ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

カミサン

2007年01月31日 | ノンジャンル
普段、対外的には、家内のことを、「カミサン」と呼んでいるが、
このカミサンというのは、どう書くのかなどと、どうでも
良いようなことを、ふと考えた。

女将さんは、「おかみ」だし、神さん? 守さん? 上さん???

どうやら、「上さん」らしいが、私にとっては、どの字を当てても
納得させられてしまいそうである。

私が留守の家庭をしっかり守ってくれている、「守さん」であり、
人間的には格が上の、「上さん」であり、
こんな男を見捨てずに救ってくれた、「神さん」である。

パートに、子育てに、家事にと、目が回るほど忙しい毎日を
過ごしていくには、体力が勝負とばかりに、週に何度か、
スポーツジムに通って汗を流している。

しかし、感心するほど元気で、明るくて、風邪ひとつひかない。
この母親のもとで、ぐれるような子はいないと思う。

「カミサン」という時は、実際にどの漢字を使っても
足らないような気がして、カタカナにしている。

偉そうな事を言っていても、この「カミサン」に、愛想を
つかされて、見捨てられたとしたら、とてもじゃないが、
まともに生きてはいけないのではないかという、とほほな
男がここにいる。

そんなことはない、一人でもしっかりやっていけるさなどという、
何の信憑性も無い強がりは、あえて、やめておくことにする。

いろいろな面で救われて、何とか頑張れている、おかげさんの
代名詞のような自分がいるだけであるが、飲んでいた時の様な
不甲斐なさや、情けなさは、もう無いのである。



子供たち

2007年01月30日 | ノンジャンル
自分の子供でありながら、娘も、息子も、不思議なくらい、
素直に育っていると思う。
やはり、子供にとっては、母親の影響するところが大きいのだと、
改めて感心させられる。

父親としてなどと、大仰に何かを言えるような事はしていないし、
反面教師となれるところはあっても、手本となれるところは
少ないと思われる。

だが、子供たちは、未だに父親を意識して距離を置くという
ことはなく、むしろまとわりついてくる。
思春期ともいえる娘などは、特に父親を嫌う時期だと思うのだが、
いろいろな話を聞かせてくれたり、べたべたとくっついて
きたりする。
お風呂からあがると、タオルを肩にひっかけて、素裸で、
人の前をうろうろする。
胸も膨らみ、大人の身体に近くなってきたというのに、一向、
無頓着である。

時には、一緒にお風呂に入ろうと誘ったり、私が入浴中に入って
きたりもする。
裸の付き合いというやつか。。。 
お風呂の中で、また、いろいろと話を聞かせてくれるが、
こちらの方が、恥ずかしいやら、目のやり場に困るやらで
閉口してしまう。

まあ、まだ気持ちの上で幼い、今のうちだけだろうとも思うのだが、
ふと考えるに、一人で飲んでいた頃には、それだけ淋しい思いを
させていたのかもしれない。

そういえば、何かと二人がくっついてくるようになったのは、
お酒を断ってからのような気もする。
子供達にとっては、ようやく、厳しいながらも甘えさせてくれる、
父親らしい父親に映るようになって来たのかも知れない。

いずれにせよ、このまま心身ともに、健全に育ってくれれば、
親としては申し分無い。
成績は、今一つの様だが、これも、蛙の子は蛙で、今後の本人の
自覚次第である。
あまりにも多くを期待することは、親の贅沢だと思っている。

元気で、心も健やかであれば、親として、それだけで充分
幸せなのである。



手段を選ばない

2007年01月28日 | ノンジャンル
いわゆる断酒2周目にはいって、最近、ふと寝床で、
あの苦しかった夜を思い出す事がある。
しかもかなり記憶がリアルで、眠れなくさえなる事もあった。
今や、そんな時には、安定剤を飲んでぐっすり眠ってしまう事に
している。

あの時は、お酒を飲ませるためなら手段を選ばない、『彼』がいた。
脅迫、罵倒、泣き落とし、煽動、説得、誘惑。。。と、
ありとあらゆる手段で、とにもかくにもお酒を飲ませようと
していた。

一体その執拗さはなんだったんだろうかと、いまだに解らない事も
多いのだが、感心してしまうほどのしつこさは、誰のものでも無く、
自分のものに違いは無い。

病気といってしまえばそれまでだが、それにしても、あの潜在的な
執拗さには、脱帽してしまう。
それも自分自身だと思えば、我ながら感心もするのである。

今、飲まないという自分のしつこさは、及ばないまでも、かなりの
ものであると思っているが、所詮意識下のことであり、潜在的に
根ざしたものには太刀打ちできない事も解っている。

病気に囚われていた自分を見習って、というのも変だが、お酒を
飲まない事には、手段を選ばず、どんな手を使ってでも、二度と
アルコールを身体に入れない事を常に意識しておくべきかとも思う。

断酒は手段であるが、飲まない事にある意味偏執的とさえいえる、
しつこさを持っていて、丁度いいのかもしれない。
少なくとも、それができる潜在能力はあるはずなのである。



医療スタッフ

2007年01月25日 | ノンジャンル
日頃お世話になっている、医療関係の方々について、
ご紹介したいと思います。

主治医
常に柔和で、穏やかな表情をされ、大きな寛容さを感じさせる
先生ですが、こと、依存症治療に関しては、岩のような信念を
お持ちであることが伺われます。
絶対の信頼のおける先生です。

看護士さん方
Aさん: 
どっしりとした体格の持ち主で、おしゃべりではないのですが、
一言二言のつぶやきが、ズシッと患者の心に響く迫力があります。
Bさん:
一本気で、はっきりすっきりされた方ですが、内面では患者の
回復を家族のように願っておられます。
Cさん:
一見、話すことも、することも天然系ですが、いざという時の
対応は、意外に迅速且つ的確です。
Dさん:
明るいお母さん的な雰囲気で、いつも患者さんに声を掛けて
励ましている姿には、ホッとさせられます。
Eさん:
おとなしくて、無口な方なのでしょうが、微笑が愛らしく、
その笑顔だけで癒されます。
Fさん:
モデルのような長身の美人ですが、明るく元気に失敗をしそうで、
少々不安な面が。。。

ワーカーさん方
Aさん:
年のわりに、ベテランの雰囲気があり、話しぶりにも落ち着きと
自信が伺えます。慌てる姿をあまり見かけません。
Bさん:
一見クールな印象ですが、話すと、普通のお嬢さんです。
それでも、やっぱり、どこか冷めた部分も見受けられます。
Cさん:
なぜか、困ったような表情に見えてしまうのですが、笑うと
あどけない印象になります。しっかりした芯をお持ちです。
Dさん:
黙っていると普通ですが、笑うとはじける様な明るい
表情になります。
気持ちが先に行ってしまうようで、話し出すと早口になります。

こうして、端的に印象を書き留めてみましたが、実に、それぞれ
個性や、持ち味があって、おもしろいものです。

当たり前のことですが、断酒仲間にも、様々な方がいて、
同じように、人それぞれなのです。



遠く近い道

2007年01月24日 | ノンジャンル
風邪の症状も落ち着いて来ると同時に、思考も少々落ち着きを
見せるようで、前回の記事を見直すに、微熱の影響からか、論調が
熱くなっているような気がしたので、補足的に今回の記事で、
バランスを取りたい。

往々にして、依存症本人を加害者、家族を被害者として見る
向きがあるが、これは、例えば、客観的な観点が必要とされる時や、
便宜上、こういう立て分けで話を展開する場合には有効であっても、
実情は、家族というものは、本人も含めてのものであって、その中で、
刑法的な立割で、加害者、被害者などという概念を適応することは
出来ない。

つまり、加害者である依存症本人が、被害者である家族に対して
償いを行うというのは、心構えとしては良しとしながらも、本来の
家族のあり方ではない。
事実、加害者が償いの責務を負い、被害者がその償いを当然とする
ような関係が、家族の中で存在するとすれば、それはもう、
家族として成り立っていない。

お互いが、それぞれの出来ることをしながら支え合い、寄り添って
家族の暮らしというものを守っている以上、そこに、契約的なもの、
貸借的なものがもしもあれば、その家族は、本来の意味を失って
しまっており、家族自体が崩壊することは、目に見えている。

本人は、苦労や迷惑を掛けた分、それを越える幸せを、
共に感じられる様に、出来る事を頑張っていけば良い。
家族は、本人のその姿を見て、過去の傷を少しずつ癒しながら、
過去には想像も出来なかった、楽しい日々を共に
過ごしていけば良い。

本人も含めて家族である以上、皆が互いに赦しあい、励ましあって、
平凡たる大切な日々を分かちながら、前を向いて過ごす事が、
本人にとっても、家族にとってもの、回復という事だと考えている。

どれだけ迷惑を掛けられたか、どれほど傷つけられたか
ということに、いつまでも囚われていては、回復の道は遥かに
遠いものとなってしまう。

殴った者はすぐに忘れ、殴られた者はいつまでも覚えて
いるものだが、殴られたことは赦した上で早く忘れ、
殴ったことは赦された上で、覚えておくというのが、
回復への遠くて近い道のような気がするのである。