ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

スッキリ

2008年04月29日 | ノンジャンル
連休は、カレンダー通りです。

取引先によっては、11連休というところもありますが、果たして
そのあと、まともに社会復帰できるのか甚だ疑問です。(笑)

以前、ケースワーカーさんに聞いた話では、お盆やお正月休み
というのは、それなりに行事や、する事があるので意外と
スリップの危険性は高くないのだが、このGWという、
いわば自由連休とも言える時期の後は、一気にスリップによる
再入院者の数が増えるそうである。

なるべくこの時期を暇に過ごす事が無いよう、各自助グループも
様々な行事をおこなっている。

さて、今までは子供達がどこかへ連れていけだとかうるさかった
この時期だが、今年はそれぞれ部活やら大会などで忙しいらしい。

飛び連休だが、ゆっくり出来るなと思いながら部屋を見渡すと
どうも雑然としていて、落ち着かない。

えい、やっぱりたまに俺がしないと駄目かと、家じゅうの整理整頓、
掃除に取り掛かった。

小さいからだのカミサンは大らかな性格。大きなからだの私は、
結構細かいところが気になるタイプ。

普段の掃除や整理で、手が届いていないところを徹底的にやる。
ものづくりと同じで、こだわりをもって手を抜かずにやれば、
やっただけの結果が具体的に表れる。

普段のデスクワークとは違う作業が、気分転換にもなる。
ほぼ一日がかりでスッキリさせた。

からだが大きい分、部屋が雑然として、スッキリとした空間が
無いと、どうもストレスが溜まる。
気分転換となるこだわりの作業をして、その結果がすぐに目の前に
現れて、気分も空間もスッキリとした中で、一杯のコーヒーを喫する。

うん、至福の時である。




幽霊

2008年04月28日 | ノンジャンル
心霊現象の話でも、怪談でもない。私のことである。

その夕は、丸二日二晩、一睡もせずに幻視、幻聴と戦いながら
仕事を続け、家に帰って風呂から上がり、いわゆる離脱症状の
ピーク時であった。

気力体力の限界の中、かろうじて自分では理性を保ちながら、
カミサンにこの病気のことと、その時点での自分の状況を
理路整然と話しているつもりであったが、気がつけば目の前の
彼女は涙を流していた。
まるで幽霊と話をしているようだったという。

とにかく、私から目が離せない、ここは地上10階、
自分が入浴する事すら怖くて出来ない。
考えあぐねて、私を父親の所へ連れて行くことにしたのだが、
彼女にとってもよほどのショックであった事は間違いない。

結局、三日三晩と半日以上、一睡もせずに戦いを続け、
病院へ駆け込んでようやくその戦いに終止符がつけられた。

またあの悪夢の時期がやってくる。不思議なことに、
時間が経てば経つほど、あの自身の原点となるときの事が、
記憶に生々しく蘇る。

回復というのは、自身の原点を深く鮮明に
心に刻む事であるかもしれない。




良い話

2008年04月27日 | ノンジャンル
先日の院内例会に出席されていた看護士さんに後日声を掛けられ、
私の話がとても良かったと、わざわざ仰って頂いた。

その時は素直に嬉しく、そうですか、ありがとうございますと
返答したのだが、よく考えれば、私は自分の経過を慨して話した
だけである。

やはり、人の話の良し悪しは、聞く側において決められるという
事なのだろう。
誰が聞いても、良い話というのもあるが、人によって
受け止め方が違う以上、その話自体は事実でも、良いかそうでは
無いかは、やはり聞き手によって左右されるものである。

医療の現場で、回復を願いながら努力しつつも、再飲酒によって
何度も裏切られることに疲弊していく中、現実に回復の軌道に
乗っている者の話を聞き、その努力が決して無駄ではない事を
実感できれば、その話はこの上なく良い話となるであろう。

例会では、普通、他人にはとてもではないが話せないような、
赤裸々な体験談が繰り広げられる。
こういう場は本当に貴重で、そこで話される体験談自体が
一つ一つ、本当に貴重なものであることを改めて考えていた。

患者本人の回復の根本的な場であると共に、医療に携わる
ものにとっても、「燃え尽き」を回避し、力を得る事ができる
場であるのだ。

回復の難しい病気であるからこそ、現実に回復の途上にある
ものが集い、体験を共有したり、力を得たりできる場がある
というのは、本人にとっても、医療側にとっても
ありがたい事なのである。

話に関して、例外を挙げるなら、自慢話というものはどうも
悪い話ではなさそうだが、なかなか聞き手にとって良い話と
なる事が少ないようである。



自分と向き合う

2008年04月26日 | ノンジャンル
病院では月に2回、女性患者のためのミーティングが
行われている。

同じ病気とはいえ、男性と女性では事情が異なる面も特に多く、
体験を共有するという面では、女性のみのこういった場は
大切である。
自助グループにおいても、家族のみの場、女性のみの場が別に
あって、啓蒙活動を行っている。

ところで、このミーティングのテーマが今回、今のご主人と
結婚していなかったら、他の男性と結婚していたら、あるいは、
一人身であったなら、この病気に成らなかったか?というような
ことであったらしい。

かなり珍しいテーマだったので、進行役の看護士さんが私に
相談してきた。逆の立場で考えてどうでしょうか?と。

確かに、誰でも、もしも今の相手とは違う人と結婚していたらとか、
結婚せずに一人でいたとしたら、今の自分や、自分の環境はまた
違ったものになっていたかもと考えるだろう。

この病気の患者は特に断酒初期の頃、こういう事を良く考える。
何故自分はこう成ってしまったのか。そして、自分の過去を
振り返りながら、これからさきのことをも考えるのだが、
往々にして自分の置かれた環境、人間関係など、自己の周りに
その原因を見出そうとする傾向がある。

だが、回復が進んでいくに連れ、自分自身と向き合えるように
なっていく中で、誰と結婚しようがしまいが、どんな環境に
あったとしても、自分は自分でなるようにしてこの病気に
なった事を自覚するようになる。

つまり、母親の言葉を借りれば、
「人のせい、周りのせいにしている間はまだまだ。」
という事なのである。

そういう話を看護士さんにした後、彼女はミーティングに入った。

その後、看護士さんのお話では、テーマがテーマだけに、
ミーティングはかなり盛り上がったようだが、結論的にはやはり
本人の問題であるという事で、意見もまとまったようである。

なるべくしてなった病気であると自覚すれば、過去の自身に
向き合って、これからをどう生きるべきかということを常に
前面に置いて、そのためにやるべき事を逃げずに一つ一つ
していく他は無い。
今までは、それを避けて、お酒に逃げ続けていたのである。

自分の生きる道を歩いていく中で、たびたび直面する障害は、
自分との闘いを制する以外に乗り越えていく事は出来ない。

誰の人生を生きているのでもない、自分自身の人生を
生きているのである。