今年も早いもので半年になろうとしている。
年々、加速度的に時の経つのが早く感じるのは、
それ相応の年を経てきたということだろう。
振り返っても、地に足の着いた軌跡も見えず、
ただその日一日をひたすらに走ってきた気がする。
そのこと自体は、これから先も変わらない。
良く言えば、それだけ充実しているということでもあり、
悪く言えばバタバタしているだけということだろう。
ともあれ、生きるとはそういうことかもしれない。
何の不安もなく、ゆったりと寛げる椅子に坐して、
悠々自適に穏やかな一日を過ごすことは、
理想ではあるが、少なくとも私にとっては
生きていることにはならない。
50近くになって、身体の衰えを急速に
感じ出したのだが、気持ちはいつまでも若いままなので
そのギャップの処置に困る。
仕事柄、身体を動かすことは多いものの、やはり慢性的な
運動不足でもある。 使わねば衰える典型といえる。
はてさて、今年一年、残り半分をいかに動くかが変わらぬ
課題であることには間違いないようである。
考えるより、一歩前へ踏み出せ。
自身に言い聞かせていることではあるが、
さらにその心構えで、後半戦を奮闘したいと思う。
一歩前へ。そこから何かが変わり、何かが始まる。
年々、加速度的に時の経つのが早く感じるのは、
それ相応の年を経てきたということだろう。
振り返っても、地に足の着いた軌跡も見えず、
ただその日一日をひたすらに走ってきた気がする。
そのこと自体は、これから先も変わらない。
良く言えば、それだけ充実しているということでもあり、
悪く言えばバタバタしているだけということだろう。
ともあれ、生きるとはそういうことかもしれない。
何の不安もなく、ゆったりと寛げる椅子に坐して、
悠々自適に穏やかな一日を過ごすことは、
理想ではあるが、少なくとも私にとっては
生きていることにはならない。
50近くになって、身体の衰えを急速に
感じ出したのだが、気持ちはいつまでも若いままなので
そのギャップの処置に困る。
仕事柄、身体を動かすことは多いものの、やはり慢性的な
運動不足でもある。 使わねば衰える典型といえる。
はてさて、今年一年、残り半分をいかに動くかが変わらぬ
課題であることには間違いないようである。
考えるより、一歩前へ踏み出せ。
自身に言い聞かせていることではあるが、
さらにその心構えで、後半戦を奮闘したいと思う。
一歩前へ。そこから何かが変わり、何かが始まる。