ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

17年

2022年06月02日 | 断酒

また無事に節目の時を迎え、断酒17年となった。

という記事になるところだが、無事も何も、断酒どころでもない

一年だった。

昨年の6月に比べれば、一気に10年ほど老けたような

感覚と外観である。

鏡を見ていると、その日によって精悍さが見て取れる日もあれば、

死相かと思う日もある。

体調は不調なのが普通になってきて、少しでも楽な面があれば、

それがとてもありがたい。

もう本当に、断酒などどうでもよくなっているし、何年継続している

という事自体、虚しくさえ感じる。

ただ、黙って私の断酒を見守り続けてきてくれた人達には、

心からの感謝しかない。

遠い、近いはあっても、先にあると思っていた死が、

今はすぐ隣にある。

これはある意味、生きる醍醐味でもあろう。

臨終只今に在り

そのつもりで、今を生きる。

気張らず、弛まず、ありのまま、そのままの自分で

いられるように。

 

 


他慮

2022年04月21日 | 断酒

他者への配慮という事である。

2年以上のコロナ禍を踏まえながら、未だにマスク談議があるのは

滑稽でしかない。

ワクチンを打つ打たないはその人の自由である。

だが、マスクを着けるのは、自身の為であると同時に

他者への配慮であることは間違いない。

制度化されていないから着けないのではなく、

制度化されたから着けるのでもなく、自慮と他慮によって

着けるのである。

トンネル内での点灯は制度化されているが、点灯しないドライバーの

大半は、点灯が面倒だ、自分は十分見えているといった、自慮でしかない。

点灯は、自車と他車の存在を明らかにするもので自他共の為なのである。

 

他者を巻き込まない、自己完結できることについては自慮でいいだろうが、

巻き込む可能性のあることについては、むしろ他慮を第一とすべきである。

 

普通、病気というものは自己完結なものであるが、いわゆる伝染病と依存症は

他者を巻き込んで、その他者をして病ませる。

だからこそ、それを放ってはおけないのである。