ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

ニコチン依存

2015年10月26日 | ノンジャンル
断酒の初期に、いっそタバコも並行して
やめてしまおうかと思ったことがあった。

主治医に相談すると、まだ時期尚早と意外な
返事であった。

まあ、健康面はともかく、タバコの吸い過ぎで
頭がおかしくなることはない。
自分のみならず、周りも巻き込む酒害を解決
するのが優先だということだったろう。

今、断酒も安定した中で、要するにタバコも
依存症という認識を持っているなら、ここで
その呪縛から解放されてみようかという
気になってきた。

もはや喫煙率は2割を下回り、社会は喫煙者にとって
ますます住みにくくなっている。
その効用を云々できるのは、一日に2-3本で
済ませられる人だけである。

健康面でも、時間面でも、また、経済面でも
禁煙した方が良いのは自明である。
いや、何年禁煙していても、たった一服で
元に戻ってしまう点ではお酒と変わらない。
よって、禁煙ではなく、断煙であろう。

喫煙者の周りにいるものは、受動喫煙によって
その害に巻き込まれる。
この点では酒害と変わらない。

依存症という病気として認知されてきたので、
当然、その治療のための医療機関もあれば、
処方もある。

断酒によって、この10年を生き延びてきた。
もう10年を、断煙によって、延ばそうか、
生きられるだけを、無理せず生きるか、
思案中である。

これもお酒と同じで、旨く感じなくなったなら
潮時ということだろう。

「飲まずにはいられない」が、
「吸わずにはいられない」に換わっただけなら、
まだ呪縛から解放されていないこととなる。

今度は、煙草に対する自分自身を冷静に見つめる
時期に来たようである。





バランス

2015年10月16日 | ノンジャンル
人の一生は、良いことも悪いことも
およそ半々で、良いことばかりの一生も
なければ、悪いことばかりの一生もない。

譬えれば天秤のようなもので、右に傾く
ときもあれば、左に傾くときもある。

だが、おしなべれば、傾きが元に戻るように
バランスが取れているようなものである。

勘違いをしている人が多いが、この天秤皿に
人を載せるのは間違いである。
人は載せられるものではなく、天秤を支える
支点なのである。

とすれば、良いことも悪いことも、
その根本的な主体は自分自身ということになる。
傾きの原因が何であれ、支点たる自身がその傾きを
どうするかによって、バランスが保たれるか、
傾いたままとなるかの差が出るだけである。

さて、我々は、この普通の人の天秤の一段下に、
もうひとつ天秤を持つ。
片方には「断酒」、もう片方には上記の普通の天秤。
つまり、人生である。

この断酒の重りは、いくら長い間継続しても
増えることはない。
よって、断酒側に傾くことはないのだが、ひとたび
この重りを外してしまえば、もう片方の人生は
地に堕ちる。

この下の天秤を支える支点は、言い換えれば
知点、識点、自点、覚点、志点等となる。

人生の天秤だけでもバランスを取るのが難しいのに、
その下にさらに天秤があるという、至難のバランス
感覚を要求されるのが私たちなのである。

幸いなのは、断酒の重りは変化しないので、
そのまま継続しておけば一定のバランスが常にとれる。

つまり、普通の人生の天秤だけと変わらない
ということである。

願わくは、一段下の、断酒の重りを外すことが
ないようにと、自他ともに祈るのみである。






父子で一杯

2015年10月09日 | ノンジャンル
我が家では、私の断酒初期の頃はともかく、
わりと無造作にビールや酎ハイが冷蔵庫に
入っている。

私も別に、変な気の遣われ方が嫌で、
それを何とも思っていなかったが、あれば、
ふと一杯飲んでやろうかと思うことも正直あった。

カミさんは強くはなく、せいぜいひと缶
空けるのが精一杯なので、大したことはないが、
子供たちが成人してからは、冷蔵庫にお酒が
増えてきた。

さて、子供たちが成人したら、一緒に飲みに
行くのが一つの楽しみであったが、娘はともかく、
息子と飲みに行くというのは父親にとっては
感慨深いものがある。

それができなくなったことで多少の落胆はあったが、
自分が父親と飲みに行った時のことを考えると、
そう落胆することもないかと思う。

男同士というのは、女性と違ってさほど話を
することもなく、むしろ店の女性と話す方が多かった。
父子ということで、話題には事欠かないからだ。

その意味で言えば、娘もそうだが、息子も普段から
何かと話しかけてくるので、一緒にお酒を飲むという
ことよりも大事なことができているといった
満足感の方が大きい。

今、楽しみにしているのは、社会勉強のつもりで、
息子を飲み屋に連れていくことである。
少しお酒が入れば、普段にもまして饒舌になるであろう
息子と、男同士の話ができる。

それは、一緒に酔っぱらうことより、遥かに楽しい
ひと時に違いない。

断酒を継続する自分に、こんな楽しみができるとは
夢にも思わなかった。

むしろ、断酒しているから都合が良い事の方が
多いのも事実である。

夜の大人の世界で、どんな反応をするのかを
想像するだけでも楽しみなのである。