ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

3000日

2013年08月28日 | ノンジャンル
お盆の頃に断酒3000日を迎えることになるなと
思っていたが、9連休の夏期休暇もほとんど休めず、
休み明けにはタイ出張とバタバタし、忘れてしまっていた。

8月の16日に3000日となった。

足かけ三年、石の上にも三年ということで、
兎にも角にも3年を一つの大きな節目として考えていた
初期の頃を想えば、随分遠くまで来たような気はする。

この3000という節目は自身にとっても大きな
意味を持つように思える。

肉体の細胞が入れ替わるのに7年半。
あの頃から、完全に細胞が入れ替わったかと思うと、
何となく身体がむず痒い。

まあ、脳細胞だけは変わりようがないかもしれない。

8年と3か月、100か月、3000日。

これからも、先生の言葉通り坦々と飲まない日々を
重ねていく。

次の指標は、10年ということになるだろうが、
おそらく今回と同じように、気が付けば通り過ぎている
事かと思う。

いや、そうでありたいと思うのである。

悩み多き、苦しみ多き日々ではあるが、精一杯の日々を
重ねていくとき、すでに断酒何年ということは
どうでも良い事なのである。

また新たな日を迎えるとき、新たな挑戦が始まる。



財布

2013年08月05日 | ノンジャンル
飲んだくれていた頃、大事に使っていた財布を落とした。

大学を卒業し、社会人となって初めて自分で買った
財布だった。
さほど高価なものではなかったが、それでも財布の
中身よりは、財布自体の方が高価であることが多かった。

おそらく10年以上使っていたかと思う。
落としたときは、中身はともかく、財布自体が
見つかるようにと願っていたが、とうとう出てこなかった。

落とした財布は、長財布だったので、新しい財布は
二つ折りを買った。

ところが、大して使わないうちにまた落としてしまった。
タクシーで支払いの後、スーツの内ポケットに入れた
つもりが、きっちり入っておらず、降りるときに落とした
ようだが、気づかなかった。

財布自体は後に出てきたが、無論中身はない。
その時は、むしろ中身の方が痛かった。

たまたま社長と同行していたので、財布と中身分を
頂戴することができた。

それはまた長財布だが、もう6-7年になるか、
今も大事に使っている。

さて、書こうと思っていたことから話がそれてしまった。
私は、その人の財布の中を見れば、大体その人のなりが
分かると思っている。

カード類やレシート、お札など、整然と収納されている
人は、几帳面というよりも、お金と時間という面で
無駄の少ない人である。

反対に、何がどこにあるやらわからない状態の財布を
持つ人は、両面で無駄が多いことになる。

これは、家庭でも職場でもその人のなりを象徴する
ことになる。

整理されていないということは、いわゆる現場の状況を
把握していないことであり、何が必要で、何が必要で
ないかの判断を誤らせる。

結果、あるものを買って、無いものを買わないと
いうような事態に陥る。
お金と時間を無駄にするとはこういうことである。

財布をスッキリさせることができれば、
それは身の回りもスッキリさせ、無駄を省くことに
つながるのだが、それはその人にとっては、
長年に渡って身につけてきた習慣である以上、
なかなか難しい。

なんのことはない、我が家のカミさんの話である。
スッキリ財布の私と、ごちゃごちゃ財布のカミさん。
財布だけなら、個人の問題なので、どうということは
ないが、家では常に葛藤がある。

休日といえば、私のスッキリ運動が堰を切ったように
家庭で展開される。
しかしそれもむなしく、平日には元に戻ってしまう。
この終わりなき戦いは、これからも繰り返されていく。