ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

テイクオフ

2019年04月29日 | ノンジャンル
なんでも、物事を起こす、あるいは動かす時には
大きなエネルギーが要る。

テイクオフとは離陸を意味するが、同時に身に
まとわりついたものを脱ぎ捨てる意味もある。

地上で常に縛り付けられている重力から離脱して
上空へ飛び立つという事である。


実際は、重力は常にかかっているが、それを越える
という事である。大変なエネルギーだ。

年に3度、年末、ゴールデンウイーク、お盆の
休暇において、初めの一日を事務所の大掃除に
充てている。

確か、現在の事務所に移ってきてからなので、
もう19年目になる。

立場的に言えば、部下に命じれば済むこと
なのだが、これだけは自身に課してきたことで、
立場がどうであれこれまで続けてきた。

会社のトイレ掃除をする社長の話を聞いた
ことがあり、それに共鳴して、以来、続けている。

今日も業務の目途が付いたところで掃除を始めたが
これが結構な重労働である。

昨年末、腰を痛めたこともあって、きつかったが、
気分的には本当にスッキリした。

掃除というのは、頑張った分だけすぐに成果として
表れる。 我々の仕事は、いくら頑張っても
成果としてなかなか表れない事の方が多い。

形だけでも身を拭ってスッキリし、身軽になって
また新たに頑張ろうという事である。

今年は後半に大きな試練が待っている。
心身共に余分な重石はテイクオフして、
身軽で省エネなテイクオフとしたいものである。





再生

2019年04月27日 | ノンジャンル
先日、来客の接待で夜の街に繰り出した。

馴染みの店で、私が飲まないことは
知られている。少し油断があったか。
まだ新人の女の子が緑茶割りと勘違いして
私に出した。

飲み屋ではごく当然のことである。
一口飲んで気付き、替えてもらったが、
ママさんは恐縮していた。

薄めだったので、口にするまで
気付かなかった。

断酒初期なら、しまったと思ったろうが、
今回は何とも思わなかった。
そういうこともあるかという程度である。

ところが、二件目に行った時、これまた
私が飲まないことを知っている店だが、
ママさんが、あれ?飲んでるの?と訊く。

どうやら顔が赤くなっているらしい。
初夏を思わせる陽気の日だったので、
暑い夜で、そのせいかと思ったが、
ひょっとすると、前の店の一口が原因
かもしれない。

とすれば、これは驚くべきことで、
断酒によって体質まで変わったことになる。

いくら飲んでも顔が赤くなることなど
かつて無かった。
それがたった一口で赤くなっていると
いうことは、自覚はないものの、ほぼ細胞
レベルで入れ替わっているという事だろう。

14年近くアルコールを摂取せずにきた
現在の自身の再生の状態を、ひょんな事で
知ることになった。

葉を落として枝だけとなっていたボンちゃんも
新たな芽吹きと葉を再生している。

自身もまた、気付かないうちに再生を
繰り返してきたのである。





連休

2019年04月26日 | ノンジャンル
明日から10連休。

何の予定もないが、仕事の予定は入っている。

連休前に繁忙となるのは常だが、今年は特に忙しい。

例年なら状況によって出社するという事が
多かったが、今年はほぼ予定が埋まっている。

5月、6月と海外出張が続くので、休みボケに
ならないことはありがたいが、いくら何でも
仕事ばかりでは愛想がない。

息子も帰省してくるだろうし、久し振りに家族で
食事にでも行こうかと考えている。

もう家族そろっての行楽というものが無くなって
久しい。その分、気分的には楽なのだが、
物足らない休暇でもある。

相変わらず、貧乏暇なしといったところだ。

年末年始を区切りとしたり、前期新期を区切りと
したり、この度の改元を区切りとしたりという
ことは良い事だとは思う。

ただここ何年かは、自分の中では区切りという
意識での切り替えみたいなものはない。

要するに、区切りという継ぎ目のない連続の中に
いるという事だ。
オンオフのデジタル時計ではなく、連続して秒針が
回転し続けるアナログ時計のようなものである。

それはそれで良いと思っている。

泳ぎ続けないと死ぬ魚か、羽ばたき続けないと
落ちる鳥のようなものか。

いや、正直なところを言えば、オンオフというのは、
再度オンにする時に、かなりのエネルギーを要する。
そのエネルギーが昔ほどないという事である。

止まって、再び回転を起こすよりも、遅くなろうと
早くなろうと、回転そのものを止めないという事に
近いだろう。

その方が、心身共に快調な事は確かである。





進退

2019年04月25日 | ノンジャンル
昨年、55歳となった時に、10年の計を立てた。

それはいわば、進退の「退」、つまり引き際という
事を多分に意識してのことだった。

そして、先日のヘッドハンティング。
これは、いわば「進」となるのだが、自身の計に
おいてあり得ない事でもあった。

丁重にお断りしたが、今度は取締役への推挙の
報せが社長より突然来た。

突然というか、以前からそういった話はあった
のだが、固辞していたのである。

「退」を計としている者が、未来を創る「進」の
中枢にいるわけにはいかない。

しかし、今回は会長からのたっての要請だと。

会長には大恩がある。その要請となれば、
現社長を陰に陽に支えてやってくれということに
他ならない。

これには正直悩んだ。

だが他の会社においての「進」ではなく、自身の
会社においての「進」である。

迷ったときは、面倒くさい方、大変であり、
苦労するであろう方を選ぶというのが、自分に
課してきた信条でもある。

しかし、「退」に向けて動き出したばかりの
時でもある。

本当に悩んだが、恩ある人の求めに対して、
それを蹴ることはできない。

先の事は分からないが、この10年を、本当の意味で
骨を埋める覚悟で臨むこととした。
それもある意味、自分らしい生き方であろうと思う。

この先、見えない未来へ、今の軌道が続いて
いるのかさえ分からない中を、ひたむきに
進んでいくしかない。

そう肚を決めた時、私の10年の計は、「退」の
中の「進」、「進」の中の「退」、つまりは、
「進退」となったのである。





学歴社会

2019年04月24日 | ノンジャンル
我々の一世代前ぐらいまでは、ともかく有名大学へ
進学して、大企業に就職し、出世してというのが
理想だった。

いわゆる高度成長期の終身雇用に裏打ちされた、
安泰な一生という事である。

我々の世代が、経済成長も衰え、むしろ経済危機
ともいえる状況が頻発していく渦中で、学歴は
もちろん重視されたが、終身雇用は不確かな
ものとなり、転職がブームにさえなった。

東大を出てホームレスになる者もいれば、中卒で
総理大臣になる者もいる。

学歴社会という点では、現在では随分その色が
褪せてはきたが、旧態依然とした政界や法曹界では
いまだに色濃い。

何となく思うのは、ウニヴェルシタスとしての
学問や探求という意味合いから遠ざかり、
いわゆるブランドと化しているのではないか
ということである。

こうなれば、どこの大学を卒業といっても、
そのブランドを身に着けているだけである。

子供達にも言って聞かせたが、どこの大学ではなく、
自分がそこで何をしたいかが最も肝心な事である。

そこは義務教育でない以上、勉強の場ではなく、
学問の場である。

入学が難しく、卒業が容易な日本の大学では、
入試の合格がゴールの様にさえ捉えられている。

自由と責任のある学問の場で、一体自分は何を
したいのか。

それは、社会に出た時の基幹にもなりうる。
就職し、仕事をするのは何のためか。
お金を稼ぐ、豊かな生活をするためなどと
いうなら、大学時代に何も学んでいないに等しい。

大学とは、自身を問い、来る将来の社会生活に
おいて、自身の道を模索する場でもある。

その意味においては、私は最も行きたいと思った
大学へ行ったし、その大学が自身にとっては
最高学府であったと今でも思う。

願わくは、自身の卒業大学を、ブランドではなく、
自らを作り上げた学府として誇ってもらいたい
ものである。