ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

オイルショック

2020年02月29日 | ノンジャンル
1973年といえば、まだ小学生の頃である。

オイルショックの不安の中、紙がなくなるという
噂とデマ広告とによって、全国の主婦が、
トイレットペーパーに殺到した。

バーゲンセールで見かける様な、服の取り合いと
同様に、トイレットペーパーを取り合う光景が
印象に残っている。

あれから47年経って、年を取ったなあと思うのだが、
コロナウイルスの不安の中、マスクは仕方ない
として、再びデマによって、トイレットペーパーや
ティッシュペーパーが消えた。

正確には、店頭において消えただけで、
在庫にしても、生産にしても、何ら影響はない。

当初は、デマが飛んだ限られた地域だけだった
ようだが、今では全国に広がりつつあるという。

やれやれ、47年経っても、大した成長はしていない
らしい。まあ、自身を省みてもそれはいえるのだが。

当時と違い、ウォシュレットも普及している現代、
仮に紙がなくなっても、何とでもできるではないか。
ペーパーレスの時代に、何とも皮肉な状況である。

中国では、災害時などに塩の買い占めが起こる
そうである。

何をおいても、塩がなくなることを最も
恐れるらしい。

そうして買い占めて満足しているのもつかの間、
塩がなくなることはないので、安定してくると、
家族一生分以上の塩が家にあることになる
そうである。

転売目的ならともかく、自分や家族用にと
買い占めた方は、ご苦労な事である。
しばらくは、かさばるトイレットペーパーを
買いに行く手間が省けるだろう。

しかし感心するのは家内である。
店頭からマスクがなくなろうが、トイレット
ペーパーがなくなろうが、どこ吹く風である。

災害で被災された人達を想えば、家があって、
ガス、水道、電気が普通に通っていることの
ありがたさ。
それを感じていれば、他の事など、何とでも
できるという、ある意味達観したものを肚に
持っている。

大したものだと思うのである。





仕事バカ

2020年02月25日 | ノンジャンル
コロナウイルス感染拡大で、中国関係の仕事が
開店休業状態となっている。

例年にはないゆっくりとした時間が年明けから
流れている。

こうなると、何となく気持ちが悪い。

多忙な中で迎える休日は、家内が仕事に
出ている頃は、家の事をしたりして、それなりに
忙しく過ごしていたが、家内が仕事を
やめてからは、それもかなり少なくなった。

せっかくの休日の、自由な時間を、持て余している
自分に、この連休気が付いた。

楽しみにしている趣味があるわけでもなく、
外でも家でも、仕事といえることをやって来た
私にとって、自由な時間というのは、ある意味
苦痛でしかない。

本業が忙しくなければ、休業時間も楽しくない。
読書や音楽を聴くのも好きな方だが、その気も
起こらない。

どうやら、何の面白味もない、根っからの仕事バカ
なのであろう。

こういう人間は、仕事を取り上げれば、一気に
老け込んで、衰えるに違いない。

苦笑するしかないが、マグロと同じく、止まると
死ぬ体質らしい。

まあ、生きている限り仕事をして、そのさなかに
死ねたなら、本望という事だろう。

仕事を辞めても、ジムだ、ヨガだ、温泉だ、
スクールだと、相変わらず忙しく外出する家内が
羨ましくもあるが、その真似は到底できそうにない。

仕事バカは、バカなりに仕事をして逝けという
事なのだろう。





バッテリー

2020年02月17日 | ノンジャンル
ノムさんが逝った。

連れ合いに先立たれてから、2年程なので、
文字通り後を追いかけるような急逝だった。

男は弱いとしみじみ言っていたことを思えば、
よほど堪えていたのだろう。

昔は、パリーグと言えばまるで人気がなかった。
パリーグのチームのファンだという友達も
まず覚えがない。

公式の試合でも、内野席に空席が目立ち、
草野球の方が、観客が多いくらいだった。

その中で、監督であり、守備の要のキャッチャー
であり、ホームラン王であったノムさんは、
月見草とご自身を譬えていたそうだが、
パリーグにおける唯一のスター的存在だった。

チームすら知らない人でも、ノムさんだけは
知っていた。かくいう私もその一人である。

サッチーの愛称で一躍時の人となった連れ合いも、
世間を騒がせた割には、何となく憎めない
人だった。

世間にどういわれようと、自分の好きなように
生き、それを父親か母親の様に見守りながら、
常に味方でい続けてくれる人がいる
というのは、最高の幸せではないのか。

逆に、日本中の人を敵に回してでも、自分は
味方となり、守ってやろうと思える人がいることも
最高の幸せであろう。

その風貌や、言動とは裏腹に、これほど愛らしい、
優しい人はいないのではないかと思える
人でもあった。

その人が、恐らく望んだであろう、人生最高の
バッテリーを組めたことには、満足以外何もない
はずである。

所願満足の人生の終焉は、むしろ羨ましい
ほどなのである。





封鎖

2020年02月12日 | ノンジャンル
コロナウイルスの感染拡大が止まらない。
発生地が中国であった事と、春節前であったことが
事態を深刻化させている。

現状、各地で封鎖が行なわれているが、中国内では
それもあまり意味が無いように思う。

挨拶の様にクラクションを鳴らす雑踏と車列も
消えて久しい。
中国に向けて出荷もままならず、まして中国からの
貨物については、納入の目途が立たない。

今月一杯は、収束の目途が立たないだろう。
通常復帰が3月以降となった場合、1ヶ月以上の
経済停滞となる。

年間の経済活動の12分の1が滞るというのは、
想像を絶する損失に繋がる。

何より、対策にかかる費用は膨大だ。

経済というのは、ひとことで言えば流れである。
我々はその流れの中に生きている。
滞るという事は、ある意味、命に関わるのである。

日々の生活の流れを、一日も早く取り戻すことが
できるようにと、祈るのみなのである。





耐過敏

2020年02月07日 | ノンジャンル
断酒を始めて、今年15年になろうとしている。

当初から今日に至るまで、変わらないことが
ひとつある。

神経が研ぎ澄まされているという事だ。

生物学的には身を守る上で、対外的な危険を
察知し、対処の態勢を取るという点で不可欠な
要素ではある。

仕事においては悲観的で、常に最悪のケースを
想定して準備や対策を怠りなくする。
善きにつけ、悪しきにつけ、この事前の察知
という意味で、過敏にならざるを得ない
ところがあった。

しかし、いわゆる緊張状態の継続には
限界がある。そのあたりを、お酒による
酔いという神経の鈍麻によって、バランスを
取っていた面もある。

さて、その酔いの鈍麻がなくなって以来、
これまで事あるごとに悩まされ続けてきたのは、
過敏さである。

これを鈍感に変えるという事も試してはみたが、
結局、この15年、少しも変わっていない。

それは、生きる上で不可欠な事であると
同時に、生き辛さの主な原因でもある。

15年かかって変えられないものは、変わらない
ものとして受け入れるしかない。

その上で、そのなす術のない過敏さに、
どう耐えるかという事が課題となっていた。

この課題に対する明確な答えや解決策はない。
耐えるしかないのである。

そこには、何とかなるという漠然とした楽観と、
どうせいつかは死ぬという、究極の開き直りと、
なるようにしかならないという、虚無感とが
混交し、複雑化する。

そして唯一、やれるだけの事をやるしかない
という原点に立ち返った時に、何とか耐えて
こられたのである。

過敏さは、受け入れるしかない。
それはある時、耐え難いものでもある。
そして、生きるという事が、耐える事で
あるなら、耐えられる自身の原点に
立ち返るしかないのである。

つまり、出来ることを精一杯で、生きるしかない
という事なのである。