ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

再出発

2015年06月23日 | ノンジャンル
10年を過ぎて、少し穏やかな日々を送れるかと
思いきや、これまでとは全く異なる形で大きな問題が
持ち上がった。

それはある意味、この10年の総決算ともいうべき
ことで、自分自身にとっては、本当の意味での新たな
出発という決意を固めさせてくれた。

母親がくも膜下出血で倒れたのが45歳。
その後、不自由な体で10年間、為すべきことを
為して55歳で逝った。私が37歳の時である。

今、私自身がその歳に近づいている。
55歳までのこの3年間を、文字通り、為すべき
ことを為す3年として、奮闘していくつもりである。

今思うのは、節酒といい、禁酒といい、断酒といい、
お酒に縛られていることにあまり変わりはないと
いうことだ。

振り返ってみても、力技であれ、自然体であれ、お酒を
意識するということは、その呪縛から完全に解放された
わけではなかった。

そこから解放されたなら、「解酒」(げしゅ)とでも
呼ぶべきか。

やっと本来の自分、ゼロから再スタートができるといった
感慨である。
相変わらず悩みも迷いも多いが、心はなにかしら、
解き放たれた軽快さを感じるのである。




回顧録

2015年06月05日 | ノンジャンル
大きな節目を迎えて、また一からスタートのつもりで
これからの日々を重ねていくことになったが、
一応の整理をしておくことで、自身にも、他の方々にも
参考になればと思い、思い出すまま書き留めておく。

*断酒初期
最初の一年は無我夢中、ともかくお酒を飲まないことが
大目的で、文字通り力で飲酒欲求をねじ伏せ続けたような
長い長い一年だったと思う。

やめ続けてはいても、ともかく意識はお酒のことばかりで、
飲んでしまいたい、飲んで堪るか、何が何でも飲まないと
いったように、意識がお酒に縛られていた分、
あっという間だった気もする。

仕事を含め、現実の生活にお酒なしで正面から向き合う
というのはかなり疲れた。
お酒で紛らわせることができなくなった分、様々な問題に
向き合うときにはまともにダメージを喰らうといった
感覚である。

この頃は、殆ど精神的に余裕と言えるものがなかった
ように思う。

*断酒3年~
一応の落ち着きと、余裕ができ始める時期と言える。
石の上にも3年とはよく言ったものだ。
それでも、やはり現実と常に正面から向き合うのは
大きな負担だった。

飲酒欲求は落ち着いて、飲まないことが自然に
なりつつも、先行きの何とも言えない不安感に
苛まれることが多かった。

*断酒5年~
かなりの落ち着きが出てきたのを見越した
かのように大きな問題が次から次へと
起こった。

初期の頃に起こっていたら、どうなっていたか
しれないほどだったが、この時期であったからこそ
乗り越えることができたのかもしれない。

自身にとって、お酒のない生き辛さを、嫌というほど
思い知らされた時期でもあった。

*断酒7年~
この頃からだろうか、変に力むことが少なくなった。
強風に頑固に逆らって立ちながら、ポキリと折れそうな
危うさが無くなり、柳の様な柔軟さが出てきたようだ。

曲っても、揺らいでも、元の自身の位置にきっちりと
戻ることができるといったところだろうか。

これは今に至っているが、現実をありのままに受け容れ、
自分にできることを精一杯やるという柔軟さが、
身についたということであろう。

私自身、性格も、考え方もさほど大きく変わった
わけではない。
変わったとすれば、その生き方であろうか。

死を意識した地獄の底から、地獄を通ってようやく
地上に顔を出したのがこの10年とするなら、
その中で身についた生き方は、おそらく自分にとっては
残りの生涯を通じて間違いのない生き方なのだろう。

また坦々と、その生き方の日々を重ねていく。




10年

2015年06月01日 | ノンジャンル
昨日で、断酒満10年となった。

今日、6月1日は、私自身の再生の節目となる日である。
あの日も暑かったが、まざまざとその記憶を蘇らせる
ような暑い日となった。

その原点の確認は、この10年間一度も欠かさずに
行ってきた。

今日もクリニックへ行って、改めて確認をするとともに、
亡き院長先生に報告をしてくるつもりである。

後悔も多い10年だったが、かろうじて反省と感謝が
それを上回った10年であったかとも思う。

それにも増して、何事も自らの行動に移していくという
点で、苦しみながらも前へ進んだ歳月であったかと思う。

これからもまた、常に一日断酒の日々を重ねていく。
それは、今日から、此処から、私からという
変わらぬ生き方なのである。

とはいうものの、迎えたこの日に院長先生の笑顔が
見たかったと思えば、思わず目頭が熱くなる。

しかしながら、先生の死が、ことお酒については
一切の妥協を許さない私の覚悟の支えとなったのも
事実である。

であるなら、やはりこの10年は感謝の歳月として
心に刻んでおこうと思うのである。