冠婚葬祭は、いわば裃をつけた儀式である以上、
そこで交わされる言葉も紋切り型で、定型句の
ようなものが多くなる。
弔電もひな形があって、同じような文面しか
ないのが良くも悪くもある。
その場を考慮すれば、あたり障りのないものが
良いのかもしれないし、本当に遺族を想っての
事なら、自分なりの言葉で悔やみを述べる
方がよい。
無論、海外でも定型句的な文言はあるが、
ひとこと添えてというのが普通である。
今回頂いた中にも、様々な言葉があったが、
ある人からは、
「親を亡くして初めてもう自分は子供では
なくなることを知る。」という言葉を頂いた。
その意味はよく分かるが、私はむしろ若い親と
共に幼い妹や弟たちを育んできた。
いわば、物心がついてから、子供では
なくなっていた。親とまではいかずとも、
お兄ちゃんであった。
よって、この度も、親を亡くした子供の
視点ではなく、為すべきことを為して旅立つ
親の視点であった。
妹や弟達に、これからはもう子供ではなくなる
のだから、それぞれ頑張って生きて行けよという
視点である。
両親が鬼籍に入り、囲いと縛から解き放たれた
のだと気付いたが、これからを生きる上で、
ホッとしていたのは、むしろ親代わりからの
解放であったかもしれない。
頂いた言葉は、私よりもむしろ姉弟への
言葉として相応しい。
社会的に身を立てるという事においては、
それなりの歳月がかかったが、心を立てる
という事においては、とっくの昔に済んで
いたのである。
解放には義務と責任が伴うが、同時に屹立して
矢面に立つ覚悟がいる。
子供でなくなるとは、その心を立てるという
事なのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/93/5de7bb78ba15205e7d7af2835b1c8853.jpg)
そこで交わされる言葉も紋切り型で、定型句の
ようなものが多くなる。
弔電もひな形があって、同じような文面しか
ないのが良くも悪くもある。
その場を考慮すれば、あたり障りのないものが
良いのかもしれないし、本当に遺族を想っての
事なら、自分なりの言葉で悔やみを述べる
方がよい。
無論、海外でも定型句的な文言はあるが、
ひとこと添えてというのが普通である。
今回頂いた中にも、様々な言葉があったが、
ある人からは、
「親を亡くして初めてもう自分は子供では
なくなることを知る。」という言葉を頂いた。
その意味はよく分かるが、私はむしろ若い親と
共に幼い妹や弟たちを育んできた。
いわば、物心がついてから、子供では
なくなっていた。親とまではいかずとも、
お兄ちゃんであった。
よって、この度も、親を亡くした子供の
視点ではなく、為すべきことを為して旅立つ
親の視点であった。
妹や弟達に、これからはもう子供ではなくなる
のだから、それぞれ頑張って生きて行けよという
視点である。
両親が鬼籍に入り、囲いと縛から解き放たれた
のだと気付いたが、これからを生きる上で、
ホッとしていたのは、むしろ親代わりからの
解放であったかもしれない。
頂いた言葉は、私よりもむしろ姉弟への
言葉として相応しい。
社会的に身を立てるという事においては、
それなりの歳月がかかったが、心を立てる
という事においては、とっくの昔に済んで
いたのである。
解放には義務と責任が伴うが、同時に屹立して
矢面に立つ覚悟がいる。
子供でなくなるとは、その心を立てるという
事なのである。
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