レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

アンの翻訳 子どもの物語

2011-09-28 05:15:34 | 
『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』 村岡恵理  新潮文庫

 『赤毛のアン』等の翻訳で知られる村岡花子さんの、孫による伝記(厳密には、姪で養女の娘)。
 父親は貧しい茶商人だったけど、長女はなの賢さを見込んで、東洋英和女学校に給費生として入学させる。カナダ人婦人宣教師の多いこの学校で、彼女は英文学に親しみ、家庭文学の大切さを強く感じる。
 戦争へと向かう時代に、帰国していく教師から託された『グリン・ゲイブルスのアン』を、戦時下に訳し続けて、昭和27年、ついに出版。この時、花子さん本人は『窓辺に寄る少女』という題を考えて、社長の『赤毛のアン』を一蹴したけど、養女みどりさんが『赤毛のアン』がすてきだと言うので、若い人の感性を信じることにしてそれを採用したという。--それで成功だったな。のちに『少女パレアナ』(E.ポーター)として出る作品が当初『くり毛のパレアナ』だったというのはその前例のせいだろうか。
 同じモンゴメリの『エミリー』の1作目は、あとで『可愛いエミリー』になるけど最初は『風の中のエミリー』だそうで、これは『風~』のほうが良かったと私は思う。
 東洋英和で、のちの柳原白蓮と親交を結んでいたというのもたいへん興味深い。波乱のある時代背景で有名人もちらほらと出るし、女たちの地位向上を目指す志も旺盛だし、夫との大恋愛もあるしーーこれはぜひ市川ジュンさんに描いて頂きたい、あの人も『アン』好きだし。
 激動の時代で、著名人たちが出てきて、女の自意識も濃厚に出ているという点で、田辺聖子『ゆめはるか吉屋信子』にも通じる点のある本だ。


『ふしぎなふしぎな子どもの物語  なぜ成長を描かなくなったのか』 ひこ・田中 光文社新書

 ゲーム、ドラマ、アニメ、マンガ、文学、さまざまな子ども向けメディアを、そこで「成長」がどう扱われてきたかを中心に考察している。
 私は筆者よりはだいぶ年代は下だけど、小学校にあがる年に『帰ってきたウルトラマン』と『仮面ライダー』が始まったし、女の子ものでは『サリー』『アッコ』『アタックNo.1』になじんでいたので、うんうんそうだった、と頷く部分やら、へ~そうだったのかと驚くこともあって、懐かしさも込みで楽しく読んだ。
 こういう本は、自分自身の思い出をたどることとも容易に結びつくので、純粋な(?)感想としてここに書くことはわりあい難しいものだと思う。だから、いまはまず、興味深いと思った指摘について述べておく。
「アニメ(女の子編)--魔法少女」の章での「女の子ものはなぜ後回しにされるのか」、子供向け番組で、女の子用の出てくることが遅れたことに関して、「現場の作り手の多くが男だったからです。彼らにとって、自信を持って想像できる子ども像は男の子であり、それを描いて物語を作り、男の子に届ける方が計算しやすいし、簡単だし、抵抗もなかったのでしょう」
  私はかねがね、人間の標準、座標軸を男の側に合わせてあることを不当であると主張しているのであるし、上記のような後回しも差別の一種だとも言えるが、このように説明されると、モト男の子としては女の子に受けるものがわからなくて、という素朴な事情もなるほどあるかな、と少しばかり悪意でなくとることができた。
「ちなみに90年代のデータですら、日本の放送局社員に占める女の比率は9%、管理職にいたっては0.4%で、世界でも最低ランクにあります」  では、男職員がどうにか女の子ものと苦闘しているのだろうか。
 「『セーラームーン』の新しさは、それが少しも新しくなかった点にあります」ーー『紅一点論』でも、男の子向けの枠組みに、女の子向けのディテイルをはめ込んだことがウケた原因だと解釈していたっけな。
 『プリキュア』を私は見たことないけど、恋愛より友情に傾いていること、太ももやパンチラではなく戦っていることなどで『セーラームーン』から一歩踏み出しているーーという指摘で興味が湧いた(とはいえ、私がいまからああいう世界に首つっこむのはかなり辛いが)。
 ついでに思いだすこと。『セーラームーン』放映当時、新聞に、見ている女の子の母親から投稿があった。曰く、登場人物の日常が恋愛中心過ぎる、原作は子供向けではないのかもしれないけど考慮してほしい。私はそれに対して、--逆だろう、マンガは子供向け雑誌の掲載で、アニメのほうがもっと上の年齢層まで意識しているんだろう、と思ったものである。よくある謎本の『セーラームーンの秘密』では、マンガは恋愛中心、アニメは友情中心だと書いてあったけど(これはまだ全体の半分くらいまでしかいってない時期だった)、私はむしろ逆だと思う、少なくとも全部読めば。セーラー戦士たちのプリンセスやクイーンに対する強い愛と忠誠、男の介入する余地のない団結は、アニメよりもマンガのほうでラディカルだ。
 この本、『紅一点論』を面白く読んだ人にもお勧めである、いくつかの同じ作品も別の視点から論じられているし。
コメント (2)
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