ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

春から冬へ

2012年02月29日 | ノンジャンル
台湾への出張で、現地に着くとまるで春の陽気だった。

あの何となくけだるい生暖かさを、一足先に感じた訳だが、
時間が経つにつれて身体が芯からほぐれていくような、
そんな心地良さに気分も緩んでいった。

帰国すると、途端に空気の冷たさを感じ、随分と
損をしたような気になった。

それでも、まだ暖かい方だろうと思っていたら、
今度は栃木へ出張。
着いた夜は、小雨がぱらついていたが、それほど寒くは
無かったと思う。

ほんの4-5時間の事だと思うのだが、雨は雪に変わって、
早朝、外を見ると真っ白だった。

雪も吹雪のように降っていて、景色を白く曇らせる。
その日は現場で、屋外での作業である。

雪の中、およそ4時間弱で無事に終わったものの、
身体の芯まで冷え切って、またカチカチに固まって
しまったような感じがした。

今週末はまた東京だが、今日は雪だったらしい。

季節は冬から春へと向かうが、やはりそのリズムに
乗った方が、身にも心にも良いのだろう。
春から、冬へと逆戻りした私の身体は、なんだか少し
おかしくなっている。

一段落したら、少し休息を取ろうと思う。






自分を生きる

2012年02月14日 | ノンジャンル
50年近くも生きていると、どうしても視点を向ける方向が
横や後ろに行きがちである。

横であれば比較となり、後ろとなれば懐古となる。
前を向いて、鏡に向き合えば、がっかりさせられる
自分の現実の姿がある。

生きていくということは、それだけでなんと苦しいのだろう。

ひたすら死に向かって進んでいくにも拘らず、
健気にも命の鼓動は、今日も飽かずに体内に響く。

自分は生きようとしている。どれほどの理屈を立てようと、
その生きようとする、前へ進もうとする生命の律動だけは
誰にも、自分自身にも否定することはできない。

ならば、ともかくも、前を向いて、前へ進もうではないか。
人の死がゴールなのかどうかはわからない。
だが、ゴールだとしても、それがいつなのかは
誰にもわからない。

生きられるだけ、生きていくしかないのである。

横を向いて、比較に翻弄されるよりも、後ろを向いて
済んでしまったことを悔やむよりも、今の自分に向き合って、
ありのまま、前へと向かうほかに、己の成長も可能性も
期することはできない。

地球が自転し、陽のあたる場所が変わるから昼と夜が
区別されるのみで、地球は常に回り続けている。

この回り続けるということが、自身の内にもあることを
思えば、今日の自分を、明日へと向かって生きるのみである。

自分を生きる。このことが、少しずつ分かってきたように
思えるのも、年の功というものか。

失ったものも多いかもしれないが、得たものも同じく多い。
人生、やはりトントンということなのであろう。




自らの命

2012年02月10日 | ノンジャンル
断酒については、これまで繰り返し記事にしてきたので、
自身の中ではそれなりの整理が出来上がっていて、
ことさらに取り上げることが少なくなってきた。

とはいえ、完治なき病気である以上、生きている限り
断酒という課題がつきまとうし、より良く生きていこうと
するなら、断酒はその大きな条件の一つでもある。

糖尿病患者がカロリー制限、インシュリン投与を
欠かせないのと同じく、我々もお酒をやめ続けるという
ことが欠かせないのである。

いずれにしても、厄介なのは、この病気になって、
お酒が飲めなくなったわけではないということである。
肉体的に回復し、健康を取り戻せば、飲むことはできる。

しかしながら、この病気は内科ではなく、神経科、精神科で
対症するものであり、だからこそ自身の飲まない意識を常に
初期の頃のままに維持していくことが肝要なのである。

最も苦しい初期においては、物理的に飲めなくさせる。
つまり抗酒剤の適用である。
飲めば死ぬほどの苦しみを味わう。それが抑制となって、
お酒を飲まない。それを習慣づけるのである。

特に副作用がなければ、その日一日を飲まないという、
日々新たな意識で、抗酒剤を服用し続けることは望ましい。

ただし、それがいつまでも強迫的に飲めなくさせられている
という抑圧的なものであれば、生きること自体が
苦しくなってしまう。

お酒を飲んでもすぐに死ぬわけではない。
仮に、いわゆる失敗をしても、またやり直しはできる。
だが、何度でもとは言えないのである。

その人の状況によるが、幾度かの失敗を繰り返し、そのまま
亡くなってしまった人も多くいる。
この病気に至るまでに、どれほど自分の肉体と精神にダメージを
与えてきたかは、人によって千差万別である。

親に勉強しなさいとよく叱られたものだが、それは強いられて
勉めるということである。
抗酒剤に強いられてする断酒は苦しいものだろう。

勉強せねばならない意味を見出だせば、それは自ら問うて学ぶ
学問となる。
いずれも、知識の集積ではなく、自らの可能性を開くために
必要なものなのである。

この病気を識り、断酒の意味を見出だせば、飲めないではなく、
飲まないという自らの意志となる。意志というものの大前提は、
生きるということである。

今日を生きるという意識で抗酒剤を服用し、あるいは飲まない
決意を新たにし、一日を過ごす。
これが一日断酒であり、それはそのまま今日一日を生きる
ということである。

お酒を飲めなくなったわけではない。飲めなくさせられたという
ことでもない。 自ら、飲まないと決めたのである。
それはそのまま、生きられるだけ生きると決めたのである。




絶句

2012年02月02日 | ノンジャンル
いったい、この一月はどうなっているのか。
などと言いながら、ひと息つく間もなく、気がつけば
もう2月に入ってしまっている。

めまぐるしいとはこのことか。
確かに私は日々の連続の中を生きている。
しかし、やはり少しはメリハリをつけたいとも思っている。

それは日程的にというよりは、やはり心の問題で
あろうとも思う。

昨年の大震災から、一年を迎えようとしている今、
どこかでもう過去の事として捉えてしまっている
自分自身に気がついた。

永い間連絡を取っていなかった東北の取引先に、
連絡を取った。
いつもの担当者宛ての返信が、違う方からのものだった。
女性であったので、退職されたかと呑気なことを
考えていた。

確認事項があったので、電話をかけ、確認後、その方が
どうされているのかを辞儀的に訊いてみた。

「先の震災で亡くなりました。」

後ろから頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
絶句し、何の言葉を発することも一瞬できなかった。

電話を切り、涙があふれた。彼女は45歳であった。

いつも明るく、誠実で、それでいて温か味と、純粋さを
感じさせる声で、本当に楽しそうに笑う無邪気な声に、
いつも心癒されていたものである。

震災から一年近く経つ今、変わるべきものが何も変わらず、
変わってはならないものがどんどん変わっている気がする。

それを私自身の内に見出だすこととなった。

震災は起こった時だけではない。
その後も続いていることを改めて思い知らされた。

友人も命からがら逃げ延びた。
だが、現実に知り合いが亡くなったことを聞いて、
遺されたものにとっての震災はあの時のまま連続している
ことを思い知ったのである。