ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

都構想

2015年05月29日 | ノンジャンル
17日の住民投票も終わり、結果は否決となった
大阪都構想。

大阪市民でさえあまりよく理解できない投票が
済んで、構想は否決、市長は任期満了後、政界から
引退ということとなった。

全国的にも注目を浴びた住民投票だっただけに、
その結果の後にも、様々な人達が論評や記事を
出している。

市外、府外の人達の話を聞いていると、
今のメディアが情報分析の正確さと、その背景に
ついて、あまりにも軽薄になってしまっていることに
驚かされた。

市長の政界引退についてはともかく、
この大阪都構想というものをどれだけ掘り下げて
分析したのか疑わしくなるような記事と評だらけである。

そもそも、都構想それ自体に賛否はない。
市と府と二重の無駄がある部分は一本化して、無駄を
なくそうというのは、誰もが賛同するであろう。

この一本化を都構想と見るなら、賛否を論じたのは
都構想そのものではなく、その設計案に対しての
賛否なのである。

維新が提示した設計案は、あまりにも不完全で、
案というには稚拙すぎた。
投票日までに、継ぎ接ぎだらけの修正?も付加され、
それが余計に市民に分かりづらいものとなってしまった。

大阪府全体、あるいは、関西という大きな単位で広がって
いくべき構想は、単に大阪市をとりあえず5区に分割する
賛否を問うこととなってしまった。

都構想という言葉が全面に出てしまい、実現の場合は
「大阪都」となると考えていた人も少なくないだろう。

まあ、維新の構想案についてはともかく、投票の当日に
資料として出された年代別の賛否の比較は、あくまでも
出口調査、つまり投票に行った人たちの一部を
もととしている。

それをさも大阪市民全体のものとして分析するところに、
浅薄さ、軽薄さを感じるとともに、そんな資料とも
いえないような代物をもとに論評などしている人が
識者とは笑止である。

賛否を問う住民投票では、大阪市民である私から見れば
どう転んでも賛成になって当然であった。

人口比率から言って、仮に大きな変化を望まない高齢者が
全員、反対票に投票したとしても、全体の1/4程度である。

高齢者によって否決されたとみるのは、浅はかこの上ない。
要するに、若者や壮年層など、現状を打破するために
ともかくなにがしかの変化をと願う人や、明確な考えで
反対だという人は投票に行ったであろうが、
大半は投票に行かなかったのである。

出口調査の資料を参考にするなら、仮に青年、壮年層の
投票率が、高齢者と同等であったなら、間違いなく
賛成可決となっていたのである。

つまりは、青年、壮年層にとって、この投票にはそれほどの
動機づけがされなかったということだ。

「どっちでもええわ」

これが投票に行かなかった人の大半だったということである。

構想云々よりも、むしろこちらの方が問題であるという視点で
話をしている人は少ない。
市民の一人である私から見れば、その問題こそが
よほど深刻なのだが。



歳月

2015年05月26日 | ノンジャンル
例年になく暑い5月だそうである。

10年前のあの日、初めてクリニックへと足を運んだ
日も暑い日だった。
半袖のワイシャツ姿だったことをよく覚えている。

その時は、もう明日をも知れぬ状況で、ともかくも
まずはこの病気と正面から対峙することで精一杯だった。

子供たちが一人前になるまでは、石にかじりついてでも
生きて、その可能性を開かせてやりたい。
ただただ、その一点だけが自身を支えていた。

1ヶ月、3ヶ月、半年、1年。
どの節目も、夢のように早く、悪夢のように長かった。

今、10年を前にして、振り返って自分を褒めるだとか、
あっという間だったとか、長かったとか、そういう
ありきたりな感慨とはどこか違う。

あの時、独りよがりで、そういう病気であるとはいえ、
家族を巻き込み、苦しませ、悩ませ、悲しませていた
自分は死んだ。

そのまま死んでいても良かったのだろうが、
今度は、その家族に笑顔を取り戻す新しい生き方での
生を得た。

その中で、子供たちは確かに護られていることを感じたし、
それはそのまま、自身も守られていることを知った。

この先、どれだけ生きられるかはわからない。
ただ、これまでと同じく、新しい生き方、
周りを笑顔にする生き方で、一日一日を積み重ねていく。

子供たちの成長はめざましく、大きな木を仰ぎ見る様だ。
こんな日を迎えられることに感謝しながら、また一日を
悔いのないように、自身の精一杯で生きていく。

「ねばならない」ではなく、「していこう」ということ。
頑張るのでもなく、頑張らないのでもない。

それが「MUST」であれ、「SHOULD」であれ、私自身は、
「WILL」で生きていくということである。

無理をするのではなく、ベストを尽くすということだ。

また今日から、ここから、私なりに生きていく。




現実

2015年05月19日 | ノンジャンル
新任早々、ドラマの脚本としてもあり得ないような
状況に巻き込まれた娘。

おそらくマスコミ沙汰になるだろうが、事実関係が
ハッキリしてきたので、要点だけ留めておく。

もう現段階では、教育現場の範疇を超えたレベルの
展開となってしまっている。

女子生徒、その兄(中学3年生)の母親は子供達を
取り返そうと保護施設に不法侵入し逮捕。

その母親の内縁の夫は、同じく下校時に子供達を
取り返そうとして逮捕。

女子生徒の元担任は、懲戒免職を苦に自殺未遂。
その後、母親との関係で、同じ薬物使用で逮捕。

元担任は、東大卒、父親は政治家。
事情を知らない母親は、教育委員会へ押しかけ、
指導講座を終えた娘をいきなり殴打し、その場で逮捕。

これだけでも、もううんざりだが、最悪なことに
生徒の母親は、子供たちに薬物を何らかの形で
摂取させていた事実が判明。

保護された子供たちが共に退薬症状を発し、病院の
検査の結果、薬物反応が出てしまった。

もうこれは、学校、家庭という教育現場を超越した、
刑事事件である。

まして、上記の関係者は皆、自身のことしか考えていない。

自分の立場や身がどうなろうと、その女子生徒を
守ることだけを考えていた娘は、免職さえも覚悟していた。

薬物が子供達にまで及んでいたことが分かり、娘の怒りは
頂点に達したようだ。

こんな馬鹿げた話が本当にあるのかと今でも疑問にさえ
思うのだが、現実は現実である。

そして、それが現実なら、子供達を主体として考える
娘の様な教育者を失ってはならないと思うのである。

父親としてではなく、人として、教育という未来を拓く
仕事に携わるものの資質を娘に見出せたことはせめてもの
救いである。

その怒りと悲しみを忘れることなく、自身の糧として
もらいたいと心から願うのである。





波乱

2015年05月11日 | ノンジャンル
4月より新しい環境に入って、何かと精神的に不安定になる
時期とされる5月。

我が家もご多分に漏れず、波乱の時期となった。

カミさんは扁桃腺が腫れ、高熱を出してダウン。
幸い2日ほどで快復し、今は元気である。

私は疲れが取れない中、仕事上のトラブル続出。
連休もほとんど返上して事に当たり、ようやく沈静化。

新任教師となった娘は、他のクラスの生徒の様子が
おかしい事に気づいたことから、その担任と親との
トラブルに巻き込まれ、免職に追い込まれることも
覚悟していた。

私への相談に対し、生徒第一の視点さえぶれなければ、
思うようにやりなさいと応え、その通りに行動した娘。

結果的には、その生徒は保護施設へ、担任の教師は
懲戒免職。娘は晴れて潔白を証明したが、保護者に
対する不適切な言動があったということで、1週間の
自宅謹慎処分。

教育長に対する反発、免職覚悟の発言、保護者への
叱咤等、どれもこれも前代未聞のことらしい。

謹慎中、一日を教育委員会でのマナー教習にあてられると
聞いた折には、笑ってしまった。

そんな中、一人幸せの絶頂にいる男がいる。
息子である。

娘のタレント人脈の恩恵をいろいろと受けてきた彼に、
更に大きな幸せがやってくる。
憧れのアイドルが、彼の5月のバースデーケーキを作って
くれるらしい。
ばかりか、8月には娘と共に東京でそのアイドルと食事が
できるらしい。

大学に、バイトに、教習にと忙しい日々を送っているが、
これだけのモチベーションがあればなんということは
ないだろう。

5月病とは真逆の、5月幸ともいうべき喜びに包まれ、
日々奮闘している姿は目を見張るものがある。

私もあの6月1日を目前に控えている。
今年は大きな節目のマル10年となる。

今を、ここを、私を、の思いで、また一日を精一杯で
積み重ねていくのみである。