サザンカではなく、文字通り、サンサカである。
訛りというか、いわゆる音位転倒が起こって、
ササンカ、サザンカとなって定着したらしい。
それが学名ともなって、椿科(カメリア)の
SASANQUA種となってしまっている。
日常、頻繁に使っている「新しい」も、
この転倒の結果であり、本来は「あらたしい」である。
新たにという畏まった言い方だと、元の音位となる。
元の意味と真逆の意味となって使われている言葉は
多いが、その一つに「高み」という言葉がある。
高みの見物とはよく言われるが、何も高いところから
地上を見下ろして眺める視点ではない。
神は高みより地上をご覧になった。
仏は高みに有りて常住している。
この「高み」は、天上とか、人間社会から遥かに
かけ離れた天空ではない。
古くから、一般の人間の住む社会は、平地であった。
利便性一つをとってもそうならざるを得ないが、
その社会において忌み嫌われた存在、犯罪者、
ライ病患者、高齢者、浮浪者などは、その平地から
離れた高所へと追いやられた。
いわゆる高地への隔離である。
社会的には底辺である彼らがいるその高地、
高みに、神や仏は出現あるいは常住している
という事である。
この意味の転倒は、今の信仰を見るに明らかで、
人間あるいはその社会からかけ離れたところに
神や仏を置き、そこに近いものとそうでないもの
とをクラス分けし、差別する。
新しいことを追求することよりも、
新たな気づきこそが、今、最も求められて
いることかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/7a/b2573eb4e515ffc0ece02166fce7e8e7.jpg)
訛りというか、いわゆる音位転倒が起こって、
ササンカ、サザンカとなって定着したらしい。
それが学名ともなって、椿科(カメリア)の
SASANQUA種となってしまっている。
日常、頻繁に使っている「新しい」も、
この転倒の結果であり、本来は「あらたしい」である。
新たにという畏まった言い方だと、元の音位となる。
元の意味と真逆の意味となって使われている言葉は
多いが、その一つに「高み」という言葉がある。
高みの見物とはよく言われるが、何も高いところから
地上を見下ろして眺める視点ではない。
神は高みより地上をご覧になった。
仏は高みに有りて常住している。
この「高み」は、天上とか、人間社会から遥かに
かけ離れた天空ではない。
古くから、一般の人間の住む社会は、平地であった。
利便性一つをとってもそうならざるを得ないが、
その社会において忌み嫌われた存在、犯罪者、
ライ病患者、高齢者、浮浪者などは、その平地から
離れた高所へと追いやられた。
いわゆる高地への隔離である。
社会的には底辺である彼らがいるその高地、
高みに、神や仏は出現あるいは常住している
という事である。
この意味の転倒は、今の信仰を見るに明らかで、
人間あるいはその社会からかけ離れたところに
神や仏を置き、そこに近いものとそうでないもの
とをクラス分けし、差別する。
新しいことを追求することよりも、
新たな気づきこそが、今、最も求められて
いることかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/7a/b2573eb4e515ffc0ece02166fce7e8e7.jpg)