周期的な波に悩まされつつも、それなりに普通の生活が出来て
いるのは、家族の中で、癒されている事に負うところが大きい。
あの悪夢から2年近くになって、ようやく、平凡な事の
ありがたさを感じながら暮らせるようになって、落着いて
来たかと思っていたところに、厄介な事となった。
昨年の9月に妹ともめて、店に出て来なくなった父親は、
その後仕事を探すでもなく、兄弟の厄介になりながら
3ヶ月ほどぶらぶらしていた。
何度か兄弟で集まって話をしても、決まって「迷惑は掛けない」、
「心配要らない」の一点張りであったが、現実は無収入で、
生活が出来るわけでもない。
まあ、今まで頑張って来たのだからと、ある程度までは目を
瞑ってきたのだが、一向に自分から具体的な動きをすることなく、
引きこもりのような状態になっていたところ、酔っ払って
転んで大怪我をし、入院することになった。
頭の傷は大きかったものの、検査の結果は問題なく、一月ほどで
退院することになったが、結局、自分で何をどうするという
事もせず、どうにでもなれという感覚でいることは明らか
であった。兄弟皆、それぞれの生活で精一杯のところ、父親の
勝手気ままな一人暮らしを経済的に支えるのは難しく、
取り敢えず、一部屋を何とか空けることができる私のところに
引き取ることとなった。
仕事については、とことん頑張る方だったので、それが
なくなると、糸が切れたように気合も張りも、気力さえ
失ったようで、何をするでもなく、食事以外は、寝ているか、
テレビを見ているかぐらいで、子供達ともろくに話も
しないようだ。
いわば半年近く何もしないで過ごした後に我が家へ来た
わけであるから、すぐに何かが変わる訳ではないにせよ、
共に家で過ごしている者にとっては、精神的にかなり
重い、厄介な存在となってしまっている。
自分に出来ることを、出来る範囲で頑張るという気持ちで
家族の皆が一日一日を過ごしている中で、一人陰に篭って、
何もしないで漫然とその日をやり過ごすという者がいれば、
その家庭の雰囲気がどうなるかは、察して頂ける事と思う。
家に帰れば、努めて明るく皆と接することを心掛けているが、
正直、荷厄介な事になったと嘆息している。
私がようやく落ち着いて、これから楽しい生活をと思っていた
矢先のカミサンにとっては、本当に振り出しに戻して
しまったようで、申し訳ない。子供達にとっても、思春期に
そういう無気力な大人の姿を見せることは、あまり芳しい
事ではない。
私からすれば、同性の、同じ父親の立場で見てしまうので、
「それが、子供や孫たちに見せる、あなたの生き様か!」と
叫びたくなる衝動に駆られることもある。
自分の父親ながら、情けなさに歯軋りする思いなのである。
とまれ、嘆いたところで何も変らない事も自覚していて、
心療的な面とか、実生活の面とか、様々な面から徐々に
立ち直りのきっかけを与える事に腐心している最中である。
実の父親の事を荷厄介と感じている自分自身が親不孝者で
あることには間違いはないが、子供が父親に求めるものを
裏切った姿であることも事実である。
お酒こそ飲んではいないが、まるで飲んだくれていた頃の
自分自身を見ているようで、毎日気が重い。
これも、自身のしてきたことの応報かと思えば、何としてでも
変えていかねばならないのである。
一日の初めに気持ちを奮い立たせ、その日の終わりには、
次の日へ向けてまた引き締めながら、生活の基本である
家族だけは守り通そうと決意を固めているのである。
いるのは、家族の中で、癒されている事に負うところが大きい。
あの悪夢から2年近くになって、ようやく、平凡な事の
ありがたさを感じながら暮らせるようになって、落着いて
来たかと思っていたところに、厄介な事となった。
昨年の9月に妹ともめて、店に出て来なくなった父親は、
その後仕事を探すでもなく、兄弟の厄介になりながら
3ヶ月ほどぶらぶらしていた。
何度か兄弟で集まって話をしても、決まって「迷惑は掛けない」、
「心配要らない」の一点張りであったが、現実は無収入で、
生活が出来るわけでもない。
まあ、今まで頑張って来たのだからと、ある程度までは目を
瞑ってきたのだが、一向に自分から具体的な動きをすることなく、
引きこもりのような状態になっていたところ、酔っ払って
転んで大怪我をし、入院することになった。
頭の傷は大きかったものの、検査の結果は問題なく、一月ほどで
退院することになったが、結局、自分で何をどうするという
事もせず、どうにでもなれという感覚でいることは明らか
であった。兄弟皆、それぞれの生活で精一杯のところ、父親の
勝手気ままな一人暮らしを経済的に支えるのは難しく、
取り敢えず、一部屋を何とか空けることができる私のところに
引き取ることとなった。
仕事については、とことん頑張る方だったので、それが
なくなると、糸が切れたように気合も張りも、気力さえ
失ったようで、何をするでもなく、食事以外は、寝ているか、
テレビを見ているかぐらいで、子供達ともろくに話も
しないようだ。
いわば半年近く何もしないで過ごした後に我が家へ来た
わけであるから、すぐに何かが変わる訳ではないにせよ、
共に家で過ごしている者にとっては、精神的にかなり
重い、厄介な存在となってしまっている。
自分に出来ることを、出来る範囲で頑張るという気持ちで
家族の皆が一日一日を過ごしている中で、一人陰に篭って、
何もしないで漫然とその日をやり過ごすという者がいれば、
その家庭の雰囲気がどうなるかは、察して頂ける事と思う。
家に帰れば、努めて明るく皆と接することを心掛けているが、
正直、荷厄介な事になったと嘆息している。
私がようやく落ち着いて、これから楽しい生活をと思っていた
矢先のカミサンにとっては、本当に振り出しに戻して
しまったようで、申し訳ない。子供達にとっても、思春期に
そういう無気力な大人の姿を見せることは、あまり芳しい
事ではない。
私からすれば、同性の、同じ父親の立場で見てしまうので、
「それが、子供や孫たちに見せる、あなたの生き様か!」と
叫びたくなる衝動に駆られることもある。
自分の父親ながら、情けなさに歯軋りする思いなのである。
とまれ、嘆いたところで何も変らない事も自覚していて、
心療的な面とか、実生活の面とか、様々な面から徐々に
立ち直りのきっかけを与える事に腐心している最中である。
実の父親の事を荷厄介と感じている自分自身が親不孝者で
あることには間違いはないが、子供が父親に求めるものを
裏切った姿であることも事実である。
お酒こそ飲んではいないが、まるで飲んだくれていた頃の
自分自身を見ているようで、毎日気が重い。
これも、自身のしてきたことの応報かと思えば、何としてでも
変えていかねばならないのである。
一日の初めに気持ちを奮い立たせ、その日の終わりには、
次の日へ向けてまた引き締めながら、生活の基本である
家族だけは守り通そうと決意を固めているのである。