お盆を過ぎても、厳しい残暑と雷雨、熱帯夜が
続いているが、それでも風のかほりに、
秋の気配が漂ってきた。
気が付けばという言い回しが今年は多いような
気がするが、もう8月も終わりである。
毎年、加速度的に時の流れを早く感じながら、
自身の成長というのはなかなか実感できにくい
もののようである。
それとは裏腹に、身体の衰えというものは日に日に
実感をもって訪れる。
歳を取ると、それなりの知識と経験が身につくものだが、
それがかえって足かせとなることもままある。
何を聞いても、見ても、どこかで聞いたことがある、
見たことがあるということが多くなり、なかなか
新鮮な感動というものにお目に掛れない。
時には、先が見えることで、おかしな諦めや虚しさが
先走りすることさえある。
要するに、好奇心の衰退なのかもしれない。
古くなったスポンジのようにはなりたくないが、
古いタオルのような吸収力は持ちたいものである。
躊躇と諦めが多くなると、人間の心身というものは
衰退するもののようだ。
面倒くさいということも、その現れであろう。
挑戦。 何を青臭いと思うなら、すでに衰退である。
好奇心と、挑戦の精神を失わない人こそが、
いつまでも若々しいのだろう。
挑戦、勇気、好奇心、そして自身に対する闘争心。
無茶でも無理でもなく、その瑞々しさを持ち続ける中に
感受性は研ぎ澄まされる。
自分の感受性くらい 自分で守れ バカ者よ
そういう一節が詩にあった。
今の自分、これからの自分に対して、
耳の痛い戒めなのである。
続いているが、それでも風のかほりに、
秋の気配が漂ってきた。
気が付けばという言い回しが今年は多いような
気がするが、もう8月も終わりである。
毎年、加速度的に時の流れを早く感じながら、
自身の成長というのはなかなか実感できにくい
もののようである。
それとは裏腹に、身体の衰えというものは日に日に
実感をもって訪れる。
歳を取ると、それなりの知識と経験が身につくものだが、
それがかえって足かせとなることもままある。
何を聞いても、見ても、どこかで聞いたことがある、
見たことがあるということが多くなり、なかなか
新鮮な感動というものにお目に掛れない。
時には、先が見えることで、おかしな諦めや虚しさが
先走りすることさえある。
要するに、好奇心の衰退なのかもしれない。
古くなったスポンジのようにはなりたくないが、
古いタオルのような吸収力は持ちたいものである。
躊躇と諦めが多くなると、人間の心身というものは
衰退するもののようだ。
面倒くさいということも、その現れであろう。
挑戦。 何を青臭いと思うなら、すでに衰退である。
好奇心と、挑戦の精神を失わない人こそが、
いつまでも若々しいのだろう。
挑戦、勇気、好奇心、そして自身に対する闘争心。
無茶でも無理でもなく、その瑞々しさを持ち続ける中に
感受性は研ぎ澄まされる。
自分の感受性くらい 自分で守れ バカ者よ
そういう一節が詩にあった。
今の自分、これからの自分に対して、
耳の痛い戒めなのである。