ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

心を立てる

2019年02月28日 | ノンジャンル
冠婚葬祭は、いわば裃をつけた儀式である以上、
そこで交わされる言葉も紋切り型で、定型句の
ようなものが多くなる。

弔電もひな形があって、同じような文面しか
ないのが良くも悪くもある。

その場を考慮すれば、あたり障りのないものが
良いのかもしれないし、本当に遺族を想っての
事なら、自分なりの言葉で悔やみを述べる
方がよい。

無論、海外でも定型句的な文言はあるが、
ひとこと添えてというのが普通である。

今回頂いた中にも、様々な言葉があったが、
ある人からは、
「親を亡くして初めてもう自分は子供では
なくなることを知る。」という言葉を頂いた。

その意味はよく分かるが、私はむしろ若い親と
共に幼い妹や弟たちを育んできた。

いわば、物心がついてから、子供では
なくなっていた。親とまではいかずとも、
お兄ちゃんであった。

よって、この度も、親を亡くした子供の
視点ではなく、為すべきことを為して旅立つ
親の視点であった。

妹や弟達に、これからはもう子供ではなくなる
のだから、それぞれ頑張って生きて行けよという
視点である。

両親が鬼籍に入り、囲いと縛から解き放たれた
のだと気付いたが、これからを生きる上で、
ホッとしていたのは、むしろ親代わりからの
解放であったかもしれない。

頂いた言葉は、私よりもむしろ姉弟への
言葉として相応しい。

社会的に身を立てるという事においては、
それなりの歳月がかかったが、心を立てる
という事においては、とっくの昔に済んで
いたのである。

解放には義務と責任が伴うが、同時に屹立して
矢面に立つ覚悟がいる。

子供でなくなるとは、その心を立てるという
事なのである。





再始動

2019年02月25日 | ノンジャンル
一応、年明けとともに始動はしたが、
旧正月もあって、少し気勢を削がれていた。

決算後の4月が、いわゆる再始動の時でも
あるのだが、この2月に峠が多かった
せいか、全てを越えた今、例年になく
3月が再始動の時という実感が強い。

元号の変わる年、いつもよりひと月前に
再始動の充実があるというのは
ありがたい事なのであろう。

その時を目前にした今、再始動を迎える前に
感じる強い倦怠がある。

暖かい日が続いているせいもあるだろう。
だがそれは、縛りが解かれた時に感じる
弛緩による痺れに似た倦怠である。

私の今年の再始動は3月にあり、そのまま
新しい年まで走り続ける。

その意気や良し、
その生きるや良しなのである。





解放

2019年02月23日 | ノンジャンル
家というのは、囲いであろう。
その中にいれば安心であり、包まれる
安堵感がある。
囲いはまさに母である。

その囲いの外の世界を見せてくれるのが
父かもしれない。

だが、それはいわゆる犬の散歩である。
自由に歩いているようで、しっかり
首輪と引き綱を掛けられている。

巣立ちというのは、その囲いと縛を
いつ意識するかで、早くも遅くもなる。

親に準じる立場で、囲いと縛を早くから
意識していた私は、巣立ちも早かったが、
その分、引き戻そうとされることに
強い違和感と抵抗を感じていた。

今、父も逝き、やっとその囲いと縛から
完全に解放されたと感じている。
ホッとしていた変な気分はこのこと
だったかと気づいた。

人生の半ばを過ぎて、残された
時間の方が短くなって、初めて解放されたと
心底感じた。

それは、魂の自由を得たということ
かもしれない。

今までと変わらない生活と生き方ではあるが、
何とも伸び伸びとした気分なのである。





岐れ

2019年02月21日 | ノンジャンル
父が逝った。

母親と同じく、その年の誕生日を迎える前に逝った。

享年78歳。あのぼろぼろの身体で、よくぞここまで
生き延びたものだと思う。

元日、家族で墓参りを済ませた後、ふと思い立って
父に皆で会いに行った。

年明けから忙しく、バタバタしていたが、
虫の知らせか、亡くなる3日前に父に会いに行った
私は、その時が今生の別れのような気がしていた。

その一杯を手にして口まで持ってきた時に、
子供たちの顔を思い出せと言ってくれた父。
それから今まで、一滴たりとも口にしていない事、
その言葉を今でも、いやこれからも感謝している事を
話した。

まともに声を出せない状態でも、よく分っている
ことは見て取れる。そこはやはり親子なのだ。

口が乾いているので、水を飲ませようとしても
吸い口を吸えない。
スプーンで少しずつ口に注ぐと、うまそうな
顔をしていた。

口内で剝れた粘膜が気持ち悪そうだったので、
清浄してやり、背中が痛いというので、
手を差し込んでマッサージをしてやった。

その背中は、昔の筋骨隆々とした背中ではなく、
骨が露わにわかるほどになっていた。

母親の時はあまりにも突然で、茫然自失だったが、
そうした二人の別れの時間があったせいか、
訃報にもさほど動揺はなかった。

痛み無く、苦しむことなく、穏やかにその時を
迎えてくれたならという一点だけを祈ってきた。
眠るように逝ったというから、良かったという
思いの方が強かった。

父と息子の別れというのは、そういうものだろう。
母との別れの時のような、粘着性や湿っぽさがない。
今までも、そしてこれからも訪れる様々な岐れの
ひとつだからであるだろう。

別離というより、岐路といった方が良い。
それは別れではなく、岐れなのである。

そして、それぞれ、様々に枝分かれした衆流も、
いずれは大海に還っていくことを理屈ではなく、
感じているからだろう。

ただ、正直なところ、子供もいる、家内もいる、
兄弟もいるのに、これで今生ではひとりになった
という感慨がある。

淋しいのでもなく、悲しいのでもなく、
なんとなく、ホッとしたような、変な気分である。





協働ということ

2019年02月20日 | ノンジャンル
ひとことで言えば、それぞれ自分のできることで
お互いに助け合うという事である。

小さな自治体というものの根本精神は協働であった
はずである。この精神の衰退が、社会全体の
精神的衰退に反映されてきた。

各地の商店街の衰退はまた別の意味があるのだが、
協働精神の衰退もその一因ではある。

譬えて言うなら、ある商店街のある店舗が、
独自の工夫と努力で、連日行列ができるほど
繁盛しているとする。

その商店街全体で見れば閑散としているのだが、
その店舗のみ大賑わいであるといった構図。
これは資本主義である。

繁盛している店があろうが、閑古鳥の鳴いている
店があろうが、商店街全体の収益を、各店舗に
均等に分配する。これが社会主義だ。

いずれも一長一短ではあるが、それを凌駕したのが
小さな自治体の協働ということである。

各店舗共に独自の工夫と努力をすることに
変わりはないが、その為の資金、あるいは不慮の
事故の補償など、他人事ではないという
共同意識によって、協同する。

つまり、共同と協同によって、協働を具体化して
いくというのが、地域自治の根幹であった。

良い時もあれば悪い時もある。困った時はお互い様
という精神こそが、理想社会の縮図としてそこに
確かにあったのである。

いや、もちろん今でも各地にその理想社会はある。
他人の幸せを喜び、自身の苦境に差し延べられた
手に感謝し、また自分なりに手を差し延べていく。

他人を蹴落とし、あるいは黙殺し、他人の不幸の上に
自身の幸福を実現しようとする社会において、
人として、人との関りの中で生きていかざるを得ない
中で、どちらが本当に幸せなのか。

シャッターの閉まった店が多い商店街を歩いている
時に、そんなことを考えていた。