ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

プレゼント

2008年11月30日 | ノンジャンル
サンタさんは父親である事はもうわかっていると思うが、
相変わらず欲しいプレゼントを紙に書いて外に向けて
貼り出す事はいまだにする子供たち。

毎年、その書かれた物を探すのに苦労するのだが、
今年はどうなる事やら。

毎年、プレゼントが高価になっていくのも悩みの種でもある。

この冬、コートとマフラーを、形の上ではカミサンに
買ってもらった私。プレゼントといえばプレゼントなの
かもしれないが、自分で買ったということで、
複雑な思いである。

まあ、欲しい物であったので、嬉しい事に変わりは無い。
細かい事は抜きにして、素直に喜んでおく事にする。

「サンタさ~ん、今年のクリスマスに欲しい物が
 あるんやけど。」

カミサンが物をねだる事は滅多に無い。それだけに、ねだる時は
それなりの物の場合が多い。
非常に不吉な予感がしたが、訊くだけ訊いてみようとすると、

「メールを送っとくわ。」

「。。。。。。」

気になって仕方なくなるので、しつこく訊くと、どうやら
パート先でお客さんが使っていた財布に一目惚れし、どうしても
欲しくなったとの事。

「それがなぁ、ルイヴィトンやねん。」

「。。。。。。。。。。」

ネットで調べると、やはりそれなりのお値段。

決してブランド好きではないけれど、気に入った物は、
大抵ブランド物。
それだけ見る目があるという事か。

本人も、10年以上使えると見越してのおねだりのようで、
プレゼントする事にした。

今日はひどく上機嫌である。

家族にプレゼントするばかりのパパサンタ。
本物のサンタさん、パパにスペシャルプレゼントを。。。

でも、良く考えれば、家族が皆元気で、日々頑張っている事が、
私にとっては何よりのプレゼントなのかもしれないと
思うのである。




利き手

2008年11月27日 | ノンジャンル
私はもともと左利きである。幼稚園の頃に、左手に
ハンカチを巻かれ、鉛筆、お箸、スプーンは右手を使うよう
矯正された。

時代のせいだったのか、先生の考えだったのかはわからない。
妹も左利きだが、矯正されなかった。外国でもあまり
矯正されたという話を聞かない。

我が家では息子が左利きだが、もちろん矯正されていない。
並んで食事をすると、箸を持つ手がぶつかる。

さて、この利き手というのは脳との関係も深く、途中で
矯正された私は、何か複雑な錯綜の状態にあるの
かもしれない。少し整理してみる。

お箸、スプーン、筆記具は右。矯正の賜物である。
消しゴムは左、ナイフは左、フォークは右。
セットされているナイフとフォークをいつも反対に
取っている。
はさみは右でなくては切れないので、右だが、カッター、
彫刻刀は左。コンパスを使うのも左。

ネクタイを締めるのも人とは逆方向、受話器を取るのも左、
計算機を叩くのも左。受話器は持ち替えないので、線が
ねじれることはない。

関係ない話だが、下シャツを脱ぐとき、裏返しながら
脱ぐ人は、幼児性が残っているのだとか。
私はそのまま脱ぐ。

工具や道具はほとんどが左だが、左が疲れると右に変えても
あまり違和感はない。
歯ブラシは左、縫い物も左、トイレでお尻を拭くのも左。

野球は左用のグラブがなかったので、右投げ右打ち。
ボーリングも穴の関係で右投げ。大きなボールは左投げ、
ラケットも左、腕相撲も左のほうが強い。

手を組めば左の親指が上、腕を組めば左腕が上、足を組めば、
左足が上、横になれば左向きが楽。

両手にペンを持ち、同時に文字を書けば、右は普通の字、
左は鏡に写した字となってしまう。

矯正されていないことで無意識に使うのは左のようだが、
右手を使っても違和感のないことも多い。

どうも、この矯正によって、普通の人はあまり感じない
右脳、左脳の機能だとか、相互伝達の調子の良し悪しを
日常的に感じ、その度に意識してきたような気もする。

矯正されたことが良かったのか悪かったのかは別として、
左利きのそのままに育ったとしたら、もっと単純で、
余計な悩みも少なかったかもしれないと思うのである。




懐古趣味

2008年11月25日 | ノンジャンル
娘は高校生、息子は中学生。二人とも小学校の頃はそうでも
なかったが、このところ話をしている中で、自身の学生時代を
思い出すことが多い。

流行には無頓着であった私は、ダウンジャケットの流行っている
ときに、Tシャツに赤いジャケットと、ずいぶん浮いた格好を
していたものだったが、本人はお気に入りで満足していた。

それとはまた意味が違って、やはり当時聴いたり流れていた音楽、
番組、CMなどは、それにまつわる思い出なども多く、今、
耳にしたり目にすると懐かしく思い出される。

少々ネタ切れなのか、ドラマやCMなどでも昔のナンバーが
よく使われている。
普段はすっかり忘れてしまっている曲なども、時に耳にして
一気に当時の感慨がよみがえり、鳥肌が立って、目頭が熱くなり、
鼻の奥が酸っぱくなるほどの感動を覚える。

自分でも実感としてなく、信じられないほどであるが、
どうやらそれなりに歳を取ってしまったようでもある。
昔のように動けない自分を感じながら、歳を取ったとは
思わないのだが、子供達を見ていると、その頃からもう
30年も経ってしまったかと思えば、もうそんなになるのかと
改めて感慨深い。

懐古趣味はないのだが、様々なきっかけでよみがえる思い出は、
懐かしいと同時に楽しい。
リアルタイムで聴いていた曲が、音楽の教科書に載っていたり
するとなんだか可笑しい。

時の流れというものは、単に直線的なものではなく、
縫い返しのように重なりながら流れていくものらしい。

さて、これからさらに懐かしいものが増えていき、思うように
動けなくなる身体に老いを感じていくのであろうが、
懐かしさ、楽しさを感じ、老いさえも感じることが出来るうちは
幸せなのではないか。

浦島太郎ではないが、お酒に浸かりながら、ようやく酔いが
醒めて気がつけば、ぽっかりと間があいて、思い出もなく、
突然動きにくい身体になってしまったと感じるよりは
はるかにましである。

飲まなければ普通に「懐かしい」、「楽しい」を増やして
いけるであろうし、十分「老い」の代償とできるであろう。

願わくは「普通」であり続け、頑固じじいになるか、
うんうんと若い者の話を聴いて、経験話をし、励ますような
好々爺となるかの選択ができる自分でありたいとも
思うのである。



フォークダンス

2008年11月24日 | ノンジャンル
中学の頃だったか、体育祭の演目でフォークダンスをするのに、
その練習をしていた時の事である。

男女ペアで行うのだが、丁度異性を意識し出す、照れ臭い頃で、
皆、形だけは作るものの、なかなか手を繋ぐ事が出来なかった。

男子の中で密かに人気のある女子には、余計に意識し、あまり
人気の無い、むしろ鬱陶しく思われている女子には露骨に
嫌々しているような態度を皆取っていた。

自分自身も同じで、照れ臭い気持も、意識してしまうのも
変わりはなかったが、「男らしくない」という思いが強く、
相手の女子が誰であろうと、しっかりと手を取って
練習していたと思う。

それから何年もの月日が流れ、社会人となった私が、たまたま
食事に入ったレストランで、同級生の女性が働いていた。
互いに憶えていて、懐かしく思ったのだが、彼女は中学時代の
そのフォークダンスの練習の事をよく憶えていて、
「皆嫌がっていたのに、○○君だけが、私としっかり手を
繋いでくれたこと、すっごく嬉しかった。大切な思い出よ。」
と言っていた。

半ばうろ憶えだったが、ああ、そんな事もあったなとその時
思い出した。そんな事を、大切な思い出としてくれているのを
不思議に思ったような記憶がある。

中学生の息子と話をしていて、ふとそんな事を思い出した。




求めるもの

2008年11月23日 | ノンジャンル
どうも、生きていく、食べていくのに精いっぱいという時代では
ないせいか、人というものは平々凡々で、安穏たる日常には、
その幸せを感じるよりも退屈なつまらなさをより大きく
感じるようである。

そもそも人間自体が厄介な生き物である。
乱世には平安を求めながら、平安な時代には好んで乱を求める。
抑圧の時代に自由を求めながら、いざ自由になるとかえって
束縛を求める。集団の中で孤独を求めながら、いざ孤独になると
人恋しくなる。不安や心配のない世界にいれば、安心に飽き、
動乱を求める。

対極に考えるよりも、楽しみや喜びを感じる人間の自然な
情念として、常に自身が変化していくことを無意識に
自覚している限り、生きていく中に変化を求めているの
かもしれない。

そしてその変化は、出来れば少しの困難をもって、
大きな喜びや楽しさに繋がれば良いのであるが、多くの場合、
困難や苦悩が大きければ大きいほど、それを乗り越えた時の
喜びは更に大きい。

「そこに山があるから」という登山家のセリフは気障っぽいが、
登攀が困難であればあるほど、登頂の喜びは大きく、自身の内に
生きている実感と、躍動する命の横溢を感じるのであろう。
その瞬間、大自然を通じて、自身の内なる命と外なる命との
共鳴に身震いするような敬虔なものを感じるのかもしれない。

ともかくも、人間は、不自由なく獲得できるものには感謝の念も
喜びもあまり湧かないようである。
困難を克服して初めて手にする喜び、心に感じる喜びを
知っている以上、生きる上で真の安穏と歓びというものは
つまるところ、困難や苦悩の連続の中にあるのではないか。

次から次へと目の前に立ちはだかる壁に、悩み、苦しみ、
挑戦を続けながら、克服して無上の喜びを得るということを
繰り返していく中に、人生の醍醐味があるのかもしれない。
前へ進もうとするならば、物理的にも抵抗の作用は厳然とある。
時に疲れ果てて風のまま、流れのままに漂うことも
あるだろうが、漂っていることにもすぐに飽きてしまう。
再び抗うものを感じながら、前へ進もうとするのである。

繰り返すが、その日一日を生きることで精一杯の時代ではない。
明日をも知れぬ時代を生きた人々は、それはそれで幸せであった
かもしれない。
今は、来年も十分生きていける糧を持ちながら、今日自殺する
者が数知れないのである。

贅沢な時代になったものだと思われる人も多いだろうが、
現実には腹を空かせているものは少なくなったが、
心に飢餓感を持っているものは先の時代の比ではない。
少なくとも飢えの時代の人の心の方が満たされていたと
いうべきか。

病気で死んでいくものが多かった時代は、生きるものがかえって
逞しくなっていったように思えるが、医療が進んで長生きできる
ようになった現在の方が、生きる逞しさに欠けている様でもある。
むしろ、廃人同然にまで陥ったものが回復した場合、その人の
その後の生き様の方がかえって逞しい。

苦労は買ってでもしろとはよく言われたものだが、やはり生きる
ということは、人の思考と行動である以上、困難を求め、挑戦し、
克服して最高の歓びを感じることを繰り返していくことなの
かもしれないと思うのである。