お台場にいるからというわけではないが、有名なセリフ、
「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!」
を思い出した。
彼がこのセリフを口にした時より、10年以上前から、
私はこのセリフ通り、現場主義者であり続けている。
理由は、簡単である。現場でしかわからないことが多いからだ。
いくら情報が多くとも、映像や鮮明な資料があろうと、現場には
現場に流れる独自の空気がある。
それに触れなければ、見えないことが多いのである。
私は、現場が好きである。つまりその空気に触れることが
好きなのである。物事の実態を見るには、いや、感じるには、
現場に出るしか方法がない。
今年は、年明け早々から、現場での仕事ばかりである。
それだけ、予期も想定もしていない事態に陥ったり、
様々な突発的な問題が惹起したりと、必要十分以上と思われる
周到な準備をしていても、結局、現場で臨機応変に、
柔軟に対応せざるを得なくなる。
不安と緊張、うまくいくようにと祈るような想い。
時に、もう投げ出したくなったり、どうでもいいかと
開き直りたくもなる。
あるいは、絶望的な状況の中で、進退極まることもままある。
だが、そんな中で智慧を振り絞り、手を打つ中で、打開の光が見え、
解決につながったときほど、無上の喜びを感じる時はない。
「問題発生!」という時に、いやな予感と不安と同時に、
変な期待と良い意味での緊張に包まれる。
あの感覚も、なんだかわくわくする感じで嫌いではない。
さて、断酒を継続していくことにおいての現場主義は、
ブログでも掲示板でもない。
家で抗酒剤を服用する。通院する。例会に出席することである。
病識を得ることは重要ではあるが、現場とは行動である。
思い悩んで、逡巡している暇はない。行動の中で物事を感じ、
自らの実感としていくなかに、断酒の継続の喜びを得ることが
できると信じている。
これからも、私の信条としては、死ぬまで現場主義で
生きたいのである。
「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!」
を思い出した。
彼がこのセリフを口にした時より、10年以上前から、
私はこのセリフ通り、現場主義者であり続けている。
理由は、簡単である。現場でしかわからないことが多いからだ。
いくら情報が多くとも、映像や鮮明な資料があろうと、現場には
現場に流れる独自の空気がある。
それに触れなければ、見えないことが多いのである。
私は、現場が好きである。つまりその空気に触れることが
好きなのである。物事の実態を見るには、いや、感じるには、
現場に出るしか方法がない。
今年は、年明け早々から、現場での仕事ばかりである。
それだけ、予期も想定もしていない事態に陥ったり、
様々な突発的な問題が惹起したりと、必要十分以上と思われる
周到な準備をしていても、結局、現場で臨機応変に、
柔軟に対応せざるを得なくなる。
不安と緊張、うまくいくようにと祈るような想い。
時に、もう投げ出したくなったり、どうでもいいかと
開き直りたくもなる。
あるいは、絶望的な状況の中で、進退極まることもままある。
だが、そんな中で智慧を振り絞り、手を打つ中で、打開の光が見え、
解決につながったときほど、無上の喜びを感じる時はない。
「問題発生!」という時に、いやな予感と不安と同時に、
変な期待と良い意味での緊張に包まれる。
あの感覚も、なんだかわくわくする感じで嫌いではない。
さて、断酒を継続していくことにおいての現場主義は、
ブログでも掲示板でもない。
家で抗酒剤を服用する。通院する。例会に出席することである。
病識を得ることは重要ではあるが、現場とは行動である。
思い悩んで、逡巡している暇はない。行動の中で物事を感じ、
自らの実感としていくなかに、断酒の継続の喜びを得ることが
できると信じている。
これからも、私の信条としては、死ぬまで現場主義で
生きたいのである。