ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

HALT

2017年09月28日 | ノンジャンル
断酒を継続する上で、忌避せねばならない、
飲酒欲求を誘発する四大要因である。

基本は規則正しい生活であることは言うまでもない。

空腹は、ともかく食べるということで解決できるので
最も制御しやすい。

疲労も意識して睡眠をとるという事で軽減できる。

やはり、基本は、食べることと寝ることなのである。

ところが、怒りと孤独は肉体的ではなく、精神的な
面であるゆえに、制御するのは難しい。

そもそも精神科、神経科に配される病気に
罹患している者にとっては、最も難しい面だろう。

怒らなければいいというのは、到底無理な話である。

四六時中怒っている人はいないし、怒りの機会が
無ければ平穏でいられるが、着火と同時にみるみる
燃え広がるのが感情というものだ。

それを無理やり消そうとしても、いつまでもくすぶり
続ける事になる。それは抑圧で、怒りそのものよりも
かえって厄介になる。

自身の場合は、燃えにくい素材をイメージしている。
着火の機会があっても、まるで他人事のようにそれを
眺め、一呼吸置いてから対処するようにしている。

怒りに耐え難い時は、一旦、HALT、つまり停止して、
一晩寝た上で、それでも収まらないなら、具体的な
行動に移す。

但し、それはネガティブではなく、ポジティブな
行動にする。
相手の理不尽さに怒る時は、より誠実な対処と行動に
意識を移す。
相手の問題を、自分の問題としてしまうのは
バカバカしい。

恐らくこの主要因の中で最も難しいのが、
孤独という事である。

一人にならないようにとはよく言われるが、
一人だから孤独だとは限らない。

大勢の人たちの中にいても孤独は感じるし、
一人でも孤独を感じない場合もある。

淋しいというのは、人恋しいという事ばかりでは
ないのである。

上空で夜空の星の瞬きの中にいる時、
まるで母親の胎内にいるような安らぎで、
孤独も淋しさも感じない。

数え切れないほどの群衆の中にあって、
痛いほどに感じる孤独と淋しさ。

こればかりは、理屈抜きで、My One、Your One
という、一対一の関わりに依るしかないで
あろうと思うのである。





いつのまにか

2017年09月26日 | ノンジャンル
高校時代、理数系と文系に分かれる時、随分悩んだ。

結局、英語の授業が圧倒的に多いという一点で
文系を選んだ。

広く世界を飛び回りたいという夢を持って、
現在の会社に就職した。

英語を学び続ける事、あらゆる文化や言語、
習慣や生活の違いを越えた交流をする事。

若い頃のそんな夢は、文字通り世界中を飛び回る
仕事で、かなえられた。

しかし単に製品を右から左へ営業販売する商社の
仕事は自分には合っていないように思えた。

仕入先は、より高く売りたいし、顧客先はより安く
買いたい。その矛盾の中で、いわゆる営業としての
手腕が問われるわけだが、そのあたりのスキルは
いまだにない。

心にもない営業トークなどできない。

ところが、商社不要論なるものが出て、それまでの
いわゆる仲介的な機能だけでは商社自体が
成り立たない時代となった。

それに先駆けて、製造メーカーに機能提案し、
顧客のニーズを先取りするという、技術営業を
社内で初めて進めた。

そこで思いもかけず、文系を選んだことで
止まっていた数学、幾何学、化学、物理の勉強を
改めて進めることにつながった。

こうしてみれば、いつのまにか自分のやりたい事
全てができているではないか。

まして、興味はあっても、当時は閉鎖的なイメージの
教職の道は、選択肢にもなかったが、今、地域の
小中高の子供たちに英語を教えるという機会にも
恵まれた。

これはもう、身に余る幸運に感謝でしかない。
日々の生活は、多忙の中で、むしろ苦難の方が
多いように思えるが、何のことはない、
望むことをしているが上の
苦労ではないか。

ふと振り返った時に、「いつのまにか」に
感謝できる事ほど、幸せな事はないだろう。





追跡

2017年09月25日 | ノンジャンル
仕事上、製品の欠陥や不具合については、徹底的な
追跡調査が必要となる。

原因が明らかでない場合、組み立て品なら、
原因となる可能性のある部品をそれぞれ
検証していく。

輸送時、組付け時、部品仕上げ時、部品加工時、
部品成形時、素材と、その製品の過去を遡り、
原因を洗い出していく。

そこで原因を特定し、直ちに対策なり、改善を
実施し、同じ問題が起こらないようにする。

しかしながら、その原因によっては、ロットアウト
といって、一定期間に製造されたもの全てに対し、
再検査と確認が行われる。

世間でよく言われているリコールというものだ。
これを引き起こすと、大変な作業となる。

ただ、製品である以上、この問題の原因というのは
ハッキリとした形で現れることが多い。
フローチャートに則って、追跡調査をすれば、
大抵の原因は判明する。

したがって、対策や改善も具体的に
施すことができる。

だが、人間となるとそうはいかない。
その人自身が常に変化し続けているからである。

フィジカル、メンタル共に、変化の中で複雑に
累積されてきたものを追跡調査したところで、
かなり大まかな傾向性を見出すのでやっとであろう。

その本人ですら、自身の傾向を詳しく把握している
とは限らないのである。

よって、過去を振り返ることは、過去に囚われる
ことではなく、自身の傾向をある程度承知した上で、
より良い変化を今日、明日へと志向していくためで
あった方が良い。

そこに、学びと行動という、生涯に渡る光があると
信じるのである。





お彼岸

2017年09月23日 | ノンジャンル
昼と夜の時間が等しくなるお彼岸。

春と秋のこの節目の頃が心身ともに谷の
時期でもある。

此岸から彼岸へ。
それは、現世よりあの世へ、迷いより悟りへ、
あるいは凡夫より仏へを意味する。

ただ、そこに川があって隔てているという
ことではない。此岸は彼岸であり、
彼岸は此岸である。

つまり、生きる者は自他彼此の心なく、
生死一体と捉えることが肝要だ。

母親は亡くなったが、私が生きる限りは
共に生きている。

故人のことを悪く言うことは憚られるが、
共に生きている意識でいれば、普通に
憎まれ口も叩ける。

そこに何ら隔たりは無いのである。





寄り添う

2017年09月22日 | ノンジャンル
ふと思い出したことがある。

その人は、我が子を幼くして失った。

悲しみのどん底にいる彼女に、
ある人は、先祖に罪人がいるからだと言い、
ある人は、過去の宿業だと言い、
ある人は、また子供を産めばいいと言った。

そして、互いに互いの言葉を責め合い、
塗炭の悲しみに喘ぐ彼女は置き去りにされた。

それでも、それぞれの人の言葉が、匕首を
突き立てられ、揉まれる様に感じた彼女は、
お祓いを受け、家系のルーツを出来得る限り
遡って、罪を犯した者がいないか調べ上げた。

結局、その作業に夢中になっている束の間、
少し悲しみから逃れることはできたが、
悲嘆に疲労困憊を上乗せしたにすぎなかった。

身も心も疲れ果て、我が子のもとへ行こう
ということしか頭に浮かばない中、
その子を可愛がってくれていたご近所さんが
弔問に訪れた。

長い、長い祈りの中、その人は嗚咽こそ
洩らさなかったが、ポロポロと涙していた。

そして、独り言のように口にしたのは、
その子はあまりにも綺麗で純粋な心を持って
いたので、穢れたこの世界では、生きては
いけなかったのかもしれないということだった。

彼女は、まるで自分の子を失ったかのような
そのご近所さんの祈りと涙に、そして、
その独り言に、初めて救われたような気がした。

端的に言えば、この世界で、今を生きる者が
一番大切なのである。

葬儀も、法要も、供養も回向も墓参りも、
それを執り行うのは生きている者である。

それは、故人の為ではなく、今を生きる者の為に
行うのである。

互いに、今を生きる者として、互いを置き去りに
してはならないと思うのである。