1973年といえば、まだ小学生の頃である。
オイルショックの不安の中、紙がなくなるという
噂とデマ広告とによって、全国の主婦が、
トイレットペーパーに殺到した。
バーゲンセールで見かける様な、服の取り合いと
同様に、トイレットペーパーを取り合う光景が
印象に残っている。
あれから47年経って、年を取ったなあと思うのだが、
コロナウイルスの不安の中、マスクは仕方ない
として、再びデマによって、トイレットペーパーや
ティッシュペーパーが消えた。
正確には、店頭において消えただけで、
在庫にしても、生産にしても、何ら影響はない。
当初は、デマが飛んだ限られた地域だけだった
ようだが、今では全国に広がりつつあるという。
やれやれ、47年経っても、大した成長はしていない
らしい。まあ、自身を省みてもそれはいえるのだが。
当時と違い、ウォシュレットも普及している現代、
仮に紙がなくなっても、何とでもできるではないか。
ペーパーレスの時代に、何とも皮肉な状況である。
中国では、災害時などに塩の買い占めが起こる
そうである。
何をおいても、塩がなくなることを最も
恐れるらしい。
そうして買い占めて満足しているのもつかの間、
塩がなくなることはないので、安定してくると、
家族一生分以上の塩が家にあることになる
そうである。
転売目的ならともかく、自分や家族用にと
買い占めた方は、ご苦労な事である。
しばらくは、かさばるトイレットペーパーを
買いに行く手間が省けるだろう。
しかし感心するのは家内である。
店頭からマスクがなくなろうが、トイレット
ペーパーがなくなろうが、どこ吹く風である。
災害で被災された人達を想えば、家があって、
ガス、水道、電気が普通に通っていることの
ありがたさ。
それを感じていれば、他の事など、何とでも
できるという、ある意味達観したものを肚に
持っている。
大したものだと思うのである。
オイルショックの不安の中、紙がなくなるという
噂とデマ広告とによって、全国の主婦が、
トイレットペーパーに殺到した。
バーゲンセールで見かける様な、服の取り合いと
同様に、トイレットペーパーを取り合う光景が
印象に残っている。
あれから47年経って、年を取ったなあと思うのだが、
コロナウイルスの不安の中、マスクは仕方ない
として、再びデマによって、トイレットペーパーや
ティッシュペーパーが消えた。
正確には、店頭において消えただけで、
在庫にしても、生産にしても、何ら影響はない。
当初は、デマが飛んだ限られた地域だけだった
ようだが、今では全国に広がりつつあるという。
やれやれ、47年経っても、大した成長はしていない
らしい。まあ、自身を省みてもそれはいえるのだが。
当時と違い、ウォシュレットも普及している現代、
仮に紙がなくなっても、何とでもできるではないか。
ペーパーレスの時代に、何とも皮肉な状況である。
中国では、災害時などに塩の買い占めが起こる
そうである。
何をおいても、塩がなくなることを最も
恐れるらしい。
そうして買い占めて満足しているのもつかの間、
塩がなくなることはないので、安定してくると、
家族一生分以上の塩が家にあることになる
そうである。
転売目的ならともかく、自分や家族用にと
買い占めた方は、ご苦労な事である。
しばらくは、かさばるトイレットペーパーを
買いに行く手間が省けるだろう。
しかし感心するのは家内である。
店頭からマスクがなくなろうが、トイレット
ペーパーがなくなろうが、どこ吹く風である。
災害で被災された人達を想えば、家があって、
ガス、水道、電気が普通に通っていることの
ありがたさ。
それを感じていれば、他の事など、何とでも
できるという、ある意味達観したものを肚に
持っている。
大したものだと思うのである。