飲んでいた頃と、断酒してからでは、本人にとっては、
大きな変化が訪れるし、周りから見ても、良い方向(回復)
に向かっているのは、時間の経過と共に明らかとなるだろうが、
例えば、躁鬱病のように、鬱の状態から、躁の状態へ変わる
ときのような、劇的な変化を求めている人がたまにある。
しゃれにもならないが、そうではないのだ。
長年の飲酒歴があったものが、断酒をしたからといって、
そんなに急激に変わるものではない。極端なことをいえば、
断酒をした後も、周りからは「酒を飲まなくなっただけ」で、
何も変わっていないという状況も、ままある。
これをドライドランクと呼んでいるのだそうだが、ちょっと
待って欲しい。
断酒を始めたということは、回復の道程をスタートしたに
過ぎないのである。それを、いきなり、何年もの断酒に
よって得られる回復と変化を、すぐに求めるというのは、
酷というものだ。
お酒を飲んでいたときの様々な精神的、肉体的弊害は、
断酒によって、ある程度までは際立った変化を示すだろうが、
それが、その人の人格や性格までもいきなり良い方向に
変える訳ではない。
断酒して、あの人は本当に善人になったなどということは
無いのである。飲んでいた時に、余程、迷惑を掛けられて
いた場合は、それが無くなって、そう感じる方もいるであろうが、
断酒がその人自身を変えてしまう訳ではない。
ただ、それまで酒に飲まれざるを得なかったことに、
素面で向き合って、自身を変えていこうとする道程に立ったに
過ぎないのである。
この病気を発症するまでの過程には、何年にも渡る飲酒歴と、
その人の性格や、環境や、様々な要因があるわけで、
断酒したからといって、それらが全て清算されて、まったく
別人格となることなどあり得ない。回復にもそれなりの、
長い時間が必要なのである。
その最低条件が断酒であり、断酒がゴールではないのだ。
ドライドランクは、ある意味で当然の事であり、回復の道程に
おいて、本人も自覚できることであり、そこから、どう変わって
いくのかということも含めて、本人の課題なのだ。
周りが勝手に焦って、期待して、顕著な変化が見えなければ、
お酒をやめただけかなどという評価を一方的にしてしまうことは、
かえって本人の断酒継続にとってマイナスとなってしまう。
些細な変化を、喜んであげて欲しいものだ。おいしそうに
食事を残さず平らげる。少しは、人の話にも耳を傾ける
ようになった。生活に、リズムが出てきた。笑顔が増えた。等々、
明らかに、回復の兆しではないか。その事を理解し、見守って
いくことの大切さを、周りの人に、知っていただきたいと
思うのである。
以上、断酒した後の変化の個人差について云々する人や、
ドライドランクという、回復過程における一徴候を
本来意味する言葉を使って、「お酒をやめただけ」という
批判的な意味合いで、ことさらに取り上げていたものに対する、
私の見解とする。
大きな変化が訪れるし、周りから見ても、良い方向(回復)
に向かっているのは、時間の経過と共に明らかとなるだろうが、
例えば、躁鬱病のように、鬱の状態から、躁の状態へ変わる
ときのような、劇的な変化を求めている人がたまにある。
しゃれにもならないが、そうではないのだ。
長年の飲酒歴があったものが、断酒をしたからといって、
そんなに急激に変わるものではない。極端なことをいえば、
断酒をした後も、周りからは「酒を飲まなくなっただけ」で、
何も変わっていないという状況も、ままある。
これをドライドランクと呼んでいるのだそうだが、ちょっと
待って欲しい。
断酒を始めたということは、回復の道程をスタートしたに
過ぎないのである。それを、いきなり、何年もの断酒に
よって得られる回復と変化を、すぐに求めるというのは、
酷というものだ。
お酒を飲んでいたときの様々な精神的、肉体的弊害は、
断酒によって、ある程度までは際立った変化を示すだろうが、
それが、その人の人格や性格までもいきなり良い方向に
変える訳ではない。
断酒して、あの人は本当に善人になったなどということは
無いのである。飲んでいた時に、余程、迷惑を掛けられて
いた場合は、それが無くなって、そう感じる方もいるであろうが、
断酒がその人自身を変えてしまう訳ではない。
ただ、それまで酒に飲まれざるを得なかったことに、
素面で向き合って、自身を変えていこうとする道程に立ったに
過ぎないのである。
この病気を発症するまでの過程には、何年にも渡る飲酒歴と、
その人の性格や、環境や、様々な要因があるわけで、
断酒したからといって、それらが全て清算されて、まったく
別人格となることなどあり得ない。回復にもそれなりの、
長い時間が必要なのである。
その最低条件が断酒であり、断酒がゴールではないのだ。
ドライドランクは、ある意味で当然の事であり、回復の道程に
おいて、本人も自覚できることであり、そこから、どう変わって
いくのかということも含めて、本人の課題なのだ。
周りが勝手に焦って、期待して、顕著な変化が見えなければ、
お酒をやめただけかなどという評価を一方的にしてしまうことは、
かえって本人の断酒継続にとってマイナスとなってしまう。
些細な変化を、喜んであげて欲しいものだ。おいしそうに
食事を残さず平らげる。少しは、人の話にも耳を傾ける
ようになった。生活に、リズムが出てきた。笑顔が増えた。等々、
明らかに、回復の兆しではないか。その事を理解し、見守って
いくことの大切さを、周りの人に、知っていただきたいと
思うのである。
以上、断酒した後の変化の個人差について云々する人や、
ドライドランクという、回復過程における一徴候を
本来意味する言葉を使って、「お酒をやめただけ」という
批判的な意味合いで、ことさらに取り上げていたものに対する、
私の見解とする。