ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

回復の兆し

2006年11月30日 | ノンジャンル
昨日の記事で、「家族の回復」ということに触れたが、
そういえばと、ふと気付いたことがある。

断酒して、復職して、年を越えたあたりからだろうか、
家族が私にまとわりつくようになってきた。
おかしな言い方だが、いろいろと話を聞いてもらいたがったり、
そばに来て、引っ付いてきたりと、なにかしら、求心力の
ようなものが働いている。

仕事から帰り、一人でテレビを睨みながら、黙々と飲んで
いた頃は、いろいろと気を遣い、子供なりに心配して
いたのであろう。
今のようにまとわりつくことは少なかったように思える。

カミサンも、半ばあきらめていたようで、これも今のように
一日の様々な事について私に話し掛けるということは無かった。

心配も沢山かけたであろうが、同時に淋しい思いもさせて
いたんだなと、あらためて気付かされた。

今や、仕事から帰ると、カミサンは話に夢中、子供はそばに
寄って来てと、夜の団欒の風景は変わってきている。
正直、疲れている時など、少々うっとうしいこともあるが、
これは贅沢というものであろう。

同じ部屋にいて、一人の世界で飲んだくれている者と、
それを気遣いながらも、どうしようもない者が
共に過ごす時間ほど、苦痛で、淋しいものは無いであろう。

それを、何年も続けていたのである。
断酒によって今、やっと家族皆が楽しく、笑顔で過ごせる
時間となったのである。
継続の中で、本当に知らぬ間に、徐々に回復の兆しが自身にも、
家族にも表れてきた事に、ようやく気付き始めたのである。

積み重ねていく過程の中、こうした変化に気付く事が
出来るというのは、幸せなことだ。 
が、それを壊してしまうのは、一瞬の事であることも、
心しておかねばならない。



家族の回復

2006年11月29日 | ノンジャンル
正直に言うと、家族の回復ということには、
あまり思いを巡らした事がなかった。

他の人の体験を聞いて、大変だったであろうことを想像は
できても、自分の家族となると、罵倒や、暴力など、酒害と
される事は全く無かったし、食事を取らずに、飲んで悶々と
している私の姿を見て、心配はしていたであろうが、
実害が無いことと、仕事にはきちんと出ていたことで、
あまり関係が無い様にも思っていた。

だが、実際は、依存症本人の回復よりも、家族の回復の方が
遥かに時間がかかることを教わった。

18年も断酒を継続している方でさえ、家族が何かの拍子に、
その方が飲んでいた頃の負の記憶をフラッシュバックさせる
ことがあるようだ。
家族の回復は、本人の回復の時間の倍は必要だとの事である。
驚いたが、実際は、病気でおかしくなっている状態を、
しっかりとした意識で見てきた家族が受ける苦痛とダメージは、
本人には、想像出来ないであろう。

私も、飲み方がおかしくなり始めたのは、6年ほど前からだと
思うが、昨年、病院につながるまでの5年間、私の気付かない
面で、家族は心を痛め、心配してきたのだと思うと、申し訳ない
気持ちで一杯である。

5年掛けて、悩ませてきた以上、それを癒すには、最低5年、
いや、10年は必要なのかもしれない。
その事も、私自身が肝に銘じておかなければ
ならないことであろう。

かといって、5年、10年という先を見ることは、こと断酒に
ついては気が遠くなってしまう。
まずは、目先の3年、そして、一年を重ねていくことで、
徐々にではあろうが、家族への償いも出来て行くのかもしれない。

失敗して、飲んでしまう事は、本人にとっても、家族にとっても、
振り出しに戻ってしまうことになる。
自分はまた一からと思えても、家族が同じように、
また一からと前向きに考えられるかどうかは、わからない。
またあの最悪のときに逆戻りかと考えると、家族の理解も、
忍耐も、気力も、一瞬で萎えてしまうであろう。

本当に、一つ一つ積み上げていく、積み木のような
ものなのである。



勤労感謝

2006年11月23日 | ノンジャンル
急に寒くなって、手足の先が冷えるなと思っていたところ、
家に帰るとコタツが出ていたのが、先週の事。

もうそんな季節かと思いきや、ここのところ穏やかな気温で、
コタツをつけると暑いくらいで、結局、家族がつっこむ
足の体温で、十分に温かい。

気分転換に、運動して汗をかこうと考えていたのに、
中休みとなった祝日は、一日、ごろ寝をして過ごしてしまった。

勤労感謝の日だから、安息日と、勝手な解釈をして、
ダラダラ過ごすのも、それはそれで良しと考えていたが、
こういう一日の過ごし方も、ここのところ無かったように
思える。

燃え尽きる時というものは、一日、週末、月末、年末と、
仕事を終えた後のある種の虚脱感を伴ってやってくる。
しっかり休息を取って、朝を迎え、月曜日を迎え、
新たな月に望み、新年に抱負を持って活動を開始する。

艱難辛苦を乗り越えて、燃え尽きる直前の頃に、
実りの時期を迎えるという、両極が同時にやってくる日が、
勤労感謝の日なのかもしれない。

もう師走も目の前だが、師も走るといわれるこの月で
完全燃焼して、穏やかな休息となる正月を迎え、
新たなスタートをまた切られるようにと願っている。



授かった鏡

2006年11月21日 | ノンジャンル
同じ両親から生まれても、それぞれ気性も才能も異なって
くるのが不思議な気がするのだが、実際、自身と妹と、
弟二人を見ても、やはりそれぞれ、まるで異なっている。

当り前の事のようだが、自分の兄弟となると、あまり意識して
いなかったのが、自分の子供となると、見方がまるで
違ってくる。
同じ様に生まれ育っているのに、特に気性面では正反対の
二人を見ていて、改めて、一人一人皆異なるという事に、
驚かされる。

自分の子供ではあっても、この世で唯一の個性というか、
個人という何かしら独立したものに、大袈裟ながら、
敬意さえ感じる。

親としての自分やカミサンの庇護のもとにあり、育まれて
いるという点では、子供としての立場であり、親からすれば
扶養家族となり、成人するまでの様々な責任と義務がついて
まわるが、どちらかといえば、育むというよりは、一人の人間が
成人して、自分の足で歩けるようになるまでのお手伝いを
させて頂くという感覚になってきている。

我が家に授かった命ではあるけれども、唯一無二の独立した
個人というものである以上、その可能性は親といえども
計り難い。
親から受け継いだ部分もあるであろうが、それは決して全て
ではなく、渾然と包含した上で、独自の個性というものを
持っている。

一人の人間を育て上げるという事の大変さと、大切さを考える時、
やはり、授かった命である以上、半端な考えでは育て上げられる
ものではないと実感している。
親面をするだけで、まともに育つとは思えないし、未熟な子供に
媚びるようでは、根本的なところで過ちを犯してしまう。

社会を写すというよりも、親を写す鏡として子供を見たとき、
親としてというより、独立した一個の人間として、自らを
振り返って襟を正さずにはおれないのである。



断酒は手段

2006年11月19日 | ノンジャンル
月例会での、院長先生のお話で、「断酒は手段」という事を
強調されていた。

飲酒によって、肉体的にも精神的にもダメージを与え続け、
家庭や社会生活の基本となる、人間関係を損ない、信頼を
失ってきた、長年に渡る酒害を、断酒したからといって、
一気に取り返せるかというと、決してそういうことは無い。
目的は、健全な生活と、健全な自身と、健全な人間関係の
回復にある以上、断酒は目的とされるものではなく、
あくまでも手段であるとのご指導であった。

以前、断酒初期において、全ての変革を断酒によって一気に
求めるべきではなく、断酒自体を目的とする時期もあって
しかるべきであり、今日一日を、飲みたいのを我慢して何とか
飲まずに過ごすという事で精一杯の人に断酒は手段などと
いったところで、何の意味があるのかと疑問を提起した事も
あった。

今回の院長先生のご指導は、少なくともお酒に囚われる事から
一応の脱却をし、例会にも参加して、断酒継続をしておられる
方々に向けてのお話ということで、非常に納得のいく
ものであった。

頭痛や、怪我、胃痛などと違って、それなりの処方、治療を
すればすぐに目覚しい回復を見られる病気ではないので、
断酒という唯一の手段をもって、早くとも3年、5年という
継続的なお酒の無い生活をしていく中で、本当の意味での
回復の軌道に乗れるとの事。
その継続の手助けとして、自助グループがあり、通院がある
とのお話であった。

自分自身に置き換えてみても、1年と半年というのは、本当に
緒についたばかりの時期と考えられるし、これからが正念場とも
言える。確かに、3ヶ月周期でいろいろと波があったとはいえ、
無我夢中の初期は省いて、しっかりと自分の意識の下で断酒を
継続してから、ようやく二廻り目に入ったところである。

ひとつの大きな節目となる3年に向けて、気持を引締めるとともに、
波立つ感情と、精神状態を極力客観的に捉えて、必要な折には
記録してという事を、今後とも継続していきたいと考えている。