ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

旅立ち

2013年02月20日 | ノンジャンル
冬が死の季節だからだろうか。

身近な人たちが相次いで逝去される。

先日も知人のご祖母が亡くなられた。
とはいっても、大正生まれの今年満百歳であるから、
悲しい別れではなかったように見えた。

友人を見送ったばかりであったので、何とも虚しい
思いに包まれていたが、故人のお顔を拝して驚いた。

百歳とは思えない白い、つやのある肌。柔らかな表情。
本当に眠っているとしか思えない穏やかな姿に、
何とも言えない感慨を覚えた。

申し訳ない話だが、友人の顔とは天地の差であった。

故人の顔は、できるだけ穏やかに見えるようにと、
化粧をしたり、言葉は悪いが加工したりする。

それでもその顔には、その人なりの人生が表れる様だ。

死とは新たな旅立ちである。
暗い表情で重い足を引きずりながらの門出なのか。
新春の門出のように、弾むような軽い足取りなのか。

この時にこそ、その人の本当の姿が表れるのだとも思う。

私はと言えば、満足な穏やかさに包まれた顔ではなく、
今にも動き出しそうな、精悍な顔つきでありたいと思う。

とすれば、やはり今を太く生きる他はないのだろうと
思うのである。



歳月

2013年02月04日 | ノンジャンル
あれは2007年。今からちょうど6年前だった。

断酒2年を目前にした頃に、同じマンションの
Yさんが、これまた同じ病気とのことで、
私が通うクリニックを紹介し、通院治療を
することになった。

肝臓がかなりやられている状況で、腹水が
たまり続け、まるで妊婦さんのような姿であった。

内科的にはかなり危険な状況だったが、
同じクリニックに通院を始めてから、断酒を継続し、
みるみる回復していった。

徐々にお腹はへっこみ、顔色も良くなって、体力も
回復していくのが目に見えるようであった。

話好きで、子供好きで、笑顔を絶やさない柔和な
表情で人に接する姿は好感が持てたが、
奥様によると、もともと鬱の気があって、
家ではあまり話をしないとのことだった。

Yさんは真面目に通院していた。私といえば、
もうその頃は出張などで週に一度の通院を飛ばすことも
ままあったが、逆にクリニックに来ていないことを
心配してくれたりもしていた。

家族ぐるみのお付き合いをして頂き、子供たちも
幼いころからずいぶんお世話になっていた。

私とはあまり交友はなかったが、同じクリニックに
通院するようになって、親交を深めていった。

フルタイムではなくとも、仕事にも出るようになって
本当に順調な軌道に乗っていたかに見えた。

2011年正月。正月くらいと、Yさんは一杯の
お酒に手を付けた。
その前年、院長先生は亡くなっていた。

そのことを診察で正直に話したらしいが、担当医に
厳しく責められたらしい。
院長先生なら、あんなことを言わない・・・。

それから、彼は通院をやめてしまった。

即座にというわけではなかったが、やはりなにか
タガが外れてしまったのだろう。
徐々に飲むようになり、家に引きこもりがちになった。

通院は、外出になり、人と接することにもなる。
なんとか通院を再開してもらえるようにと
頑張ってみたが、アルコール専門のクリニックに
通院することはなかった。

彼に会えたのは、昨年の夏ごろが最後だったか。
元気になった頃とは打って変わって、やつれと
体力の消耗が見て取れた。

もうあの担当医もいない、別のクリニックも近くにできた。
何度も説得を試みたが、彼が再び専門医にかかることは
なかった。

奥様と話をする機会も多くあったが、もとより奥様の話を
聞く耳など持っていない。
家にこもることが多くなり、衰弱ははなはだしかった。

結局、通院前の状態に再び戻り、さらに危険な状況に陥った。
再飲酒とは、そういうことなのである。

先月末、訃報が届いた。
奥様は憔悴し切っていた。
もう成人しているとはいえ、子供たちの悲しみの
表情が忘れられない。

この病気の現実である。
こういったケースが、残念ながらごく普通なのである。

そして、判で押したように、みな50代で亡くなる。

Yさんにも娘さんがいる。せめて嫁ぐ日まで踏ん張って
もらいたいという思いも伝えたが、飲んでいては詮もない。

人間50年とは遥か昔の話であるが、今年、私も
半世紀を迎えた。

先のことはわからない。ただ、少なくとも息子が社会に
出るまで、あと5年は石にかじりついてでも
生き延びたいと願っている。

その5年で、できることをすべてやったうえで、あとの
寿命は、天に任せることとする。

彼の死は、大変に残念なことであり、悔しい事でもあるが、
少なくとも私に生き延びる覚悟を改めて固めさせてくれた。

永いか短いかは別として、太く生きる覚悟を改めて固め
させてくれたのである。

その覚悟とともに、謹んで、ご冥福を祈りたい。