ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

確率

2016年01月28日 | ノンジャンル
お酒をやめた方が良いと思っている人
1,000,000人

お酒に問題を感じている人
200,000人

専門病院へ行き、受診する人
40,000人

依存症であると認め、断酒する人
8,000人

3ヶ月継続する人
1,600人

1年継続する人
320人

2年継続する人
64人

お酒で問題を感じている人の100人のうち、
わずか3人が断酒の軌道に乗る。

これは、選ばれし者などではなく、
運の良かった人達である。

失敗するのが当たり前、失敗しなければ、
丸儲けということなのだ。

これからも、丸儲けで行く。






寒波

2016年01月25日 | ノンジャンル
昨日は今年一番の冷え込みで、寒いというより
痛いような一日だった。

大阪でも雪が積もるような予報だったが、
何のことはない、今朝は青空が広がっていた。

しかし沖縄でもみぞれ、香港でも雪が舞ったそうで、
九州、中国方面の方が雪が多く、事故や欠航、欠便、
電車の遅延、運転休止など混乱した。

私が生まれた年も、三八豪雪と呼ばれた年で、
そのせいか、極端な寒さとか、暑さには強くて、
中途半端な肌寒さ、蒸し暑さに弱いようである。

大体、風邪をひいたり、体調を崩すのも
春とか秋が多い。

さて、また一年をしっかり生きましょうという
天の計らいか。
久し振りに凍りつくような誕生日となった。





大衆迎合

2016年01月21日 | ノンジャンル
普段、一般の昼勤の社会人は、昼間のテレビを
見ることがない。

朝のニュース、夜の報道番組を見るのが精一杯で、
トレンディドラマだの、国会中継だの、
バラエティーなど、ほとんど見る時間がない。

だからこそ、おじさんは新聞を狭い車内で広げ、
通勤の時間を情報収集にあてているわけだが、
混み合っていれば、それも迷惑な話である。

私はもっぱら、席に座れたときのみ本を読むか
携帯でニュースサイトを見る。

さて、新聞の番組欄が、いわゆるトレンドの収集源
なのだが、どれもこれも芸能関係ばかりが目につく。

実際、帰宅して報道番組を見ていても、芸能ニュースが
新聞で言えば一面トップ並みの扱いで放送されている。

もっと他に伝えるべきことがあるんじゃないかと思うが、
報道番組のバラエティー化は止まらない。
いわゆる視聴率という、我々で言えば利潤追求に
終始しているがゆえの現象でもあろう。

しかしながら、朝と夜の限られた時間で見る報道番組が、
失礼ではあるが、有閑婦人方の井戸端会議のような
ものとなってしまっているのは嘆かわしい。

報道、ニュースと称する以上、もう少し骨のあるものに
ならないか。
記者が肉体的、精神的にギリギリのところで取材し、
原稿を書き、出版、放送するという反骨精神がどこかに
あっていいはずだが、反骨という言葉も死語になって
しまったか。

その中で、やはり地元紙というのは血の通った内容が多い。
阪神淡路大震災、東北大震災を自ら体験し、被災者となった
記者の書いた記事は、胸に迫る。

大衆伝達をマスコミュニケーション、マスコミという。
大衆の受けを志向するのか、大衆に訴えることを
志向するのか。

その報道の質は、その志向において180度異なる。

いいかげん、どうでも良いことは差し置いて、その報道を
見た人たちが、自分なりに考え、自分にできることを
具体的に行動に移せるような、魂に響く報道を期待したい。




ドライ

2016年01月14日 | ノンジャンル
歳を経るごとに感じる衰えというものは、
避けようもないのだが、それはそれなりに
うまく付き合っていけるスキルも積み重ねて
きている。

ここという時に無理がきくかどうかは、
もちろんその時の気力にもよるが、日頃の
節制や管理が土台にないと厳しい。

ところで、最近富みに感じるのが、身体の
乾燥である。
水分補給はまめにしているのだが、仕事上では
ドライアイになりがちだし、大して話もして
いないのに口が渇いたり、唇が乾く。

書類のページをめくるのに指が滑って
もどかしいのは久しい。

肌も手足が乾燥しやすく、乾燥肌でかゆみを
伴うこともある。

湯船につかると、水分が肌に沁み込むように
感じるが、風呂から上がると、たちまちに
その水分が蒸発していくようだ。

枯れてきたと言えば言葉はいいが、水分不足と
いうのは、どうも具合が悪い。
体内の水分を保水できる方法はないものか。

クリームなど、外からの対症ではなく、体質的に
改善できるようなものがないか探してみる。
水分摂取はかなり多いと思うが、それと同等以上、
排出している気がする。

寒さが厳しくなってきて、今最も欲しいものが、
「潤い」なのである。





習慣

2016年01月12日 | ノンジャンル
一日に何度となくすることを継続していけば、
それはやがて習慣となっていく。

赤ちゃんがおっぱいを飲む。
その繰り返しが、口さみしさになり、
おしゃぶりを必要としたり、指を吸ったりする。

まあこれは、本能的な要素も大きいだろうが、
例えば車のシートベルトでも、初めはわずらわしく
感じても、乗るたびに着用することを繰り返すと
それが習慣となり、着用しないと落ち着かなくなる。

こうして習慣化したことというのは、いざそこから
脱却しようとすると、非常に難しい。

飲酒や、喫煙も、やがては生活習慣病へと
進んで行くのはむしろ当然のことである。

逆に言えば、何事も習慣に至るまでには、
ある意味忍耐強い継続が必要とされる。

ならば、良い習慣を増やしていくためには、
その忍耐強い毎日の継続が不可欠となる。

今年は、この忍耐強い毎日の繰り返し、
積み重ねをテーマにして、良い習慣を一つでも
増やしていきたいと思う。

ただ、その習慣が、慣れによって惰性となって
いくと、あまり意識しないでそれを繰り返す
ことはできるが、そこに感謝も喜びも薄れていく
ことになる。

客観的に良い習慣であれば、必ず自身にとって
良い結果を常にもたらしているはずだ。
感謝と喜びを忘れることこそが、人の不幸の
根源ではないか。

有難うは、当たり前の反対語である。
当たり前と思うのか、有難いと思うのか。
それ自体が生き方でもあり、幸不幸を分ける
分岐なのかもしれない。