ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

絆し

2017年12月04日 | ノンジャンル
歴史や伝統のある世界というのは、
いわゆる閉ざされた世界である。

その良い意味での閉鎖的な世界だからこそ、
長い歴史を経て伝統を継承し、守っているのである。

それを年ごとに移り行く社会と同列、あるいは
一部としてしまえば、流行り廃りの渦に
巻き込まれて崩壊してしまう。

伝統芸能、芸妓、相撲などはまさに、現代に
あってもなおその閉ざされた世界である。

相撲界の一連の騒動で喧しいが、騒いでいるのは
マスコミばかりである。

それも、部分や印象、又聞きのお粗末な取材で得た
情報を誇張している様は、娯楽週刊誌と変わらない。

それに翻弄されて、火消し、もみ消しに躍起と
なっている協会は、もはや世間と同列のものと
なってしまった。
やっていることは、一般の会社と変わりない。

さて、閉ざされた世界というのは、悪く言えば
絆しによる縛られた世界と言える。
反面、それゆえにどの世界よりも深い絆で
結ばれている。

絆とは、もともと絆しの意味である。

その意味でいえば、親元を離れ、弟子入りして
くるものは、部屋に入った時に、親方が父親であり、
おかみさんが母親となる。

弟子は子供であり、会社の部下とはまるで意味が
異なる。

横綱が引退し、騒ぎの中心となっている親方は、
入門時代、現役時代、そして現在に至るまで、
相撲の伝統という面では少しもぶれていない。

むしろぶれているのは協会側である。

自分の実の子供が、殴られて大けがをしたとしたら、
親はどうするのか。

弟子を命がけで守るという親方の覚悟は、
閉ざされた世界の最小単位である部屋というものの
大原則であろう。

体制や権力に屈して、あるいは迎合してこの原則を
曲げてしまえば、伝統の崩壊に繋がるということを
彼は知っているのだろう。

相撲の一点で、婚約も破棄し、実の母親とも断絶した
彼のような相撲バカこそが、その伝統を守って
いくのである。