ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

123

2011年04月30日 | ノンジャンル
震災のせいだろうか、これからの過密なスケジュールの
せいだろうか、どうも連休気分ではない。

ただ、節目節目に、新たな心構えを持つという点では、
日々、今までよりもずいぶん実感として意識している。

今年は娘も大学、息子も高校2年生。
久し振りにお墓参りだけでなく、足を延ばして小旅行と
してみようか。

すっきりと仕事もひと段落させ、事務所もきれいに掃除して、
心穏やかに連休を迎えられそうである。

今日は、通院の後、カミサンの母親のお墓参りに行ってきた。
連休中は私の母親のお墓参りに行く。

ふと気付くと、二人の命日をばらばらにすると、
12345となる。

私たちの123は、お墓参りで始まるのかもしれない。

123、123と、これからも皆で歩いていく。




うさぎ

2011年04月27日 | ノンジャンル
帰国して、翌日の土曜日が母親の命日であった。

お墓参りは毎年連休中に行くのだが、今朝の新聞で
懐かしい曲を思い出した。

森進一の「うさぎ」という曲である。
古い歌なのだが、シングルリリースされたのが、
バブル絶頂期だった。

母親は森進一のファンで、若い頃、彼とダンスする
夢を見たと言って喜んでいたのを憶えている。
その影響で、私も演歌といえば森進一となっている。

この曲も聴いた覚えがあるが、当時の世相にそぐわない、
単調で暗い雰囲気で長い曲なので、もう随分永い間
忘れていた。

曲自体は、記憶の通り、坦々とした、暗い調べなのだが、
その詞を読んで、涙があふれた。

そして、この曲がなぜ、あのバブル絶頂の時に
リリースされたのかをしみじみと考えさせられた。

「名もなく、貧しく、美しく」

日本人の貴さは、その中にこそあった。

「ボロは着てても 心は錦」

日本人の美しさは、その精神の気高さにあった。

「いっしょう けんめい 生きてます」

その言葉が心に重なり、涙があふれる。

是非一度、その詞を読んでみてください。

http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=32131

*著作権の関係上、転載せず、歌詞のリンクを貼っています。



失ったのか?

2011年04月26日 | ノンジャンル
確か、初診の頃のミーティングで、失ったもの、得たもの
というテーマで考えたことがあった。

お酒で失ったもの、断酒で得たもの。
断酒で失ったもの、お酒で得たもの。

お酒を嗜んで、それが生活に潤いや活力、そして満足を
もたらすなら、無論お酒は有益である。
病気などによって、そういうお酒を飲めなくなったとしたら、
確かに失ったと言えるであろう。

これに対し、酒害というのは、文字通り有害であり、
失い続けることである。

時間を失い続け、お金を失い続け、自分をも失い続ける。
それが信用を失い、家族を失い、仕事を失い、家を失い、
健康を失い、最終的に命までも失うことにつながっていく。

失い続ける酒害者にとって、断酒は唯一、失ったものを
取り戻せる手段であり、機会であるから、酒害者が
断酒によって失うものなど一つもない。

楽しくお酒を嗜む、その有益さを失ったと言うなら、
それは断酒によってではなく、酒害に侵されている時点で
既に失っている。

我々にも、お酒で得るものが多い時代があった。
それがいつしか、お酒で失うばかりとなってしまった。
そして、もうお酒でなにがしかの有益なものを
得ることはできない。

あとは、そのまま失い続けるのか、少なくとも
断酒によって、失うことを止め、少しずつでも
取り戻すことを始めるのかどうかなのである。

断酒によって失ったものなど一つもない。
当然ながら、取り戻す、得ることばかりなのである。

失ったと感じるのは、断酒によってではなく、
酒害者となった時点で既に失っていたことなのである。

三度繰り返す。
断酒によって失ったものなど一つもない。




格差社会

2011年04月25日 | ノンジャンル
日本でも、格差社会という言葉が使われるようになって
久しいが、それはいわゆる中流階級と呼ばれる一般と、
セレブと呼ばれる極端な富裕層との違いではなかろうか。

その意味ではこの言葉は何となく相応しくないような
気がする。

中国の発展は日々、月々単位で目覚しいが、それは海岸に
沿った都市に限られてのことである。
内陸ではその恩恵にあずからない貧困層が青息吐息で
日々の生活を送っている。

沿岸、内陸の格差は極端ではあるが、都市部においても
その差は具体的な景観にも表れている。

近代的なビルがそびえる手前には、廃墟かと思えるような
住宅に、人々がひしめき合って生きている。
ホテルの部屋の窓からは、そうした住宅より、七輪で焼く
魚の煙が立ち上るのが見える。

一泊の料金が、彼ら家族4人のひと月の生活費に匹敵する。
一杯のコーヒー代が、彼らの一日の生活費に等しい。

巨大な懐に無数ともいえる人々を抱いて、
この国は蠢くように胎動しているようにも見える。

広大な国土。 多様な民族、文化、言語。
そして、世界を席巻する人口。

そこから何が生まれるのかは、まだまだ未知数で
あることに変わりはない。

その制御しようのないエネルギーは、むしろ
その格差によってこれから生み出されていくだろう。
そこに理想と現実、理念と実利の反駁による噴出が、
そのエネルギーを方向づけていくこととなる。

この国の強大な軍事力は、対外防衛というよりも、
むしろその国内のエネルギーを制御するためにこそ
あるのだろうと、窓の外を眺めながら考えていた。






ファーストキス

2011年04月18日 | ノンジャンル
高校時代は、私立の厳しい生活を送っていた娘。

大学の自由さ、そして男女共学の楽しさに、
毎日、踊るように出掛けていく。

大学時代が様々な意味で一番楽しかった記憶も、
私自身、あざやかに心に残っている。

充実した4年間であって欲しいと願う。

どういうわけか、ファーストキスの話題になった。
女子高であったので、娘もこれから自由な恋愛が
できるとあって、浮いた話が食卓を賑わせる。

いろいろと乙女チックな、半ば妄想ともいえる話をする
娘に私が一言・・・。

「心配せんでも、お前や○○(息子)のファーストキスは、
 すでに俺と済んでいる。」

娘 『うそやん、やめて、いやや~!!」

息子 『・・・・・げ~ マジでか!?』

私 「ふふふ、お前たちはもう終わってるんや。」

娘、息子 『・・・・・・・・・・・・・・・』

娘 『母ちゃんのファーストキスは、父ちゃんとやったん?』

カミサン 『(笑)あたりまえやん!』

(ウソばっかり・・・・)

息子 『そうなん?』と、私の方を向く。

私 「まあな。」

(大ウソ~~~)

キツネとタヌキを前に、妙に感心したような子供達。

これは違う意味で、仮面夫婦かもしれない。

それでも、これから長い人生を生きていく彼女らに
必要なのは、生々しい現実よりも、夢と希望なのである。

その、ファーストキスの夢の出鼻を挫いているじゃないか
というご批判は、受け付けないこととする。

これは、大阪の、ボケとツッコミの文化なのである。