別段、何をしていたわけでもなかったが、ふと屈んだところで
後ろの腰を、真横に切られたような電撃が走ったかと思うと、
もう動けない。
しまった、やってしまったと思いながら、徐々に寝そべって、
左右のストレッチをする。
これはヤバイかもしれないと思いながら、応急手当てをして、
出勤したが、少し坐っていると、もう立ち上がるのが辛い。
何かにつかまって、支えて、やっと立ち上がっても、
思うように歩けない。
それに慣れると、立っていても歩いていても
支障はないのだが、座ったり、寝たりすると、
起き上がるのが非常に辛くなる。
早い目に整骨院で施術をしてもらい、今でもまだ痛みは
あるものの、当初よりは大分よくなった。
ここのところ、疲れが溜まっている時は、こうなる前に
施術を受けていたので、動けなくなることはなかった。
久し振りに、ギックリの一歩手前のところに来た。
これはなった人にしかわからないだろうが、腰は
身体の要部と名付けられるだけあって、こうなった時に
初めて普段、ありとあらゆる動作に、どれほど腰が
要として関わっているかがよくわかる。
電車に乗っていて、揺られる体を支えるだけでも
痛みが走る。
自身の一挙手一投足に、腰が必ず関わっていることを
思い知らされる。
断酒を継続していると、それをあまり意識しないように
なってくるが、それは要するに生きる上での
腰のようなものである。
その腰が砕ければ、すべてが砕ける。
身体を動かせなくなるのと同じで、お酒に縛られ、
身動きの取れぬまま、死へと向かう。
死というのは、肉体的、精神的死である。
つまり、ありのままの自分らしく生きることが
できなくなるということだ。
これは生きているとは言い難い。
少なくとも生きているということは、そこに
なにがしかの可能性が常にあるはずだ。
残念ながら、飲み続ける中には、可能性はあっても、
それを開くことはできない。
断酒によって、初めてそれを開く希望が
顕れるのである。
「断酒は腰」
今のこの痛みに苦しめられる分、
このことを忘れないようにしたい。
後ろの腰を、真横に切られたような電撃が走ったかと思うと、
もう動けない。
しまった、やってしまったと思いながら、徐々に寝そべって、
左右のストレッチをする。
これはヤバイかもしれないと思いながら、応急手当てをして、
出勤したが、少し坐っていると、もう立ち上がるのが辛い。
何かにつかまって、支えて、やっと立ち上がっても、
思うように歩けない。
それに慣れると、立っていても歩いていても
支障はないのだが、座ったり、寝たりすると、
起き上がるのが非常に辛くなる。
早い目に整骨院で施術をしてもらい、今でもまだ痛みは
あるものの、当初よりは大分よくなった。
ここのところ、疲れが溜まっている時は、こうなる前に
施術を受けていたので、動けなくなることはなかった。
久し振りに、ギックリの一歩手前のところに来た。
これはなった人にしかわからないだろうが、腰は
身体の要部と名付けられるだけあって、こうなった時に
初めて普段、ありとあらゆる動作に、どれほど腰が
要として関わっているかがよくわかる。
電車に乗っていて、揺られる体を支えるだけでも
痛みが走る。
自身の一挙手一投足に、腰が必ず関わっていることを
思い知らされる。
断酒を継続していると、それをあまり意識しないように
なってくるが、それは要するに生きる上での
腰のようなものである。
その腰が砕ければ、すべてが砕ける。
身体を動かせなくなるのと同じで、お酒に縛られ、
身動きの取れぬまま、死へと向かう。
死というのは、肉体的、精神的死である。
つまり、ありのままの自分らしく生きることが
できなくなるということだ。
これは生きているとは言い難い。
少なくとも生きているということは、そこに
なにがしかの可能性が常にあるはずだ。
残念ながら、飲み続ける中には、可能性はあっても、
それを開くことはできない。
断酒によって、初めてそれを開く希望が
顕れるのである。
「断酒は腰」
今のこの痛みに苦しめられる分、
このことを忘れないようにしたい。