ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

顔晴れ

2011年02月27日 | ノンジャンル
「頑張れ!」 という励ましが辛いときもある。

これ以上、どう頑張れというのかと。

もう、頑張れないよと。

心が折れそうなとき、なにもかもがいやになるとき、
疲れ果てたとき、力尽きたとき。

なぜか思い出すのは、もうずいぶん昔に亡くなった
おじいちゃんの言葉である。

どれほど大変な仕事かはわからない。
どれほど悩み、苦労をしているかもわからない。
だが、無責任でもなく、プレッシャーでもなく、
その上でなお、おじいちゃんは、ひとこと私に言った。

「頑張れよ。」 と。

おじいちゃんだからこそ、その励ましは心に響いた。
同じ言葉でも、誰か違う人であったなら、こうまで
心に遺ってはいないと思う。

おじいちゃんは、この言葉を、優しい笑顔と共に、
私に伝えた。

ああ、そうだ。 

あれは、「頑張れ」 ではなく、「顔晴れ」 だったのだ。

晴々とした顔で生きろという、最大のエールだったのだ。

そして、最大の愛情だったのだ。

いつの日か、私も自分の孫と話しをすることが
あるやもしれぬ。
孫が、苦悩の中にいるときもあるだろう。

そのときに、私もこの「顔晴れ」 を伝えてやりたいと
思うのである。




回復の現れ

2011年02月26日 | ノンジャンル
お酒を断って、はじめの2年ほどはよく風邪をひいた。

食欲も旺盛になり、体力的にはみるみる回復していくのに、
なぜこうも風邪をひくのかと怪訝に思ったこともある。

身体から毒素が抜け、その分抵抗力が弱まったのかなどと
馬鹿なことも考えたりした。

実際、飲んでいた頃は風邪の兆候があれば、アルコール消毒と
称して、さらに飲んでいたほどである。

これは、今にして思えば、風邪をひいて、きちんと風邪の
症状が現れ、それを風邪と認識して、対処していくことが
できるようになったということである。

つまり、回復のひとつの現れと言えるであろう。

おかしな言い方だが、たとえば怪我をすれば痛いから、
薬を塗ったり、痛み止めを飲んだりする。
アルコールで神経が麻痺していれば、怪我をしてもさほど
痛くない。 

痛いというのは、身体の異常や外傷を自覚させる
重要な神経の働きである。
その働きが麻痺していれば、手当ての遅れや、
悪化につながる。

気候の暑い、寒い、体調の良い、悪い、身体の痛み等を
はっきりと自覚できるのは、正常ということである。

手足のしびれ、肉離れ、震えなどは、神経の回復過程である。

お酒で痛め続けてきたものが、お酒を断つことによって
自覚症状という表に現れてきたに過ぎない。

それはすなわち、回復の現れでもある。
そして、それが神経に関するものであれば、
回復もゆっくりと長い時間をかけて進むのである。

初期に比べれば、滅多に風邪もひかなくなったし、
ひいても治りが早くなった。
怪我をしても、傷の治りが早い気がする。

長い目で見たときに、そう言えばこう変わって
きたかなと、なんとなく実感できる。

この病気の回復は、そういうものなのである。




プライド

2011年02月25日 | ノンジャンル
プライドについて考えていた。

他人よりも自分が上であるとする優越感。
これだけは他人に負けないとする自負。
自身の尊厳を守る鎧。

様々な解釈がその人によってあるだろうが、
本来プライドとは、他人との関わりという、
相対的なものではない。

己の信ずるところに揺るぎないものがあって、
そのままに生きる、つまり行動することが、
その人においてのプライドなのである。

他人に傷つけられるものでもなければ、弁解、反論し、
守るべきものでもない。
そんな必要はないのである。

自らの信念のままに行動していく。
その信念こそが、様々な困難を克服してきた中で
確立されたものなら、己のプライドであり、
絶対的なものなのである。

無論、それは己にとってのみであり、他人に押し付ける
必要もなければ、他人に評価される必要もない。

自らの人生を、どう生きるかということであり、
主体は自分自身である。

ただ、それが人を傷つけることになってはいけない。
それはプライドではなく、単なるエゴというものである。

自分自身も、ずいぶんと永い間プライドの意味を
はき違えて生きてきたものだと思う。
他人の自分自身に対する評価という檻の中で、
一生懸命身繕いをしてきたようにも思える。

そういう鍍金が傷つけられたり、剥がされたりすることを
数えきれないほど繰り返す中で、果たして己の中に
真金とも呼べるものがあるのかどうかさえ見えずにいた。

人間、裸で生まれてきた時のように、すべてを剥がせば
残るのは己の生き方である。

そこにプライドがあるかないかの問題となるのである。

断酒を決断し、それを敢行していることにプライドなど
ありえない。

その極限の時に、生きることを選び、人として生きて
いこうとした己の底にあるもの。

それを私は自身のプライドとしているのである。




223

2011年02月23日 | ノンジャンル
今日、2月23日は、富士山の日なのだそうだ。
初めて聞いた。


福慈の山

不尽の山

布二の山

不二の山

不死の山

富士の山


この季節のたたずまいが、最も美しく感じる。

この山に私たちは尊恭と畏敬と、誇りを抱いてきた。

自身の胸中に、その輝きを抱きたいものである。






感謝

2011年02月22日 | ノンジャンル

感謝の心が、人を優しくする。

感謝の心が、人を強くする。

感謝の心が、人を謙虚にする。

感謝の心が、人を成長させる。

感謝の心が、人を豊かにする。

感謝の心が、人を幸せにする。

あなたが不幸なのは、

感謝の心を失っているからなのです。