時に、この病気の本人や家族などは、その実害の原因を
アルコール自体に求めることがある。
この世に、アルコール(お酒)さえなければと。
周知のとおり、最初のアルコールの発見は、酒精と呼ばれる
エタノールであった。
無論人工ではなく、自然界に自然に存在している物質である。
お酒に限らず、人間の食生活に深く関わりのある発酵という
過程を経る場合、必ずアルコールが生成される。
つまりその物質の存在を根絶することはできないし
する必要もない。
人間が発見する以前から、もともと存在していたものである。
その物質の特性を、どう有用し、利用するのかは、
全く人間の勝手であり、物質に善悪はない。
これは、お酒に関しても繰り返し述べてきたことである。
人体に薬となるものは毒ともなる。 それを善悪と置き換える
ことはできない。
薬とするのも人間であり、毒とするのも人間である。
置き換えていうなら、それは人間自体の善悪、あるいは
有用、利用の仕方の正誤ということなのである。
我々は、誤用を繰り返し、アルコールを体内に摂取することは
もはやできなくなったが、殺菌、消毒という効用は
変わらず可能である。
ということで、マスクもせずに咳をしていた人が帰った
ところで、アルコールを室内に噴霧することにする。
アルコール自体に求めることがある。
この世に、アルコール(お酒)さえなければと。
周知のとおり、最初のアルコールの発見は、酒精と呼ばれる
エタノールであった。
無論人工ではなく、自然界に自然に存在している物質である。
お酒に限らず、人間の食生活に深く関わりのある発酵という
過程を経る場合、必ずアルコールが生成される。
つまりその物質の存在を根絶することはできないし
する必要もない。
人間が発見する以前から、もともと存在していたものである。
その物質の特性を、どう有用し、利用するのかは、
全く人間の勝手であり、物質に善悪はない。
これは、お酒に関しても繰り返し述べてきたことである。
人体に薬となるものは毒ともなる。 それを善悪と置き換える
ことはできない。
薬とするのも人間であり、毒とするのも人間である。
置き換えていうなら、それは人間自体の善悪、あるいは
有用、利用の仕方の正誤ということなのである。
我々は、誤用を繰り返し、アルコールを体内に摂取することは
もはやできなくなったが、殺菌、消毒という効用は
変わらず可能である。
ということで、マスクもせずに咳をしていた人が帰った
ところで、アルコールを室内に噴霧することにする。