17日の住民投票も終わり、結果は否決となった
大阪都構想。
大阪市民でさえあまりよく理解できない投票が
済んで、構想は否決、市長は任期満了後、政界から
引退ということとなった。
全国的にも注目を浴びた住民投票だっただけに、
その結果の後にも、様々な人達が論評や記事を
出している。
市外、府外の人達の話を聞いていると、
今のメディアが情報分析の正確さと、その背景に
ついて、あまりにも軽薄になってしまっていることに
驚かされた。
市長の政界引退についてはともかく、
この大阪都構想というものをどれだけ掘り下げて
分析したのか疑わしくなるような記事と評だらけである。
そもそも、都構想それ自体に賛否はない。
市と府と二重の無駄がある部分は一本化して、無駄を
なくそうというのは、誰もが賛同するであろう。
この一本化を都構想と見るなら、賛否を論じたのは
都構想そのものではなく、その設計案に対しての
賛否なのである。
維新が提示した設計案は、あまりにも不完全で、
案というには稚拙すぎた。
投票日までに、継ぎ接ぎだらけの修正?も付加され、
それが余計に市民に分かりづらいものとなってしまった。
大阪府全体、あるいは、関西という大きな単位で広がって
いくべき構想は、単に大阪市をとりあえず5区に分割する
賛否を問うこととなってしまった。
都構想という言葉が全面に出てしまい、実現の場合は
「大阪都」となると考えていた人も少なくないだろう。
まあ、維新の構想案についてはともかく、投票の当日に
資料として出された年代別の賛否の比較は、あくまでも
出口調査、つまり投票に行った人たちの一部を
もととしている。
それをさも大阪市民全体のものとして分析するところに、
浅薄さ、軽薄さを感じるとともに、そんな資料とも
いえないような代物をもとに論評などしている人が
識者とは笑止である。
賛否を問う住民投票では、大阪市民である私から見れば
どう転んでも賛成になって当然であった。
人口比率から言って、仮に大きな変化を望まない高齢者が
全員、反対票に投票したとしても、全体の1/4程度である。
高齢者によって否決されたとみるのは、浅はかこの上ない。
要するに、若者や壮年層など、現状を打破するために
ともかくなにがしかの変化をと願う人や、明確な考えで
反対だという人は投票に行ったであろうが、
大半は投票に行かなかったのである。
出口調査の資料を参考にするなら、仮に青年、壮年層の
投票率が、高齢者と同等であったなら、間違いなく
賛成可決となっていたのである。
つまりは、青年、壮年層にとって、この投票にはそれほどの
動機づけがされなかったということだ。
「どっちでもええわ」
これが投票に行かなかった人の大半だったということである。
構想云々よりも、むしろこちらの方が問題であるという視点で
話をしている人は少ない。
市民の一人である私から見れば、その問題こそが
よほど深刻なのだが。
大阪都構想。
大阪市民でさえあまりよく理解できない投票が
済んで、構想は否決、市長は任期満了後、政界から
引退ということとなった。
全国的にも注目を浴びた住民投票だっただけに、
その結果の後にも、様々な人達が論評や記事を
出している。
市外、府外の人達の話を聞いていると、
今のメディアが情報分析の正確さと、その背景に
ついて、あまりにも軽薄になってしまっていることに
驚かされた。
市長の政界引退についてはともかく、
この大阪都構想というものをどれだけ掘り下げて
分析したのか疑わしくなるような記事と評だらけである。
そもそも、都構想それ自体に賛否はない。
市と府と二重の無駄がある部分は一本化して、無駄を
なくそうというのは、誰もが賛同するであろう。
この一本化を都構想と見るなら、賛否を論じたのは
都構想そのものではなく、その設計案に対しての
賛否なのである。
維新が提示した設計案は、あまりにも不完全で、
案というには稚拙すぎた。
投票日までに、継ぎ接ぎだらけの修正?も付加され、
それが余計に市民に分かりづらいものとなってしまった。
大阪府全体、あるいは、関西という大きな単位で広がって
いくべき構想は、単に大阪市をとりあえず5区に分割する
賛否を問うこととなってしまった。
都構想という言葉が全面に出てしまい、実現の場合は
「大阪都」となると考えていた人も少なくないだろう。
まあ、維新の構想案についてはともかく、投票の当日に
資料として出された年代別の賛否の比較は、あくまでも
出口調査、つまり投票に行った人たちの一部を
もととしている。
それをさも大阪市民全体のものとして分析するところに、
浅薄さ、軽薄さを感じるとともに、そんな資料とも
いえないような代物をもとに論評などしている人が
識者とは笑止である。
賛否を問う住民投票では、大阪市民である私から見れば
どう転んでも賛成になって当然であった。
人口比率から言って、仮に大きな変化を望まない高齢者が
全員、反対票に投票したとしても、全体の1/4程度である。
高齢者によって否決されたとみるのは、浅はかこの上ない。
要するに、若者や壮年層など、現状を打破するために
ともかくなにがしかの変化をと願う人や、明確な考えで
反対だという人は投票に行ったであろうが、
大半は投票に行かなかったのである。
出口調査の資料を参考にするなら、仮に青年、壮年層の
投票率が、高齢者と同等であったなら、間違いなく
賛成可決となっていたのである。
つまりは、青年、壮年層にとって、この投票にはそれほどの
動機づけがされなかったということだ。
「どっちでもええわ」
これが投票に行かなかった人の大半だったということである。
構想云々よりも、むしろこちらの方が問題であるという視点で
話をしている人は少ない。
市民の一人である私から見れば、その問題こそが
よほど深刻なのだが。