ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

旅立ち

2010年06月26日 | ノンジャンル
来週は日本を留守にします。

とはいっても、通信機器はどこにいてもつながるので、
ネットの世界ではあまり実感がないかもしれません。

梅雨空を越えて、また眩しい世界を見るのが楽しみです。
地球の殻を破って飛び出したような気分になります。
夢物語ですが、死の直前には、宇宙へと身も心も
投げ出したいと願っています。

遠い未来には、宇宙葬というものができるかもしれません。
しかし、どこにいようと、死というものは、
宇宙へと還っていくことなのかもしれません。

さて、飛行機は、事故を起こせば大きな惨事となるので
誤解されていますが、統計上最も安全な乗り物です。
ただ、鉄道や車のように止まるということができません。
コントロールを失うことが致命的となります。

それでも、飛行機に搭乗する時には、万一の覚悟を
いつもしています。
まだ子供達が幼い頃は、不慮の事故に備えて、
一億円ほどの保険に入っていました。
今はもうそんな必要はないので、
ごく普通のレベルですが・・・。

ともかくも、空へと旅立つ時はいつもわくわくします。
飛行機が本当に好きで、その出発と帰還の場である
空港も大好きです。

昔なら、船で港から港へと旅をするロマンでしょうね。
茫漠たる海を眺めながらの旅もいいでしょうけれど、
無限の宇宙の広がりを感じながらの旅が、
私はやはり好きです。

飽きることはありませんし、今でもいつか戦闘機に
試乗する夢を諦めてはいません。
日本では到底無理でも、アメリカなら何とかなるでしょう。

そんなことを考えながら、雨の土曜日を過ごしています。
皆様には、一服の涼を差し上げて、月曜日に旅立ちます。






連獅子

2010年06月25日 | ノンジャンル
五年の節目のお祝いにと、わざわざ送って頂いた作品です。

全体




クローズアップ



折り紙と、押し花の作品をブログに掲載されていて、
いつも楽しみにしているのですが、何より、これが押し花? 
これが折り紙? と驚嘆するような作品に
感心させられています。

この連獅子の作品は、和の雅な雰囲気がとても好きで、
自宅に飾りたくなるなどと、図々しくも、遠回しの
おねだりのようなコメントを入れたのですが、
ありがたくも記念にと頂戴することになりました。

折り紙の図柄が違うので、わざわざ新たに折って、
すぐに飾れるように制作して下さったのでしょう。

でも、ブログに掲載されていたものよりも、この作品が
一番気に入りました。図柄といい、対照的なアレンジといい、
私の好みの的をずばり射た作品です。

なんだか申し訳ない気もするのですが、本音を言うと、
本当に嬉しいです。 

大切に飾りたいと思います。

おまけ? ではないのでしょうけれど、こんな可愛らしい
折り紙も入っていました。




メッセージも折り紙に書かれていましたが、
送って下さる際の心遣いや、折り目正しさ、優しさが
梱包にまで細々と表われていて、改めて感心しました。

本当にありがとうございます。

大切に、大切にさせて頂きます。

ご本人におことわりはしていませんが、ブログで
掲載されていますので、ご紹介させて頂きます。

KIMIEさんの作品のサイトです。
http://origaosiba.exblog.jp/

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、SAIKIさんの
お姉さまです。もちろん、梱包して送って下さったのは
SAIKIさんです。

良い記念になりました。お二人ともますますお元気で、
これからもご活躍されることを祈っております。

本当にありがとうございました。




メッセージ

2010年06月25日 | ノンジャンル
この国の成り立ちは、個々の尊厳よりも、公に対する貢献に
重きを置いてきた事に尽きる。

つまり、個々が、その立場、分際をわきまえた上で、
その役割を果たしていくということに、美徳的価値を
置いてきた。

これは、個人の尊厳を最優先に置く欧米とは対極にあるが、
どちらがということではなくて、いずれもその表われ方に
プラスとマイナスがある。

言葉やメッセージにおいて、我々はしばしば、その言葉や
メッセージ自体に注目して、それを咀嚼し消化するという
ごく当たり前のことができないことが多い。

その言葉やメッセージを、誰が発したかに
注目することが多い。これはもはや固有の文化、
民族性と言っても過言ではない。

「今日一日を大切に。」

言葉そのままに注目し、自分なりに前向きな一日に
しようという動機付けとなったならそれで良い。

だが、この言葉を発した者がニートで、いい年をして
毎日を無為に過ごし、年老いた親に食べさせてもらって
いるような人だとすれば、
「お前が言うな。」ということになる。

我々が好むのは、例えば余命を宣告された患者が、残された
短い日々を精一杯生きようとしている中でこの言葉を発する
ということなのである。

言葉そのものは何も変わりないのに、我々が見るのは、
その言葉ではなく、その言葉を発する人がどういう人で、
どういう環境下にあって、どういう立場や地位の人か、
あるいは、自分とどういう位置関係にある人かなのである。

繰り返すが、これは、その文化や民族性によって我々の中に
根ざしているものであるから、それを急に変えることなど
できないであろう。

ただ、言葉やメッセージ自体に注目するということを
あえてやってもいいのではないかと思うのである。

ある言葉に感動して、それを自身の座右の銘とさえ
していたのが、その言葉を発した人が実はとんでもない
偽善者だとわかると、とたんにその言葉は色褪せてしまう。

つまり、その言葉そのものではなく、その言葉を発した人に
感動していたことになる。

私もしばしば、「お前が言うな。」という場面に出くわすが、
後に少し冷静にその言葉自体を反芻する。
そして、その言葉を咀嚼し、消化し、吸収するか、
排出するかを自分で判断するようにしている。

誰が発した言葉かに囚われるよりは、その言葉自体を
ありのまま受け容れ、自分なりに処理をする。

それが前へ進む力となればよし、必要無ければ
置き捨てればよし、いずれにせよ、自分の主体的な行動に
繋がるのであればよい。

そして、その中で自分なりの言葉を発していけば
良いのである。




禁酒

2010年06月22日 | ノンジャンル
我々がお酒をやめ続けるのは、断酒であって、禁酒ではない。

どちらでも良さそうなものだが、自らの意志でお酒を断つ、
そして、お酒の勧めを断るから断酒なのである。

自らに対してお酒を禁じるとも言えるが、どちらかと言えば
お酒を禁じられるというニュアンスがあるので、
禁酒とは言わない。

例えば法律や戒律など、外的な力でお酒を
禁じられるのであれば、抑圧の感が拭えない。
抑圧は解放を求めるので、禁酒法などはまるで
意味がなかったことは周知の事実である。

お酒を断つのは、自らの意志の発動である。
己心の欲求と理性との闘いである以上、
抑圧も解放も共に自身の中にある。

誰の為でもない、誰のせいでもない、誰に強制される
ものでもない、自由なる自身の意志の発動として、
断酒なのである。

節酒というのは、節度ある飲酒のことである。
我々には、この節度が、こと飲酒に関してはもう持ち得ない。
これを再び求めるなら、それは再びお酒の虜となる、
つまり自らを縛ることとなる。

節酒を求めるのは、囚われの身である事と変わらない。
そもそも、何故にそこまでお酒に拘るのか。
そこに自身の自由な解放は見られない。

お酒で大切なものを失い、自身も周りも害してきたなら、
そして、それが自分の本意ではなかったなら、
まずは自らをその呪縛から解放してやらねばならない。
それが断酒ということである。




この5年 (3)

2010年06月21日 | ノンジャンル
この病気の回復において、自助グループの重要さは
よく理解できた。

ただ、なぜか自分自身は積極的に参加する気になれなかった。
いわゆる、本人、家族という直接的な当事者のみが
集まる場というのが、何となく意にそぐわなかった。

求めていたのは、むしろ家族、医療関係者などの、
客観的な目であったように思う。

月に一度の院内例会では、通院している患者、断酒会に
所属している方々、AAに所属している方々、家族、
医師、看護師、ケースワーカーと、様々な立場の人達が
一堂に会する。

私はこの院内例会がもっとも自分に合っている気がした。
なかなか、出張などで毎月参加というわけにはいかないが、
自分の原点を振り返るには、やはり病院でのこの例会が
私には適しているように思える。

一年経って、一通りお酒を飲まずに四季を過ごした後は、
その一年を繰り返していくのみと考えていたが、
断酒期間が延びるにつれて、様々な課題や問題も
大きくなっていった。

それは、さも成長していく中で、目の前に立ちはだかる壁も
成長に応じてより高くなるようなものであった。
出張も国内から海外へ、しかも出張先がどんどん
遠くなっていく。

韓国、中国、マレーシア、そして昨年のドイツ、スイス、
チェコと、だんだん距離が長くなっていった。
もしも、断酒初期の頃にいきなりヨーロッパ出張と
なっていたら、仮に飲まずとも精神的負担は
計り知れないものとなっていただろう。

もっとも、初期に新たな取引が始まり、その取引先が九州の
焼酎等の酒造メーカーであったという皮肉なこともあった。

気分的には断酒期間が長くなると共に、その浮き沈みの
振幅は小さくなだらかになっていったが、時にひどく沈んで
物事を前向きに考えられず、ただ飲まないだけという状態に
なんとも言えないやるせなさを感じたことも多かった。

ともかく、病院へ逃げ込んで、あの時よりはまし
ということを心に刻み直して、その局面をやり過ごした
ことも非常に多かった。
2年に至るまでは、仕事を終えて、夜診に駆け込むことも
かなり頻繁であったと思う。

3年というのが一つの転換期であることをよく聞かされて
いたので、自分なりにその期待が大きかったの
かもしれない。
実際に3年経ったときというのは、それなりに
どっしりとした落ち着きを感じることができたが、
期待していた程ではなかった。

4年経ち、自分では「それなり」になってきたかと
思っていたが、実は「それほど」でもなかったことに
気付かされ、ひどくがっかりした。

何をやってるんだろうなと思いながら、断酒しても
何も変わらないなら、いっそ一人で野垂れ死ぬかと
ばかな事を考えもした。

飲まないから生きている。生きているから、
いろいろな事がある。いろいろな事があるから、
生きていける。

生きるとは、困難との闘いの連続か。
むしろ、闘いの終わりではなく、その闘いの中にこそ
幸せがあるのかもしれない。

美しく生きることはできなくても、
正々堂々と生きてやろう。
やれることを精一杯やっていこう。

成長は何も若い者にだけあるわけではない。
今をどう生きるのか、それこそが問題なのだ。

5年経ち、今思うのは、飲まないから物事がうまく
いくのでもなく、飲まないから苦しいのでもない。
思い通りになることの方が少ないのが普通であり、
ようやくその普通になってきたのかということである。

仕事面で言えば、5年前よりもはるかに厳しい
環境下にある。
それでも生きていくなら、やれることを精一杯で
いいではないか。

今日一日を精一杯生きる。それ以上も、それ以下もない。
自分以上は未来、自分未満は過去。
現在の自分のありのままで、もがきながらでもいい、
苦しみながらでもいい、一歩前へ出る。

一日断酒とは、そういうことかもしれない。
だからこそ、断酒を始めたばかりのものであろうと、
何年も継続しているものであろうと、同じ事なのである。