ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

笑顔

2011年06月27日 | ノンジャンル
まだ梅雨も明けきっていないというのに、
真夏日と熱帯夜が続いている。

暑いのは、さほど苦にはならない。
汗をびっしょり掻きながら、やることをやって、
その後に水をかぶれば爽快感に包まれる。

間断なき苦難と懊悩の中にいる時は、ついつい、
孤独感に苛まれる。 いっそ、独りの方が、
その苦しみは半減するであろうとさえ思われる。

だがそれは、喜びも己自身の力も半減させてしまう。
それどころか、立ち向かう意志をさえ萎えさせる。
人は自分のためにだけ生きられるほど強くはない。

重い心と足を引きずりながら家を出る。
ふと振り返ると、手を振る笑顔がある。
くそったれ、負けてたまるかと、足に力が入る。

疲れ切って戻れば、他愛もない話で食卓が笑顔に包まれる。
家内というのは、専業主婦のことではなく、こうして
家を守ることなのかと感心させられる。

独りでいたなら、間違いなくこの局面に至るまでに
厭世的な、流浪の身となっていただろう。

頼りない心を、多くの笑顔の支えによって
倒れさせることなく、ここまでやってきた。

立ち直るきっかけも、その笑顔を壊したくなかった
からである。

今月、娘は19の誕生日を迎えた。
私に向ける笑顔は、昔と変わらない。

互いを支え合うというのは、我が家では笑顔の交換という
ことである。
独りでニヤついていれば、ただのキモイオヤジである。

本当にどうしようもない時に、自身を支えたのは
そのひとつひとつの笑顔であった。

同じように、自身の笑顔が、家族を支える力となって
欲しいと願ってやまないのである。




在楽苦中

2011年06月24日 | ノンジャンル
いつも言うように、3の倍数が大きな節目となってきた
私にとって、6年を迎えたこの6月はこれまでで最も
過酷な月であった。

急遽、中国へと飛んだのが3日。
およそ8日間、現地で死に物狂いの働きをして、何とか
目途が立ったものの、常に不安が付きまとい、懊悩を
抱えながら、忙殺に近い日々を送ってきた。

間の悪いことに、帰国後風邪をひき、頼みの頑丈な身体も
疲弊して、それが懊悩をさらに深めるという悪循環の中、
時にはなるようになれと開き直りながら、自身を支えてきた。

こと、自分自身が何とかできることなら、何とでも
するのだが、相手のあることなので何ともしようがない。
祈るような想いで、多忙な日々をともかくも一日一日
過ごしてきた。

とてもブログどころではなく、気が付けばこの記事で
今月はたったの4件目。 かつてないことである。

一筋の光明が見えたのが昨日。
ここぞとばかりに突き進んで、どうやらギリギリのところで
難を乗り越えられそうである。

息をするのも苦しいほどの日々であっただけに、ようやく
少し安堵の息が抜けると、何とも楽なものである。

とはいえ、来月は輪をかけて忙しくなる。
それでも、自分が頑張れば何とかなることなので、
気分的にはずいぶん楽である。
いやまて、しかしこれはかなり大変なことになる。

まずは体調をしっかりと戻すことが先決のようだ。

それにしても、いやはやまったく、大変な年と
なるようだが、また新たな闘志が涌くのを感じながら、
この週末を迎えられるのは、幸せというものだろうか。

休む間もなく、新たな闘いが既に始まっている。




ONE

2011年06月13日 | ノンジャンル
ONE FOR ALL、 ALL FOR ONEという
言葉がある。

これは、大前提として、ONE FOR ALLがある。
しかも一個の独立し、自立したONEである。

10人いたとして、一人一人がこのONEとなった時、
それは10人力ではなく、100人力となる。

仮に倒れた一人を90人力で支えても、立ち上がるのは
1人力、あるいは自身も含めて10人に向かう力である。

「神は乗り越えられる試練しか与えない」

人が創った神なぞに、わざわざ苦労の試練を与えられては
かなわない。

生きるということは、この世で具体的に思考し、
行動することである。
前へ進むのが生命の発動なら、当然のごとく反作用が生じる。
それを試練とも、困難とも、壁ともいうのである。

誠に残念ではあるが、事故や災害で亡くなってしまった
人達には、この試練というものはない。

生き永らえ、生き延び、生き残った者にこそ、
この試練というものはある。

試練にせよ、困難にせよ、壁にせよ、誰かに与えられる
ものではない。

自らが成長し、前へ進み続ける中で、その時点での
自身の力や可能性と同等の試練というものが自然に
生じるのである。

眼の前に立ちはだかる壁は、現在の自身と対等である。
それを乗り越えるには、今の自分から、一歩前へ
出ることが必要である。

その一歩が、これまで経験したことがないほど
苦しいものであることは間違いない。

そこで諦めるか、自身の更なる前進の可能性を信じるかが
大きな分岐となるのである。

よって、私は常に自分に言い聞かせている。

いかなる困難に直面しようと、少なくとも目の前に
立ちはだかる壁は、今の自分と対等であると。

そこで諦めるか、苦しい一歩を踏み出すか。
それを決めるのも自分自身である。

ONE FOR ALLを謳うなら、その苦しい一歩を
踏み出す覚悟がいるのである。

他者の覚悟の上に胡坐をかくような、
ALL FOR ONEを先とすることは論外である。

自らの義務と責任を脇において、権利と自由を主張するなら、
ALLはいなくなり、ALONEとなるのみである。

ONLY ONEとは、この ONE FOR ALLの
ONEなのである。




ひとつずつ

2011年06月09日 | ノンジャンル
断酒6年となり、亡き先生への想いに浸る間もなく
突発的な問題発生。

2日の夕方になって急遽出張を決め、3日訪中。
昨日8日までかかって、ようやく一応の目処が立った。

この10日にようやく帰国することになる。

この皮肉な試練ともいえることは、一体何なんだろう。

出来る事を全てやるつもりではいたものの、
全く先の見えない状況に、毎日、祈るような思いであった。

少し解決の糸口が見えたかと思うと、儚くも消え去り、
また期待してみればあっさり裏切られる。

そんな苦悩の中にあって、一日だけ休日で何とも仕様が
ない日に、淘金山というところへ行った。

観光どころではないし、そんな気分でもなかったが、
ホテルで悶々としていても仕方がないので、
出かけることにした。

写真は正面だが、これは堂へのほんの入り口にすぎない。

釈迦の仏舎利塔が山の頂上にそびえ、その下方に巨大な
臥佛と呼ばれる、釈迦の寝姿の像がある。

そこへ行くまでには、何百段という階段を上っていかねば
ならない。

上っても上っても、階段は続き、汗が噴き出す。
なんでまたこの苦しいときに、さらに苦しいことを
しなければいけないのかと恨めしくもあったが、
息を切らせながら、やっぱり、一段一段上っていくしかない
という先生の言葉を思い出していた。

途中にいくつもの休憩場所があったが、なにか休憩する
ことがせっかくの大事なものを失うことになるような
気がして、上っていくと、その臥佛のある広場へと出た。

急に視界が開けて、その巨大な像を目にしたときは、
圧倒された。

同時にその像を造った人達の労苦。 そして、上るだけでも
大変な石段を敷き詰めた人達の重労働に想いを馳せていた。

さて仏舎利塔はさらに上、頂上にある。
また長い階段を上って行った。

頂上にそびえ立つ塔。 眼下に広がる広大な絶景。

地上から一足飛びにそこへ辿り着けば、楽ではあっても、
同じような深い感慨を持つことはないであろう。

息を切らせながら、汗をかきながら、足を引きずりながら、
それでも一段一段、上っていく。

生きていくということはそういうことなのである。

汗びっしょりの体に、吹き流れていく風が心地よい。
これこそが生きている喜びなのだと思うと、元気が出た。

今回の問題と出張で、またひとつ階段を上れたのかもしれない。








ひとまわり

2011年06月01日 | ノンジャンル
今日は、初めてクリニックへ足へ運んだ、原点の日である。

出張の予定が延びたので、クリニックへと向かった。

6年前のあの日とは打って変わって、小雨の降る
肌寒い朝だった。

あの日は、もう初夏を思わせる晴天で、確か半袖の
ワイシャツにネクタイという姿であった。

処置室で、天井を眺めた。 
無数の虫が這いずり回っていた天井である。

点滴を見た。 
半トラ半魚が上からぶら下がって、チューブを
ストローのようにして私の体液を吸っていた点滴である。

今日は水曜日。 あの日も水曜日だった。
ちょうどひとまわりしたことになる。

当初からいらっしゃる看護士さんはもう一人しかいない。
大変だったでしょうと感慨深げであった。

担当のケースワーカーさん。 電話で最初にお話した方。
そして、受付の方々。

声をかけて頂き、おめでとうと言われると、面はゆくもあり、
嬉しくもある。

また新たな覚悟で、これまでと変わらず前へ進むしかない。
返信のくるはずのないメールを送った。 「元気です。」と。

いつものように、帰り際、診察室に向かって一礼をした。

きびすを返して、歩き出すと、なぜだか急に
こみ上げるものがあって、涙があふれて困った。

やはりこの日に、あの温かい手との握手と、穏やかな笑顔が
見られないことが、ひどく淋しいし、辛い。

亡くなった人が、本当にもういないということを
実感する時ほど淋しいものはない。

年に一度くらいいいではないか。
今日は、先生の笑顔の前で、素直な泣き顔で、
新たな覚悟を決めることとする。