この世に生を受けた以上、生きて、老い、病を得て
死んでいくことは避けられない。
父親が癌で入院している。
若い頃から手術を繰り返し、最後は腎臓を片方
摘出するという大きなものだった。
その後は見違えるように頑健に暮らしてきたが、
さすがに身体自体の疲れが出たようだ。
状態的に放射線治療は不可で、抗癌剤となるが、
一度目の投与で死ぬほど苦しみ、その治療継続を
拒否している。
妹や弟達は治療を続けるように説得しているらしい。
病室で二人になると、最も長い時間を過ごしてきた
父子である。
何も言わずとも互いの心は通じるものがある。
苦しんでわずかな時間を延命しても、生きている
実感はない。
もう為すべきことは為したのだから、残された
時間を自身の思うまま、望むままに生きればよい。
親より先に逝くという最大の親不孝を免れた私は、
自身もまた、子供よりも先に逝く。
その自然で当たり前のように思えることが、
かけがえのない、特別なことなのだろう。
私は父に、長生きしてもらいたいのではなく、
自分らしく最後まで生きて欲しいのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/1a/f8202067f8a648aeff86cca496d19c35.jpg)
死んでいくことは避けられない。
父親が癌で入院している。
若い頃から手術を繰り返し、最後は腎臓を片方
摘出するという大きなものだった。
その後は見違えるように頑健に暮らしてきたが、
さすがに身体自体の疲れが出たようだ。
状態的に放射線治療は不可で、抗癌剤となるが、
一度目の投与で死ぬほど苦しみ、その治療継続を
拒否している。
妹や弟達は治療を続けるように説得しているらしい。
病室で二人になると、最も長い時間を過ごしてきた
父子である。
何も言わずとも互いの心は通じるものがある。
苦しんでわずかな時間を延命しても、生きている
実感はない。
もう為すべきことは為したのだから、残された
時間を自身の思うまま、望むままに生きればよい。
親より先に逝くという最大の親不孝を免れた私は、
自身もまた、子供よりも先に逝く。
その自然で当たり前のように思えることが、
かけがえのない、特別なことなのだろう。
私は父に、長生きしてもらいたいのではなく、
自分らしく最後まで生きて欲しいのである。
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