ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

ひと息

2011年08月31日 | ノンジャンル
夏らしさをあまり堪能する間もなく、気が付けばまた新しい月を
目の前にしている。

今年は一体どうしたことだろう。
飲んだくれている頃は、季節の移り変わりなどあまり
自覚もしていなかった。

その頃と同じような感覚である。
いつのまにか陽射しは傾き、夕暮れが早くなり、
空の色も違っている。

風の香りさえ、夏の炎暑のきな臭さが消えている。
まったく、とんでもない夏だった。

ようやくにして仕事もひと段落して、落ち着きが
取り戻され、今週はまるで夏休みのような
錯覚の中にいる。

9月は9月で、また慌ただしいことになりそうだが、
今は束の間の小休止といった穏やかさの中にいる。

このなんでもないひと時が、なんでもないからこそ
ありがたいと思えるのも、苦しい夏を乗り切った
からだろうか。

今は、夕暮れの涼しい風に疲れを投げ出して、
しばし虚脱した身体と心を晒していたい。

そしてまた、修羅場へと身を投じていく。

男とは、いや、少なくとも私は、そういう運命の中で、
それを運命とは思わず、自らの役割と考えて、
自らの意志で歩いていくのである。

未だ、己の天命を知る由もないが、永らえて歩いていく中で、
自ずと知れることになるのかもしれない。

仮に、ついに知ることなく幕を閉じねばならないとしても、
己の歩いた跡に、後悔がないことを祈るのみである。
そのためには、今をひたむきに歩まねばならない。

自分なりに、精一杯でいい。 ただひたむきに
歩んでいけばいいのである。




Que Sera Sera

2011年08月25日 | ノンジャンル
「為せば成る」 「為さねば成らぬ」

「なんとかなる」 「なんともならない」

「なるようになる」 「なるようにしかならない」

いずれも、人の生きる上では真実である。

為せば成るとは限らないが、為さねば何も成らない。

反面、自然に成るのを待っていて、成ることもままある。

生きるということは、行動である以上、いずれも真実で
あることを認識した上で、為せば成ると信じて、
努力するぐらいの事しかできないのではないか。

ならば、成る、成らないはひとまず横に置いておいて、
己のできることを具体的にしていくほかはない。

「なるようになる」と歌われたケセラセラも、英語では
「Whatever will be will be」

そこには、willという、意志が存在する。

達観でも、諦めでもなく、希望と意志があるところに、
人の生きる喜びは生まれる。

自身の喜びにつながる行動を、絶えることなく、
辛抱強く継続していくことを、「生きる」というのであろう。




墓園

2011年08月17日 | ノンジャンル
毎年、春、秋のお彼岸、お盆と命日前後にお墓参りに行くが、
往きはともかく、帰りはいつも渋滞で、運転も疲れる。

これまでとは違って、娘も息子もアルバイトをしているので、
家族揃ってお墓参りという、日程を調整するのが
難しくなってきた。

今回のお盆は、私自体の休みも流動的だったので、
どうしようかと思案していたが、たまたま今日、
全員が揃うので、早朝から出掛けることにした。

帰省ラッシュのピークも過ぎたようで、高速も渋滞らしい
渋滞もなくスムーズに流れていた。

多分、これまでの新記録ともいえる短時間で現地到着。
帰りも同様で、午前中には自宅に到着した。

朝の空気の中の墓園は、清々しさに包まれ、静けさの中で
鳥の鳴声だけが響いていた。

お墓参りといっても、半日仕事であり、下手をすれば
一日仕事となる。
いつでも気軽に行ける場所に移そうかという話もあったが、
ちょっとした遠足気分で出掛けることができる場所が
あるのもいいかと思う。

食事したり、土産物を買ったり、温泉もあったりして、
家族揃って出掛けるには都合が良い。

もう本当に、家族揃って出掛ける機会が少なくなってしまった。
これから、更に少なくなっていくであろう。
子供達がそれだけ成長したということではあるが、
何となく淋しい気もする。

それでも、なんとか、お墓参りだけはこれからも揃って
出掛けたいものである。

出張ばかりで、家を空けることが多い分、そういう機会は
特に大切にしていきたい。

まあ、いずれはまたカミサンと二人で出掛けるということに
なっていくであろう。
それはそれで、また楽しみでもあるのである。





2011年08月14日 | ノンジャンル
一応の区切りをつけて、昨日、故院長先生の御命日を迎えた。

一周忌のこの日、30周年の記念大会が開催され、
炎天下にもかかわらず、多くの方々が参加された。

壇上に飾られた、先生の遺影。

断酒一年を過ぎた頃、25周年の記念大会に参加した。
その時の記事を振り返ってみたが、まだまだ何もわかって
いなかった自分がありありとわかる。

今回、先生のいない大会の場で、この日を迎えるまでに
一区切りをつけられたこと、かつてない苦悩の日々の中で、
一滴も口にしなかったことを、御命日に報告できること等、
万感が胸に迫り、何度も涙がこぼれそうになって困った。

あと一年、あと一年永らえて頂ければ、この大きな記念の
日をどれほどの喜びで迎えられたことかと思えば、
おめでたい大会ではあるが非常に残念な思いがした。

いや、本当に命を削って仕事を為してきた人というのは、
事が九分九厘まで成就したなら、静かに去るものなの
かもしれない。
無論、ご本人はまだまだ先を見通して、前を向いたままで
あったに違いない。

記念大会のテーマは、「心」であった。
先生の御自筆の楯も頂いた。
これで、我が家には「原点」、「正」、「心」の楯が
書棚に並ぶことになった。

ご自身に厳しく、仕事に厳しい先生が、人に対しては
本当に柔和であったことを思えば、我が身を恥ずかしく思う。

この記念の日に、先生のお言葉が聞けないのは淋しい
限りではあるが、昨年のその時より、私の心には常に先生の
笑顔と、「坦々と」という言葉が遺っている。

今の自分をご覧になって、先生は喜んでくださるだろうか。

これからも、先生に問いかけ、先生の言葉を聞く日々は続く。

私が先生にできるご供養は、涙ではない。
自分がどう生きるのか。 その生きる姿を恩師たる先生に
お見せするしかないのである。

先生は、壇上に、確かにおられた。
30周年? まだまだ、40周年、50周年と、歩みを進めて
いかねばならない。
これは、25周年記念の際の先生のお言葉である。

そのお言葉のまま、多くの人たちと共に、
今なお歩みを進めておられる。

私も、共々に、歩みを進めてまいりたい。




夢うつつ

2011年08月09日 | ノンジャンル

6月1日。

折角の節目の佳日に、あの優しい笑顔が見れないとは
何とも淋しいものだと、深い感慨に浸りつつあったのを、
まるで突然の嵐にでもあったように、この2ヶ月間ほど、
度重なる問題に翻弄されてきた。

多くの絶望的だった難局も、その都度かろうじて乗り越え、
ようやくこの週の出張で、ひとつの区切りを
迎えられそうである。

この2ヶ月は、決死の覚悟で過ごした日々であった。
これまで、これほどの過酷な日々はなかったように思う。
まさに自身にとっては、心血を注いだ2ヶ月だった。

12日には本当の意味でのひと段落となる。
そして、13日は、亡くなられた院長先生の
御命日である。

30周年の記念大会が開かれる。
無論、参加する予定だが、このめぐりあわせには
本当に不思議な思いでいっぱいになる。

つい一週間ほど前なら、とてもそれどころでは
なかったはずだ。

今、この2ヶ月を振り返っても、夢かうつつか
わからないような、不思議な想いでいる。

暑いも何も、ともかくなりふり構わず、しゃにむに
駆け抜けた後、気が付けばもうお盆である。

いや、お盆を心静かに迎えられそうであることに
感謝するべきであろう。

こうして、今年も過ぎていくであろうし、また来年も
そうであるに違いない。

それが、生きるということなのだろう。

そんな極限の中で、お酒を飲みたいとは一瞬たりとも
思わなかった。
お酒で死ぬより、仕事で死ぬ方がまだましかと思っていた。

帰国の機内で、うまそうにビールを飲む他の乗客を見て、
ああ、至福のひと時だろうな、良かったなと思った。

羨ましいという思いがよぎっていた昔の自分とは、
何かが変わってきたのかもしれない。

きっちり最後の詰めをして、穏やかにお盆を迎え、
また新たな闘いを始めるのみである。

人は具体的に生まれてきた以上、具体的に行動しなければ
ならない。

その行動は、誰のためでもなく、自分のためでさえなく、
前を向いて、できることを精一杯でいいのではないか。

這いつくばってでも、前を向く、前へ進む、
前へ進もうとする。
それが生きるということなのだろう。

そんなことをおぼろに考えている。