レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

史実を知るタイミング

2011-09-09 09:29:06 | 歴史
 歴史ものフィクションに接したあとで史実が違うことを知って、驚いたりがっかりしたことのある人は少なくあるまい。
 自分のこともなにか言うとすれば、映画『福沢諭吉』で、諭吉を支えてくれる家老の奥平様(榎木孝明)がたいへんかっこいい味のあるキャラだったのだが、『風雲児たち』等で、実際には家老とそのバカ息子に妨害されていたことを知った。歴史フィクションを鵜呑みにはしてないつもりだっただけにちょっと悔しかった。・・・まぁ、信じさせるくらいでないとフィクションも創りがいがないとも言えるか。

 フィクションの枠内にある作品(ノンフィクションとかドキュメントとか銘打ったわけではない)に感動した場合、どのくらい事実なのかということは気にしないで、まるごと『~~』という作品としてのみ受け止め、むしろフィクションとして考えるという態度もそれなりに(少なくとも、事実と思いこむよりは)無難であるかもしれない。
 しかし、いつぞやネット上で、「かつて某歴史ものマンガを読んで、なんて面白い話を描く作家なんだ!と感動したけど、あとでそれは単に史実だったことを知ってガッカリした」という声を目にしたことがある。史実知ってガッカリよりは少ないケースだと思うが、題材に頼っていて描き手の手腕はたいしたことないものだったのだろうか。
 市川ジュン『華の王』を某友人に貸したときのこと。頼朝たちが狩をした際に、長男が獲物をあげたのでそれを政子に知らせると、政子はそんなことでわざわざ遣いをよこすなんて、と白けた態度を示す場面がある。これをその友人は、政子のキャラをよく表わしていて面白いと評価していたが、あとで、これは史料にあるエピソードだと知って再び感心していた。上記の例とは違って幸せな反応のケース。
 (ところでこの場面、永井さんでは、頼朝が狩にかこつけて浮気するから政子は八つ当たりで喜んでやれなかったのだという描き方だった)

 いまこれを話題にしているのは、先日、ネットの某掲示板で、
小説『---』でダーウィンに興味持って調べたら、史実とフィクションが混ざっていることを知ってがっかりした。どこが史実か創作かを書いておいてほしいーーと書かれ、それに対して、混ざってるのが歴史もののダイゴミでないの?とあり、さらにそれへの返答として、 メジャーな人については混ざってもわかるけど、マイナーな人についてだと、わざと変えてるのか調査不足なのかわからないので、大枠だけ借りてあとはテキトーな印象を受けたのだ、ということだった。
 言いたいことはわかる。 あとがきで変更部分を説明することも悪くないとは思う。
 しかし、池田理代子『天の涯まで』の例を思い出す。巻末に、意図的に変えた点について説明が載っていた。あれに関して、興ざめだったという声を2件見た。もちろん、肯定する感想だってあるのに違いないが。『ベルばら』のように、フランス革命ならばメジャーなので、オスカルが架空の存在であることくらい、多少読んでみればじきにわかるだろうけど、ポーランドの歴史では接することもあまりなさそうなので、早々と説明したのだろう。 私自身は別に興ざめな気にはならなかった。  もう少しページを開けるなりして、本編読んだあと続いて目に入ってくる事態を避けることがいちばん無難だったろうか。ところでこのマンガ、ポーランドでも出たけど評判はぱっとしなかったという。そのへんについてもっと詳しく知りたいものである。ユーゼフ・ポニャトフスキは人気があるらしいけど、史実じたいはどの程度知られているのかも。

 ドラマ『ローマ』を見た人々は、あれをどのくらい信じたのだろうか。ヴォレヌスとプッロは架空キャラだということくらいはわかったろうけど。アティアは100%フィクションだからな~! オクタヴィアも90%創作だからな~~!

 結束脚本、栗塚主演の『燃えよ剣』における、勘定方・河合耆三郎は、名前を借用しただけであとはフィクションです! 悲惨な死に方はしないので、これから見る人は安心して好きになって下さい!
 あそこまで変えてしまうならば名前も変えておくべきだったと私は思う。
 説明しておくと:新選組の勘定方の河合は、新選組の歴史上で最も後味の悪い死に方をした人の一人。しかしドラマ『燃えよ剣』ではまったく違っていた。放映当時、先に史実を知っていた人はいったいどういう気持ちでいたのだろう。逆に、ドラマのを史実だと思ってた人が史実を知ったら落ちこみそうだ。私は運よく、ドラマを見るまえに史実を知り、かつ、ドラマではぜんぜん別ものになっていることも知ったので、安心して見ることができたのであるが。

 ローマ史小説の例を言えば、アンドルー・ジョンストン『カエサルとカルプルニア』(未邦訳。詳細は当ブログにカテゴリーを設けてあるのでご覧ください)は、あとがきでいくらか説明していた。
 ソーントン・ワイルダーの『三月十五日』(未邦訳)では、なんと前書きで史実と変えた点について説明してある。なんとなく、クールなインテリの読者を想定してあるような感じを受ける。
 

17.10.05に付記。上記の『三月十五日』の邦訳が近日発売。
「三月十五日」



 

 
コメント (2)
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