ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

三十一日

2011年03月31日 | ノンジャンル

「アル中になったことを悔やむことはおまへん 

 この病気をきっしょに『生きる』ことに気いついたら 

 あんたの財産や」


良かったとは思わないが、悔やむことばかりでもない。

馬鹿だったとは思うが、馬鹿のままで終わるつもりはない。




呑まれる

2011年03月28日 | ノンジャンル
「お酒は飲んでも呑まれるな」

ごく普通のことなのであるが、アル中には土台無理な話である。
何せ呑まれているのが普通の状態なのだから、
お話にならない。

薬物依存の症状と言ってしまえばそれまでだが、どうもこの
「呑まれる」という状態が習慣的になると、悪い意味で拘る、
囚われる、呑まれるという傾向が身についてしまうようである。

断酒初期には特にその傾向が著しかった。
拘りをうまく体験の整理という作業に仕向けたので、
私の場合は、まだ精神的には救われた面があったと思える。

それでも、囚われや呑まれるということが苦しい局面が
たびたびあった。
怒りや、苛立ち、不安や恐怖、悲しみや苦悩などに
呑まれたなら、もう何一つ行動に移せない。 
一歩も前に進めない状態となる。

厄介なのは、その、行動に移せない、前へ進めない状態を
さらに嘆き、情けなく思うことで、その状態を
悪化させてしまう。
底のない負のスパイラルに陥ってしまうのである。

悩みや不安などは、都合よく順番にやってくるわけではない。
時に、あれもこれもと重なって、押しつぶされそうに
なることなど茶飯事である。

このうつ状態から抜け出すのにお酒の力を借り出して、
依存症となる人もいれば、依存症となって、うつを発症する
人もいる。
いずれも、断酒の苦しさから、うつに悩まされる場合が多く、
その分、断酒を難しくさせてしまう。

この負のスパイラルからの脱却のひとつの方法として、
あれもこれもではなく、ひとつのことを徹底するという
ことがあげられる。

どうせそのときに、自分がやれることはひとつでしかないなら、
何もしないよりは、そのひとつのことを納得するまで徹底的に
やってみるということである。

私は、まず、自分の体験を整理して文書化することから始めた。
時に一行を書くのにも一日を費やすほど懊悩する局面もあった。
まだ断酒初期でもあったので、書くことで気が狂わんばかりに
悶え苦しむ思いをするときもあった。

それでも書き終えたときの爽快感と喜びは、今でも忘れる
ことができない。

身体に疾患があるなら、それを徹底的に治す。
不安があるなら、それとまともに向き合い、徹底的に悩む。
苦しいなら、サンドバッグのように打たれるだけ
打たれる覚悟でぶつかる。
怒りなら、その怒りの淵源を自身の中に見つめ直して、
それと闘い抜く。

そうして、ひとつひとつを徹底してやることで、それが
その度の突破口となってきたように思えるのである。

今でも大して変わりはない。 怒りにも、不安にも、
恐怖にも、苦悩にも呑まれてしまう。
だが、呑まれてがんじがらめになったまま動けない
ということはなくなった。

自ら、よし、今日は何もしない、動かないと決めて
何もしないことはたまにあるが、実際は何かしている。

呑まれる傾向がある以上、その早期対峙は、まさにその
呑まれていること自体に突破口を見出すことである。

これは、正面からぶつからずに逃げる、他の方向へとそらす、
紛らわせる、ごまかすということで対処してきた
自身に対してあえて課していることである。

つぼをはずしていくら押さえても効き目がないことを
自らに言い聞かせている。

臆病で小心な自身に対し、その機会ごとに、ひとつひとつ
勇気を振り絞って挑戦していく。
今なお、その繰り返しの毎日なのである。

拘り、囚われ、呑まれる自分を冷静に見つめ、
そのつぼを押すことは非常に痛く、苦しいことなのだが、
ひとつひとつ加減しないで押していく。

これは、痛み、苦しみの後に、楽さも、喜びもあることが
わかっているからこそ、あえてできるのである。

これが断酒の実体験でわかれば、呑まれそうになったところで、
がんじがらめに縛られ、身動きが取れなくなるということは
なくなっていく。
手の届く一本を切れば、大抵はするすると解けるもの
だからである。

この一本を切る痛みと苦しみの後に、縄が解ける楽さ、
喜びがあるということを常に心に留めているのである。




二十八日

2011年03月28日 | ノンジャンル

「『許してや すんまへん』 

  いまごろ気いついても遅いけど 

  家族にようけ苦労かけてきたんやなあ」


問題は、遅い早いではなく、気がついたかどうかと、

気がついたなら、どう生きていくのかなのである。