手術の事である。
こればかりは、自分で何ができるわけでもなく、まな板の鯉同様、
先生に任せて、自分は眠るだけである。
手術室へ向かうと術着の先生が待っていた。診察の時の白衣姿よりも
何だか頼もしく見えた。
手術台に乗って、横向きになって麻酔処置。
ここに至るまでは、自分のことながら、まるで他人事のように考えていた。
それは、自身の内にある不安と恐怖を誤魔化すための、自己防衛的な
感覚であったかもしれない。
それもそこまで。約8時間の手術の間、意識はもちろんなく、夢ひとつ見ず、
まさに昏睡の状態だった。変な言い方だが、そのまま死んだとしても
それに気づく事もないであろう。
事実、8時間もの間、まるで意識作業と言えるものは何一つなかったのである。
意識が戻ったのは、ICUへ移動する途中だった。
麻酔でさほど大きな痛みは感じなかったが、これまで経験した事のない、
外も中も大きく切開、切除されるという事態が発生した身体は、
いわゆるパニック状態で、全力でその傷の修復にあたろうとしていることが
感覚的にわかった。
自分ではどうしようもない事を、他人に任せて乗り越えたなら、
その後は自分にできる事をできる範囲で頑張るしかない。
2週間の入院予定も、1ヶ月まで延びたが、その間はもちろん意識下で、
他人に任せる事、自分でできる事とを並行して過ごしていた。
自分でできる事がこれまでは中心だったが、あの他人任せの手術を思えば、
偉そうな事は何も言えない。
他を頼ることは必然であり、だからこその感謝なのである。
自分ができる事を中心にしていた私は、他人に感謝される事ばかりを
考えて、自身が感謝することを本当の意味ではできていなかっただろう。
それが、真の意味で出来るようになってこその新生なのであろう。