ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

ほうれんそう

2018年03月31日 | ノンジャンル
鉄分豊富な野菜の話ではない。

サラリーマンの基本である、報告、連絡、相談の
話である。

自身が携わっている仕事においては、この基本は
必要ない。
自ら企画し、営業した上で受注の運びとなれば、
最終の決済に至るまで全て自身で掌握し、完遂する。

唯一、決済条件などで資金負担となるケースのみ、
本社の経理部門と相談する。

新入社員の頃から、報告、連絡はほとんどなく、
相談は当然ながらあったものの、担当マーケットが
決められていたので、基本的には自己責任という
業態だった。

いや、それは今も変わらない。ただ、立場上、
自身の担当だけにとどまらず、事業部全体と
なっている。

自身でリスク管理し、最後までやり遂げる覚悟で
やることには、何であろうが自由にやらせている。
必然的に、相談を受けるばかりの立場で、日常の
激務は仕方がない。

ほうれんそうは、それが形式化すると、個人の
成長を妨げる。
自身の責任でことを為そうとする時、相談は
真剣そのものとなる。

ここで言う自己責任とは、自身の熱意と覚悟
という意味で、一般に使われている他人事の意の
冷たい意味ではない。

報告、連絡は一方通行でも事足りる場合もあるが、
相談に一方通行はない。

人の成長は、自立した者同士の交流にあるという
事なのである。





門出

2018年03月29日 | ノンジャンル
4月も目の前となって、研修なども始まったのだろう、
街にはフレッシュマンがあふれている。

桜も満開となり、学生や新社会人の門出を
彩っている。

あれから32年が経つことになる。

積み重ねてきたものも大きいだろうが、
失ってきたものも多々ある。

そのひとつが、ひたむきさであろうか。

今は、自分なりの仕上げの10年ということを
念頭に置いて、目先の5年をまたひたむきに、
そして最後の5年をひとつのエピローグとして
区切りをつけるつもりである。

仮に生きてそれを為したとして、その後を
どうするか。

悠々自適などというのは性に合わない。
没頭できるほどの趣味もない。
なにせ、仕事を趣味として生きてきたのだ。

おそらくは、終活といっても、なにがしかの仕事を
続ける中で進めていくことになるであろう。

ある画家は、自身の集大成ともいえる作品を
人知れず創作し、自分自身が納得して、いや、
感動して絵筆を置いた後、その絵を燃やした。

誰人の目にも触れず、誰人の讃嘆も批判もなく、
後世の評価も無論ないままに、その作品は
完成と同時に、この世から消えた。

跡など遺さず、そういう人生の終焉でありたいと
望んでいる。

そして、それが、自身の新たな門出でもあるのだ。





三本柱

2018年03月27日 | ノンジャンル
社会から切り離した、いわゆる高みに追い込む
拘束、隔離、閉鎖という三本柱が、現実の
社会生活の中で回復を目指す、通院、抗酒剤、
自助グループという三本柱に変わったことで、
アルコール依存症患者の回復において目覚ましい
成果を上げてきた。

断酒初期の頃、食事というのはこれほど楽しい
ものかと思った。
飲むのが主で、食べることは副にもならない
程度だったが、それが第一になった。

アルコールが抜けた身体が欲していたのも
あるだろうが何を食べても美味しく、それが
楽しみともなった。

元々、よく食べる方だったので、家内は昔に
戻ったようだと安心していたようだ。

さて、医療の上ではなく、日常の生活で
自身の三本柱が当時はあった。

お茶と、抹茶アイスと、シジミ汁である。

お茶は元々好きだが、その頃はお気に入りの
お茶2リットル入りのペットボトルを一日に
2ー3本は開けていた。
それがデトックスにもなっていたかもしれない。

甘いものをほとんど食べなかったが、
断酒してからは欲するようになり、
特に抹茶アイスがお気に入りだった。

肝臓に良いからと、家内が毎日のようにシジミ汁を
作って、食卓に出してくれた。

この三本柱は、初めの一年を支えてくれた。

一年が経って、落ち着いてくると、この三本柱も
一応の落ち着きを見せたようだ。
体重もその一年で増え、元の体重にまで落ち着いた
ように記憶している。

今では、毎日欠かせないのはお茶とコーヒー。
たまにアイスやケーキなど甘いもの。
シジミ汁ではなくとも、お味噌汁は欠かせない。

そして、自分なりの原点確認のために時折
通院はしている。

旨いと思いながら飲むお酒はよい。
飲みたくもないのに、飲まずにはいられないという
その頃から、おかしくなっていたのだろう。

嗜好品は、楽しむものである。
それに縛られてしまったのなら、その呪縛を
断ち切るしかないのである。

おかげさまで、今のところ、お茶依存とは
なっていない。





彼岸に思う

2018年03月25日 | ノンジャンル
春の陽気の中、墓参りに行ってきた。

これまでの人生を支えてきたものは、人との
出会いであり、その人から頂いた言葉である。

「本当の大変さはわからんけども、頑張れよ。」
おじいちゃんの言葉。

「辛いやろうけど、辛抱せいよ。」
父親の言葉。

「他人のことをとやかく言っているうちはまだまだ。」
母親の言葉。

「あなたは、私が守るから。」
家内の言葉。

「父ちゃん、大好き!」
娘の言葉。

「身体には気を付けてな。」
息子の言葉。

「挑戦をやめない限り、君は何でもできる。」
恩師の言葉。

彼岸の言葉となったものもあれば、此岸の言葉もある。

それは言葉ではなく、人の心である。

そこには、彼岸も此岸もないことをふと思った。

自他彼此の境は、若い頃ははっきりとさせずには
おれなかったが、年と共に、その境は実はない
のではないかと感じることが多い。

願わくは、自身の心も遺しておけるようにと、
また今日一日を自分なりに生きていく。





春の雪

2018年03月22日 | ノンジャンル
3月に入り、春めいてきたと思っていたら、
お彼岸になって関東・甲信での雪。

冬の寒さが厳しかったことを思い出させるが、
この時期の雪となると、もう一つ思い出す
ことがある。

断酒して5年ほど経った頃だろうか、東北の
震災があり、電力不足から、どの工場も
予備として発電設備を整備するのに躍起と
なっていた。

国内の設備メーカーは飽和状態で、海外より
輸入する検討も進められた。

かなり大型の設備を導入することになったものの、
その納入までが非常に大変で、製造現地に何度も
飛んだが、半ばノイローゼに近い状態に陥っていた。

ようやく納入が完了してやれやれと思いきや、
今度は稼働においてトラブルが続き、その度に
現場へ急行した。

年末に調整が終わり、これで年を越せると
思いきや、紅白を見ている途中で緊急の電話という
こともあった。

多発するトラブルを一つ一つ解決し、ようやく
まともに稼働ができるようになったのが翌年の3月。

最後の補修、調整を行うために、前泊で現地入り
したが、夜が明けると、一面雪で真っ白だった。

設備はもちろん屋外である。
指先もつま先も凍えて感覚がなくなる中、作業を
終えて始動・運転確認をした時に、まともに
動いてくれた感激は忘れられない。

導入検討から一年、納入から半年以上経って、
ようやく落ち着いたのである。

散々苦労し、精神的にもまいっていた。
何度も心が折れそうになり、逃げ出したくなることも
数えきれなかった。

それまでの様々な苦悶からの解放となるべき日が
まさかの雪であったことに、何か妙に深い
感慨があったのを憶えている。

雪降る中に咲くのでもなく、咲いた中に雪が降る
のでもなく、雪と花が一体であるかのような、
そんな不思議な感慨であった。