ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

他人任せ

2022年04月26日 | ノンジャンル

手術の事である。

こればかりは、自分で何ができるわけでもなく、まな板の鯉同様、

先生に任せて、自分は眠るだけである。

手術室へ向かうと術着の先生が待っていた。診察の時の白衣姿よりも

何だか頼もしく見えた。

手術台に乗って、横向きになって麻酔処置。

ここに至るまでは、自分のことながら、まるで他人事のように考えていた。

それは、自身の内にある不安と恐怖を誤魔化すための、自己防衛的な

感覚であったかもしれない。

それもそこまで。約8時間の手術の間、意識はもちろんなく、夢ひとつ見ず、

まさに昏睡の状態だった。変な言い方だが、そのまま死んだとしても

それに気づく事もないであろう。

事実、8時間もの間、まるで意識作業と言えるものは何一つなかったのである。

意識が戻ったのは、ICUへ移動する途中だった。

麻酔でさほど大きな痛みは感じなかったが、これまで経験した事のない、

外も中も大きく切開、切除されるという事態が発生した身体は、

いわゆるパニック状態で、全力でその傷の修復にあたろうとしていることが

感覚的にわかった。

自分ではどうしようもない事を、他人に任せて乗り越えたなら、

その後は自分にできる事をできる範囲で頑張るしかない。

2週間の入院予定も、1ヶ月まで延びたが、その間はもちろん意識下で、

他人に任せる事、自分でできる事とを並行して過ごしていた。

自分でできる事がこれまでは中心だったが、あの他人任せの手術を思えば、

偉そうな事は何も言えない。

他を頼ることは必然であり、だからこその感謝なのである。

自分ができる事を中心にしていた私は、他人に感謝される事ばかりを

考えて、自身が感謝することを本当の意味ではできていなかっただろう。

それが、真の意味で出来るようになってこその新生なのであろう。

 

 

 


他慮

2022年04月21日 | 断酒

他者への配慮という事である。

2年以上のコロナ禍を踏まえながら、未だにマスク談議があるのは

滑稽でしかない。

ワクチンを打つ打たないはその人の自由である。

だが、マスクを着けるのは、自身の為であると同時に

他者への配慮であることは間違いない。

制度化されていないから着けないのではなく、

制度化されたから着けるのでもなく、自慮と他慮によって

着けるのである。

トンネル内での点灯は制度化されているが、点灯しないドライバーの

大半は、点灯が面倒だ、自分は十分見えているといった、自慮でしかない。

点灯は、自車と他車の存在を明らかにするもので自他共の為なのである。

 

他者を巻き込まない、自己完結できることについては自慮でいいだろうが、

巻き込む可能性のあることについては、むしろ他慮を第一とすべきである。

 

普通、病気というものは自己完結なものであるが、いわゆる伝染病と依存症は

他者を巻き込んで、その他者をして病ませる。

だからこそ、それを放ってはおけないのである。

 

 

 


長苦か短楽か

2022年04月12日 | ノンジャンル

経過としては順調なのかもしれないが、どうもその実感がない。

その日の天気というか、気圧の変動に大きく左右され、

時には、じっとしていても苦しい日もある。

術後の感覚のない部位の範囲も少しずつ狭くなってきたが、

それにはそれなりの絞られるような感覚と、電気が走るような痛みもある。

さすがにかなり大きな手術だっただけに、一筋縄ではいかない。

人間、細く長く生きるか、太く短く生きるかはその人の自由だが、

苦しみながらも、長く生きて為すべきことがあればまだしも、

そこまでして長らえようとする動機も気力もない。

できれば、短くとも苦しまず、穏やかに過ごせる日々であって欲しいと

心から願うのである。

 


春来る

2022年04月04日 | ノンジャンル

新春にブログの引っ越しをして、新たな場所で再開ということになる。

旧ブログでお世話になった皆様には、こちらでも宜しくお願いします。

とはいえ、本当に不定期で、忘れたころに記事がアップされるということに

なるやもしれない。まあ、それもこれまでと変わらないスタイルということで

ご容赦願いたい。