主演の映画『アントニーとクレオパトラ』をまた見た。クレオパトラはヒルデガルト・ネールというらしい。オクタヴィアヌスを演じた中では、ここのジョン・キャッスルがいちばん好評である・・・といっても、私がネットの上で目にした限りであるけど。(不評なのは『レジェンド・オブ・エジプト』--ああ何度書いても不愉快な手抜きタイトルだ)
 マッスル激情のアントニウスと、クールビューティー(金髪白皙に赤や黒の衣装がよく映える)オクタ、それぞれたいへんハマっている。あの映画の玉に瑕は、アグリッパがおっさんであること。欲を言えば、政略結婚の提案は史実に合わせてマエケナス(「メーシナス」は出ていない)にしてほしかったけど、それは原作通りなだけなので仕方ないか。
 これのDVDが出たら買う。
コメント (5)
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とか・たり

2007-01-24 10:32:44 |   ことばや名前
 日本語の誤用の本を読んでいて、「とか」の使い方について意外だったこと。
○ 便箋とかハガキを使う。
× 便箋とかハガキとかを使う。
× 便箋とか使う。
一つしか言わずに「とか」がヘンなのは知っていたけど、最後に「とか」が間違いとは初めて知った。私の感覚では、二つ以上並べて最後にも「とか」のほうがしっくりくるけど。

「たり」も同様なのだろうか。まえに読んだ日本語についての本には、あっさり「テレビを見る」と言わずに「テレビとか見たり」なんて言うことが耳障りだと筆者が書いていた。私もそうだ。少なくとも、「・・・したりとか」なんてくると、せめてその「とか」「たり」のどちらかにしてくれ、と思う。
 「とか」「たり」がついてしまうのは、ほかにもまだあるけど、というハバを持たせる意味、悪くとれば単なる曖昧な逃げだろう。だいたい、よけいな言葉があるとソフトにはなるものなので、ある種の丁寧表現と思って使っているということもありそうだ。

 これで思い出したこと。
『暴れん坊将軍』(セミレギュラーの栗塚旭目当てで時々見ていた)で、お忍びの吉宗がバクチを教えてもらう場面。
「このツボをこう置いて、丁とか半とか言えばいいんですよ」
「丁とか半だな。・・・よし、丁とか半!」
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