ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

国会中継

2013年11月22日 | ノンジャンル
一般的に平日の就業時間とされる時間帯に国会の審議も
されるので、その内容について始めから終わりまで
中継を見ている人は少ない。

当然のことながら、昼間に就業している人は、出勤前や
帰宅後のニュースなどで、そのハイライト的なものを
見るわけだが、一日かけて審議した割には、決定された
項目が少ないか、先送りかといったことが目立つ。

これは、一般の会社ではありえないことである。

たまに平日、休暇となって、たまたま中継を見る
機会があると、なるほどと思うのである。

質疑応答など、もってまわった物言い、粗探しと
弁明と切り返しの応酬、およそ審議内容にはまるで
関係のないやりとり。

スピード時代と言われて久しいが、国会だけは
別の世界のようである。

どのような審議であれ、党利党略よりも国民に奉仕する
事を根本としていれば、あのような体たらくには
ならないと思うのだが、どうやら当選するまでに
力を使い果たして、肝心の仕事の場で居眠りする
議員も多い。

あれでは、決められる事もなかなか決まらないし、
決めるべきことも先延ばしにされるのみである。

もう少し、各議員が信念と理想を持って、一つの審議に
真剣に取り組めないものか。
当選をゴールと勘違いしている議員があまりにも多い。

一国の最高会議であることを、その中継を持って、
国民に示していくべきところを、かえって国民を
愚弄し、失望させる内容に、せっかくの休暇が
気分的に休暇ではなくなってしまった。

どうでもいいことに、時間とお金を使い過ぎなのである。
そういう使い方ができるほど、国の財政も経済も
豊かではない。むしろひっ迫している。

彼ら議員を支援している国民の方が現実の生活を
忙しく送っている。
議員となったものは、むしろ民間企業で研修を行った
方がいいのではないか。

ともあれ、国民の上に胡坐をかくような議員は
見ていて不快極まりない。

これからの選挙は、選ぶのではなく、ダメな議員を
排除するための投票となるかもしれない。

議員としての実績を成績表にして、国民の信を
問えばいい。

ともかく、国民を背負っているという重圧を
自身の責任とした、緊張感のある場に
してもらいたいと思うのである。





豊かさ

2013年11月14日 | ノンジャンル
物質面の豊かさを追い求めてきた、いわゆる経済大国の
行き詰まりが近年著しい。

成長過程にあるならまだしも、成熟期を過ぎた頃になると
その精神支柱が揺らぎ、新たな社会問題を抱えることと
なってしまっている。

物質面の豊かさが人々の幸福とはなりえないことを
皮肉にも証明してしまっているのである。

戦後の何もない、その日一日を生きることに必死であった
時代の人々の方が、生きるという点で、今の人々よりも
よほど幸せではなかったか。

幸福につながる豊かさとは、心の豊かさに他ならない。

年間の自殺者数が、15年ぶりに3万人を切ったとの報道が
あったが、逆にいわゆる変死者数は増えている。

自殺でないのに自殺者とされている場合もあるだろうし、
自殺であるのに自殺とされていない場合もあるだろう。

そう考えると、自殺者数が減ったというのはどうも眉唾である。

いずれにせよ、15年以上、毎年3万もの人が自死する社会を
どう考えても豊かな社会とは考えられない。

国のかじ取りを任されている人々はもちろんのこと、
我々自身もまた、「豊かさとは」という根本的なテーマに
今一度真摯に向き合うべきではないかと思うのである。





時代錯誤

2013年11月01日 | ノンジャンル
秋も深まり、もう11月。

園遊会が催されたと聞いて、もうそんな時期かと
驚かされた。

巷ではクリスマスグッズがもう店頭に並び、
おせちの予約も始まっている。

このところ節目を節目らしく迎えたためしがないと
思いつつ、まあこの年になれば連続する日々を
いやがうえにも充実させようという焦りが付きまとう
ものであるし、それでいいとも思う。

そんな思いにふと捉われるのも秋のせいだろうか。

ところが、参議院議員のY氏が、園遊会の折りに
陛下に手紙を手渡した事でにわかに騒がしくなってきた。

なにかと話題の多い議員だが、私自身、特に関心のある
人物ではない。

だが、この件については、まるで舞台劇を思わせる
その時代錯誤さに、こけそうになった。
マスコミもとかく常識、礼議、あるいは政治利用などという
キーワードでY氏を批判する方向が大勢だが、
私に言わせれば、それも的を外している。

確かに、その手紙も巻紙に筆書きという形式で、いかにも
直訴状のような感があるが、一体誰に対して直訴したのか。

江戸時代に、大名行列に乱入して直訴状を渡すという場面を
時代劇でよく見たが、そういうことがあったかどうかは
別として、直訴をする者は決死の覚悟である。
また、直訴する相手も、いわゆる政道に直接関わり、
その権力を持つものである。

今回、引き合いに出されている田中正造も、もちろん
決死の覚悟であったし、直訴した相手は、実質、当時の
日本の最高権威であり、権力者でもあった明治天皇である。

現代においては天皇は象徴であり、国の立法・行政・司法
において、なんら権力も機能もない。
国民主権という基本的な法によって、国民により選ばれた
議員がすることではない。

仮に、天皇に訴え、それをわかって頂いたとして、
一体それが何になるというのか。

そもそも、己の理想や主張というものは、議員の立場で
あればなおさら国会や国民に向けて忍耐強く、地道に
啓蒙していくのが、その議員の本分である。
まして、今回の当事者が参議院議員であるなら、
何をかいわんやである。

北朝鮮の将軍様を、決死の覚悟で側近が諌めるなら
ともかく、園遊会で、しかも訴えたところで何の意味もない
相手に手紙を渡しても、単に迷惑な話なのである。

「時代錯誤」というよりも端的に言えば、この行動は
まったくの「的外れ」なのである。

Y氏を批判・中傷するつもりはない。
人それぞれ、思想は自由であり、行動も国法に
準じていれば自由である。

だが、国民に選ばれた代表が、的外れであることは
大きな問題である。
なにやらうすら寒い思いがするのである。